第10話 暴食と青春③

 決戦の昼休み。

 俺はリリアナが待つ北棟の物置部屋に向かう。やれることは全てやった。後は己の戦略を信じて突き進むのみ。

 部屋に到着した俺は目を閉じて心を落ち着かせる。少し間を置いて、勢いよく扉を開くと、リリアナは腕を組んでソファにふんぞり返っていた。

 「フッ……、待たせたな」

 「遅い。待ちくたびれたぞ」

 ……いやいや、そんな待ってないでしょ。カッコつけてお決まりのセリフ言ってみただけで。

 しかし、今のはデートの待ち合わせっぽかった。だったらそんな気怠けではなく、もっと可愛く言ってほしい。まあいいや。さあ、俺たちの決戦デートを始めよう。

 俺は手に持った例の代物をテーブルの上に叩きつける。風呂敷をほどくと、声高々にリリアナに宣戦布告する。

 「さあ、食えるものなら食ってみろっ! この……豪華絢爛ごうかけんらんっ! 三段重さんだんがさねをな……」

 その壮観そうかんさに圧倒されたのか、リリアナは目を丸くして固まったように動かない。

 そうだろ、そうだろ。登校中はもちろん、教室の中でも一日中、周りのクラスメイトから白い目で見られたんだ。テレレレッテッテッテー。テツローはぼっちから頭のおかしなぼっちにクラスアップした。

 俺は勝ち誇った顔で銀縁眼鏡ぎんぶちめがねを指先で押し上げる。すると、リリアナは腕まくりをして、ブラウスのボタンを一つ外した。ぱっくりと開かれた胸元から大きな谷間が大胆に見える。俺の瞳は自然と、深い谷間の奥へといざなわれた。

 「よし、私も久しぶりに本気を出してやるか」

 彼女は首をコキコキ鳴らすと、中蓋付なかぶたつきの重箱をテーブルに並べていく。いや、こんなとこで本気出すなら他にやることあんだろ。まぁ、俺もだけど……。

 「言っておくが、お前の望み通り野菜は一切なし。地獄の三段コースだ。胃もたれからのがれられると思うなよ?」

 リリアナは縦に巻かれた髪を払うと、尊大な態度で宣言する。

 「テツロー、私も言わなかったか? この程度で胃もたれする人間が欠陥品でガラクタなんだ」

 出たよ、暴君リリアナの名言。

 こうして決戦の火蓋は切って落とされた。


  ×  ×  ×


 本気を出したリリアナの勢いは昨日とは比較にならないほどだった。

 一の重、卵焼き、ウインナー、ハンバーグ、豚の生姜焼き。定番のおかずを並べたエリアだ。彼女はそれをいとも簡単に突破する。

 リリアナはしたり顔で俺を見ると、空になった重箱をひらひらと見せつける。

 「これが地獄の三段コースか? テツローよ、えらく名前負けしているぞ」

 「ふんっ、ほざいてろ。ここからが地獄の始まりだ」

 彼女はやれやれといった様子で次の重箱の蓋を開ける。すると、あっと驚いたように小さな声を上げた。

 「見事な色をしているだろう? さあ、食え、リリアナ」

 二の重、唐揚げ、とんかつ、コロッケ、エビフライ。このエリアは朝から衣をつけては揚げてを延々と繰り返した俺の血と汗の結晶だ。こんなもの全部食べたら間違いなく胃が壊れる。若干大人げなかったがこれで終わりだ。

 「まぁ、なんだ。さすがのお前もこれは――」

 「私の大好物ばかりじゃないか。気が利くなテツロー」

 「は?」

 リリアナは口を油まみれにさせながら、次々と揚げ物を口に運んでいく。嘘だろこいつ、どんどんなくなっていく。つーか、もっと味わって食えよ、俺の血と汗の結晶。

 ……だが、これであいつは俺の罠に嵌まった。だっ、駄目だ、まだ笑うな……。

 俺は思わず邪悪な笑みがこぼれそうになったが、必死でこらえた。それにしても半分を過ぎたというのに、リリアナの勢いは衰えることを知らない。さすがに目の前の光景が恐ろしくなってきた。

