第11話 暴食と青春④

 工藤先生の適切な処置のおかげで、惨劇さんげきは回避された。

 先生は実力試験の連絡事項を伝えに来たようで、おかげで九死に一生を得た俺は、くたびれたようにソファに腰をおろす。

 一方、リリアナはスカートのホックを外して、直立不動のままじっとしていた。だいぶ落ち着いてきたのだろうか、彼女の顔には生気が戻っている。しばらくすると、向かいのソファの上で仰向けになり、膝を立てて軽くストレッチを始めた。

 「九條、君はもっと賢い子だと思っていたよ」

 「いや、この男がいちいちかんに障ることばかり言うもので、ついな。キョーコのおかげで助かったよ」

 事情を聴いた先生は片手でこめかみを押さえながら、呆れ果てていた。リリアナはお前の責任だと言わんばかりにじっと俺を睨みつける。いや、なんで俺のせいなんだよ。わけがわからないよ。

 「宇佐見……。女性の扱いには気をつけろと前に言わなかったか」

 工藤先生は怒りを帯びた厳しい視線を俺に向ける。

 勝手に昼飯六人前食ってぶっ倒れたやつを女性として扱う必要があるのだろうか、いや、きっとない。つーか、なんで俺が二人から睨まれてんの? こんなの絶対おかしいよ……。

 俺に反論する権利はないようなので、なんとかして話を逸らさないと。俺はへらっと笑顔を作ると、自分の弁当を手に取って先生へ勧める。

 「まあまあ、先生もおひとつどうですか? 美味しいですよ」

 工藤先生は不満げな表情をしながら、弁当の中身をざっと見渡す。俺が差し出した爪楊枝つまようじを手に取ると、きゅうりの漬物を口に運んだ。

 「……おいしいな。落ち着く味だ」

 「そうでしょうっ! 軽く塩もみした後、一晩甘酢に漬けただけでこの美味しさですよ。料理はね、手間暇かければいいってもんでもないんですよ。時間は有限ですからね。限られた時間の中でいかに効率よく成果を生み出すかが重要なんです」

 険悪だった雰囲気は和らいだようで、工藤先生はふっと優しげに微笑む。俺も料理を褒められて心なしか饒舌じょうぜつになる。

 「ずいぶんと語るじゃないか。でも、私はあまり自炊はしないから羨ましいよ。恥ずかしながら、独り身だとついつい外食ばかりでな……」

 先生は羞恥しゅうちに顔を染める。それから誤魔化すように、頭を掻いて笑った。そんな茶目っ気たっぷりな先生を見て、俺も自然と顔がほころぶ。

 「はは、それは見たまんまっすね」

 「……あ?」

 先生のてつく視線が俺を捉えた。え、なに今の選択肢ダメだった? このキャラ、ちょっと理不尽すぎねーか、初見殺しかよ。

 俺が文句を言ってる間に、周りの空気が凍り付いていく。さすが氷結系最強、氷の女王キョーコ。恐怖に駆られた俺は、前回の成功に味を占めて、再び話を逸らす。

 「まあまあ、他のも食べて下さいよ。どれもこれも夜の下ごしらえが大変だったんですから。家に帰ったら寝るまでほとんど台所に居ましたよ。はは、笑っちゃうでしょ」

 「はぁ? お前……、実力試験の勉強はどうした?」

 先生の冷ややかな視線は一層冷たさを増す。怒りのあまり握りしめた拳がぶるぶると震えている。

 しっ、しまった。喋りすぎて墓穴掘ったっ! ここから挽っっ回っっっ! する起死回生の一手は……。

 俺はウインクしながら、片手でバキュンと先生のハートを射抜く。

 「このきゅうりのように、実力試験なんて一夜漬けにしてやりますよっ!」

 ――瞬間、拳骨を喰らった。

 「いっったぁっ! あんた、暴力はなしだろっ!」

 「試験は明日だぞ、お前は一体何をやってるんだっ! この馬鹿者がっ!」

 くっそ、自分でもわかってるよ。しかし、うちのおばあちゃん以来ですよ。この俺に拳骨を喰らわせたのは。ほんと懐かしすぎる。

 俺はずり落ちた眼鏡を掛け直すと、殴られた頭をさすりながら工藤先生を睨みつける。すると、先生はもう一発くれてやろうかと言わんばかりに拳を振り上げた。俺は慌てて両手で制止をうながす。

 「ちょっと落ち着いてくださいっ! 一応策はあるんですよ」

 「なんだ? 言ってみろ」

 先生はわなわなと身体を震わせながら、血走った目をこちらに向ける。いや、本気で怖い。リリアナの比じゃねえっ! 俺はできるだけ簡潔に、かつ論理的に説明をする。

 「午後の授業をサボれば半日時間ができる。これで昨日の遅れは取り返せる。ということで、リリアナ、俺はもう行く。突然家に帰ると母さんが心配するし、図書館でも探して勉強だ」

 納得してくれたのか、それとも怒りを通り越して呆れ果てたのか、先生はやり場のない怒りを抑えて、振り上げた拳をゆっくりと下ろした。一方、ようやくストレッチを終えたリリアナはソファから起き上がると、そのまま窓側のベッドに向かう。

 「テツロー、だったらここを使えばいい。どうせ誰も来やしない、静かな場所だ。私は寝る」

 「お前ら、いつの間に名前で呼び合う仲になったんだ……」

 先ほどまで鬼の形相をしていた工藤先生は、目を丸くして俺とリリアナを交互に見る。

 え、こいつは教師相手でも呼び捨てじゃん。これが世界標準グローバルスタンダードってやつだろ。遅れてるな、先生。そんなんじゃ婚期も遅れちゃうぜ。

 ……それは口に出したら最後、洒落しゃれにならない冗談は置いといて、リリアナの提案は大いに助かる。ここはありがたく受けさせてもらう。

 てっきり第二ラウンド開始と思ったが、お前が寝るというなら仕方ない。今回の決戦はこれで手打ちにしてやろう。

 「揃いも揃って教師の目の前で堂々とサボり宣言とは……。もう知らん、好きにしろ。私は何も見ていない」

 工藤先生は心底うんざりした表情で、一際大きなため息をついた。それから、ふんっ顔を背けて扉に向かって歩き出す。部屋を出ると、後ろ手に扉をバタンと閉めた。扉は勢い余って跳ね返り、ゆらゆらと揺れている。

 ……こ、この先生、本気で怒らせたら不味い人だ。普段大人しい人がキレると怖いってマジだった。

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