第9話 暴食と青春②
夕食を終えて、明日の下ごしらえをする。
フハハハハ、我ながら素晴らしい作戦だ。昨日からリリアナの食事を見ていて、俺は今日、ある確信を得た。そこは突けばあいつは間違いなくこちらの罠に嵌まる。
そのためにも、俺は未開封の引っ越し荷物から例の代物を引っ張りだした。久しぶりに使うなこれ、中学以来か。明日が楽しみだよ、なあリリアナ。
俺が一人高笑いをしていると、リビングの扉が開く。現れたのは身体からほかほかと湯気を立てるうちの母さん。
「……母さん、またそんな恰好でウロウロして」
「だってあついんだもーん」
俺は呆れてため息をつく。母さんは俺の小言を背中で聞きながら、手で顔をパタパタと
「いい歳して『だもーん』はやめてくれ」
「えー、ママはまだ三十六歳よ、三十六歳。この間だって大学生にナンパされちゃったし。もちろんパパがいるから断ったけど~」
それを聞いた俺は、なんとも言えない気持ちとなり、なぜか胸がきゅっとなった。一方、母さんは冷えたお茶をコップに注ぐと、それを
「ナンパされた報告なんて息子にすんなよ。背筋がぞっとしたわ」
息子の俺が言うのもなんだが、母さんは本当に若く見える。ゆるふわウェーブのおっとり女子大生と言われても十分通用する。大学の
そういうわけで息子としては、気になる質問をしてみたくなるのだ。
「母さんって再婚とか考えてないの?」
俺がそう言うと、お茶を飲んでいた母さんはびくっと肩を震わせて、涙目で
「テツくん、なんでそんなこと言うの? 一生ママを養う約束、忘れてないよね……」
「そんな約束してねぇよっ! そうじゃなくて、まだ若いんだから良い人探せばいいのに」
……このおばさん、俺に一生養ってもらう気だったのか。いやいや、俺にそんな
母さんは
「うーん、それはいいかな。テツくんいるし」
だから俺にそんな
とまあ、さっきやってたドラマの話は置いといて、俺がさっさと自立でもしないと無理そうだなこりゃ。それにしても凄いどんでん返しだったな、あのドラマ。
そんなことを考えていると、母さんは台所にいる俺を眺めながら、楽しそうに微笑んでいる。
「なんだよ、さっきからニヤニヤして気持ち悪い」
「だって、嬉しくって。それ明日のお弁当でしょ? 新しいお友達に食べてもらうんだよね。テツくんちょっとだけ口が悪いからママ心配してたの」
母さんは
「それにしてもたくさん作ってるね。この分だと友達百人も夢じゃないかな」
「……ああ、そうだね」
まぁ、そう見えるよね。みんなでどこに遠足行くんだって量だし。でも母さん、これ友達一人で食うんだぜ。……嘘みたいだろ。いや、あいつは友達じゃねーけど。
母さんは息子の友達に
「それでそれで、女の子はいるのかな?」
「ああ、いるよ」
むしろ女しかいない。あれ、今のセリフはハーレム主人公っぽいな。ヒロインは暴食のリリアナと氷の女王キョーコ。なんか急に学園異能バトルが始まりそう。
母さんは腰を浮かせて、「どんな子どんな子」と興奮した顔で聞いてくる。まぁ、嘘をつくときは少しだけ真実を混ぜるといいらしい。
「そいつがよく食べる奴でさ」
「ええー、良いじゃない。ママ好きよ、たくさん食べる子。元気があって魅力的ね」
母さんは両手を叩いて、息子の恋愛にキャーキャーと歓喜の声をあげる。
限度があるけどな。よく食べ過ぎて、息子の試験は
「それにテツくんはパパに似てイケメンだから大丈夫」
またそれか。なに、俺の父さんハーレム主人公だったの? とらぶってたの? 羨ましいなぁ、なんで俺は転校初日からぼっちだったの?