 「おい、お茶も飲んどけ。そんなに勢いよく食ってたら喉に詰まらすぞ」

 コップにお茶を注いでリリアナに差し出すと、彼女は疑惑の目を向けてくる。

 「まさか何か盛ってないだろうな?」

 「さすがにそんな卑劣なことはしねぇよっ! 俺をなんだと思ってんだ、お前」

 ほんとだぞ、マジで。飲食でそんな真似したら天国のおばあちゃんに合わせる顔がない。

 リリアナはいぶかしげな表情を浮かべたまま、お茶を飲んだ。油まみれの口がすっきりしたのか、それからさらにペースを上げて、あっという間に二の重を完食した。

 彼女は口元をブラウスのすそでゴシゴシと拭うと、ウインクしながら、片手でバキュンと俺のハートを射抜く。

 「チェックメイトだ、テツロー。そろそろ負けを認めるか?」

 「ちっ、この暴食女が」

 カッコつけやがって、なんだそのポーズは。必ず仕留めるって合図か? それと服で口を拭うのはやめなさい。油汚れは落ちにくいんだぞ。

 リリアナは最後の重箱の蓋を開けると、馬鹿にしたようにフッと鼻で笑う。

 「最後は何が来るかと思えば、ただのおにぎりじゃないか。テツロー、お前は私を舐めているのか」

 「そうか。やはりお前はそう答えるよな」

 そう言って俺が得意げに笑うと、彼女は不思議そうな顔をしてこちらを眺めた。重箱に敷き詰められたおにぎりを手に取り、警戒しながらも口に運ぶ。

 「なにを企んでるのか知らんが、これで終わり――」

 おにぎりを口に含んだリリアナの動きがぴたりと止まる。さあ、種明かしの時間だ。

 「ん? これは……ミートボールか」

 「リリアナ、お前の食べ方は優秀だよ。先に前菜、主菜を食べて最後に主食の炭水化物を取る。この順番は血糖値の上昇を抑えるには実に効率的だ。腐ってもさすがお嬢様と言ったところか」

 「いや、そんなつもりはまったくないが。どちらかと言えば、私は好きなものから食べる派だな」

 リリアナは「何言ってんだこいつ」という表情でこちらを見ている。……そうすっか。いや、お前は好きなものしか食べない派だろ。

 「……ま、まぁ、聞け。そう、おにぎりの中にはミートボールが詰まっているっ! 終盤、ここに来て思わぬ伏兵。精神的にかなりきついだろう。お前の行動は実に読みやすかったよ。真面まともな人間なら主食はないのかで早々にバレてしまうがな」