ふと、昨日二人の女性から
「なあ、母さん。この
母さんは小首を傾げてしばし考えると、優しい口調で語りかける。
「うーん、パパは眼鏡かけてなかったけど。テツくんはそれでいいんじゃないかな」
「母さん……」
さすがうちの母さんだ。美的センスの塊だ。そもそもあの二人になんて言われようが、関係なかったな。俺としたことが自分のセンスを少しばかり疑ってしまった。
「……まぁ、ちょっとダサいと思うけど」
「やっぱりダサいのかよっ!」
母さんは気まずそうに笑うと、はっと思い出したようにポンと手を叩く。
「でも大丈夫。ギャップ萌えがあるからっ! 普段は冴えない眼鏡っ娘がふと眼鏡を外したときキュンとする、みたいな展開がきっとあるからっ!」
そんなこと現実じゃ起きねーよ。冴えない彼女は冴えないままだよ。
「もういいよ。で、そっちはどうなの。ピアノ教室は順調?」
母さんは学生時代の恩師から誘いを受けて、今春から子供向けのピアノ教室を共同経営することになった。なんでも恩師の女性はお年を召した方で、現在ピアノ教室は休講中。今後は実質母さんが切り盛りすることになるらしい。
俺の問いに、母さんはがっくりとうなだれると、今後の予定なのだろうか、確認するように指で数えていく。
「来月再開予定だから、今は事務作業ばかりね。通帳や賃貸契約、その
頭を抱えたくなるような内容だった。聞いてるだけで嫌になってくる。そもそも、楽しくピアノ弾いてるイメージしかない母さんにそんな事務作業ができるのか心配だ。
「休みの日なら俺も手伝えるから。あまり役に立てそうもないけど」
「ほんと? あっ、でも駄目よ。テツくんは新しいお友達からお誘いあるかもでしょ?」
母さんは嬉しそうに瞳を輝かせている。ねーよ、そんなもん。……やばい、心が痛くなってきた。俺は思わず視線を落とす。
「わかった。じゃあ何もなかったら手伝うよ」
「その時はお願いね。じゃあ、ママは明日も早いからそろそろ寝ようかな」
母さんは疲れたように目を閉じると、小さく欠伸を漏らした。
「おやすみ。髪はちゃんと乾かしてから寝ろよ」
「は~い」
母さんは無邪気な笑顔で気の抜けた返事をすると、ふらふらと力なく歩いて寝室に向かう。
やれやれ、一体どっちが母親なんだが。俺も下ごしらえはこれで終わった。後は明日のお楽しみだ。待ってろよ、リリアナ。
すると、寝室に向かったはずの母さんが後ろから俺の頭を撫でる。俺がきょとんとした顔をしていると、母さんは穏やかな笑みを浮かべていた。
「なんだかこんなに楽しそうなテツくん見るのも久しぶりだなと思って。いつだったかな? 朝ドラにはまってたとき以来かな」
そんなこと憶えてんのかよ。あのときは放課後、即帰宅して録画見てたけど。なんなら朝遅刻してリアルタイムで視聴してた。はまりすぎだろ、俺。
でもまぁ、子供っぽかろうが、俺の母親だ。たった二人の家族だ。ちゃんと俺のことを見守ってくれている、それが素直に嬉しかった。
「まぁ……、いろいろあるけど、学校のほうはなんとかやっていくよ。つーか、よしよしって俺のこと何歳だと思ってんの? そろそろ子離れしろ」
気恥ずかしさをごまかすように憎まれ口を叩く。そんな俺を見て、母さんは安心したように微笑んだ。
「ママはパパによく撫でてもらってたけど。それにテツくんは何歳になってもママの可愛いテツくんなのっ!」
「父さんの影響かよ」
もしかして父さんは天然ジゴロだったの? 天然×天然で我ながらよく俺みたいなのが生まれたな。
俺の頭を撫でる母さんは、何か思いついたのか、今度は俺の腕を取ってべったりと身体を寄せてくる。
「それじゃあ、ママの考えたおやすみのチュー」
「ば、馬鹿、やめろ。恥ずかしい」
まったく、これじゃまるで俺がマザコンみたいじゃないか。まぁでも、男なんてみんなマザコンだろ。
要するに、俺の母さんはとにかくかわいい。
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