 念には念を入れて、地獄の三段コースなんて大層な名前をつけて、一段ずつ食べるように誘導した。これがわざわざ重箱を用意した理由だ。

 天国のおばあちゃん? ミートボールはおにぎりの具だからセーフ。フハハハハ、苦しめ、暴食女。

 リリアナは俺の高笑いを聞いて押し黙る。すると、ようやく観念したのか、重い口を開いた。

 「……そうか。だが、こんなもの、なんてことはない」

 「負け惜しみか? みっともな――」

 リリアナは目を閉じて、すうっと大きく息を吸い込む。

 ――瞬間、おにぎりを両手に持つと、怒涛の勢いで交互に貪り始めた。いや、お前どこのおむすび大将だよっ! そんな食い方する奴、リアルで初めて見たわ。

 俺が唖然あぜんとしていると、見る見るうちに三の重がなくなっていく。

 なん……だ……と、また俺は負けるのか。こんなあっさりと、何食わぬ顔したこの――、いや、めっちゃ食いまくってるが。この女に俺は……。

 「ふう、満足満足。テツロー、私の勝ちだ。さぁ、なにか言うことがあるだろう?」

 「こ、この化け物め……」

 自慢の三段重さんだんがさねを全て平らげたリリアナは、余裕の表情でソファに寝っころがった。俺は悔しさのあまり、握り締めた拳がわなわな震える。

 「そうだな。今回のお前に免じて、今後は少しは抑えてや――ゲプッ」

 ん? こいつ、今もしかして……。

 仰向けでソファに寝そべるリリアナは身体をぐるっと半回転させて俺に背を向ける。

 「……てめぇ、明らかに無理して食ってるじゃねえかっ!」

 「無理などしていない。ちょっと休んでいるだけだ」

 背を向けるリリアナは、ばつが悪そうにもごもごとした口調で答える。

 「嘘だっ! 腹を見せてみろ。どうせパンパンだろうがっ!」

 確信を持った俺がリリアナに詰め寄ると、彼女は腕を出して制止をうながす。

 「レディに向かって腹を見せろだと。し、しつれいな男だな」

 「さっきゲップしてた女が言うんじゃねえっ!」

 この女……、負けず嫌いすぎる。明らかに動揺してんじゃねえか。しかし、俺から手を出すわけにもいかない。というか後が怖い。

 俺が何もできずに立ち往生おうじょうしていると、不意にリリアナは身体を戻す。再び仰向けの体勢になると、天井を見上げて茫然ぼうぜんと呟いた。

 「……なあ、テツロー」

 「あん? なんだよ」

 彼女はこちらに顔を向けると、未だかつてない心細げな表情を見せた。心なしか目には涙を浮かべている気がする。

 「……お、お腹がはち切れそうだ。き、きもちわるい。どうすればいい……」

 リリアナは目じりに涙を溜めて、助けを求める。そんな彼女を見て、俺の抑えつけられた感情は一気に爆発した。

 「お、お前、食い倒れ太郎かよっ! 腹空かせた野良犬でもそこまで食ったりしねぇぞ。満腹中枢イカてんじゃねぇのか。フハハハハ、俺の勝ちだっ!」

 ……やっと勝てた。これが勝利ってヤツか。高揚感こうようかんに包まれていく。

 俺が勝利の余韻よいんに浸っていた、そのときである。

 リリアナは俺の腕を掴んでソファに引きずり込む。後ろから俺の首に両腕を回すと、大きな胸を押し潰す勢いでぐいっと自分のほうへ抱き寄せた。

 「お、おい。お前は突然何を……」

 ぐおおおおおおおおお、また背中におっぱいが。今度は上から乗せてるなんて生易しいもんじゃない。なんて圧力、いや乳圧っ!

 俺がパイパイパニックを起こしていると、リリアナは耳元で囁くように告げる。

 「……もういい。このまま吐いてやる」

 ……え、今こいつなんて言った? 嘘だよね、そうだと言ってくれ。

 「お、おいっ! 冗談だろ、馬鹿やめろ。仕方ねぇ、介抱してやるから……」

 「も、もうだめだ……」

 後ろを見ると、目に涙を浮かべるリリアナは今にも吐きそうな青い顔をして、ぎゅっと俺を抱きしめる。俺はこれから起こることを理解した瞬間、頭からさあっと血の気が引くのがわかった。もはや、パイパイどころではない。目には自然と涙があふれた。

 「おでがいじまずうううう。あやまりますから、やめでぐだざいいいっ――!」

 俺は涙を流して必死に懇願する。リリアナの返事はない。半ば諦めて目を伏せると、ガラッと部屋の扉が開いた。

 「どうしたっ! 何の騒ぎ――って、な、なにをやっているんだお前ら……」


 俺とリリアナは顔面蒼白がんめんそうはく嗚咽おえつを漏らす。そんな異様な光景に、工藤先生は本気でドン引きしていた。

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