第8話 暴食と青春①

 昼休み。

 俺は今日もまた、北棟の物置部屋を訪れていた。リリアナと結んだ契約に従い、昼食の弁当を提供する。今なら無料サービスでなんとお茶までついてくる。それは俺の持って生まれた慈悲じひの心に他ならない。

 昨日、判明した事実が三つある。一つ目、北棟は旧教室棟で今は使われていないこと。二つ目、この棟の支配者、リリアナ・九條・ダリは俺と同じ二年生だということ。三つ目、そんな彼女は現代に降臨こうりんした稀代きたいの暴君だということ。……こいつ、もしや転生者か?

 性格はともかく、どうしてこんな美少女が埃かぶった部屋で引きこもり学園生活を送っているのか、それは俺にもわからない。別に知りたくもないし、見返りに逃げ場所さえ提供してもらえば満足なのだ。お互いクールな関係で行こう。

 目の前で弁当をガツガツとむさぼり食うリリアナを眺めながら、俺はのろのろと箸を進める。

 「テツロー。やっぱり卵焼きは甘いのに限るな」

 「ああ、お前の分だけ砂糖マシマシにしてやったぞ」

 リリアナは箸で卵焼きを掴みあげると、まるで宝石を見るかのように目をキラキラさせる。

 「テツローっ! この唐揚げもうまいぞっ! 味がしみ込んでるのに、外はカリッとしている」

 「ああ、一晩タレに漬け込んで、今日の朝、揚げたからな」

 リリアナは唐揚げを口に咥えたまま、感心したように目を見開く。

 「テツロー……。これはなんだ? ……おい、まさか野菜じゃないよな」

 「…………」

 リリアナはひじき煮をつつき回すと、こちらに疑いの目を向ける。

 まぁ、いいんだけどさ。いきなり呼び捨てかよっ! なに、これが世界標準グローバルスタンダードってやつなの。それと感想は嬉しいと言ったが、いちいちうるせぇ落ち着け。

 彼女は俺の返事を待ちもせずに、顔を七変化させながら、次々とおかずを口に運んでいく。いるよな、質問しておいて話聞かない奴。ぶん殴りたくなる。

 それはさておき、かくいう俺もリリアナと呼び捨てにしてるわけだが、ジョンとメアリーのおかげでファーストネームで呼ぶことにそれほど抵抗感はない。誰って? ほら、中学の教科書にいたろ、あいつらだ。

 最後に残った白飯を勢いよくかき込むと、あれだけ騒がしかったリリアナは急に借りてきた猫のように大人しくなった。

 「……うまかったが、物足りないな」

 彼女は空になった弁当箱を置いて立ち上がると、窓側の机に向かう。

 「ん? ご飯足りなかったか。俺と同じ量にしたはずなんだが」

 俺がそう尋ねると、彼女は机の引き出しを物色しながら、不機嫌そうな声で答える。

 「この私をもやしっ子のお前と一緒にするな」

 「ばっか、お前。これでも成人男性一食分は十分に満たしてんだよ」

 むしろ、お前が野菜NGだから弁当のカロリーもマシマシなんだよ。同じもの食べてる母さんまで太ったらどうしてくれんだ。

 リリアナは例のごとくパンッパンになったビニール袋を片手に戻ってくると、それをテーブルに放り投げた。

 「だったら、明日からはこれで頼む」

 腕を組んで仁王立におうだちになった彼女は大きな胸元近くで小さなVサインを作る。いや、どこのエリート王子だよ。口で言え、口で。

 「あん? 二食分食うってか。お前ほんとに食えんのかよ。お残しは許しまへんでェ!」

 リリアナは俺の関西弁を華麗かれいにスルーすると、呆れたような顔で、首を横に振る。

 「何を勘違いしている。二食じゃない、二日だ」

 彼女の言葉に一瞬固まる。……あぁ、俺の聞き間違いだろ。そうだと言ってくれ。

 「二日っ!? 何を言ってんだ。冗談はよせ、頭おかしいのかお前」

 「冗談ではない。本気だ」

 リリアナはビニール袋から煎餅せんべいを取り出すと、ボリボリとかじりながらソファに座る。昨日と同じ光景に見えたが、俺は一つ違和感を覚えた。

 「ちょっと待て。お前、昨日の駄菓子はどうした? 煎餅せんべいなんてなかったろ」

 恐る恐る尋ねると、彼女はさも当然のようにふんぞり返って口を開く。

 「おかしなことを言う。昨日のお菓子なら昨日食べたに決まっている」

 「は? どんだけあったと――」

 ――いや待て。昨日、金の話をしたとき、こいつは二万と言ったよな。一食四千円と思ってたのが六等分だから、約六百七十円。あれ? OLのランチよりお手頃じゃん。なにが高級店だよ、こいつしっかり計算してやがったっ!

 俺は騙された気分でリリアナを睨みつける。彼女は不思議そうな顔をして小首をかしげた。この女、惚けやがって。そんな顔しても可愛さは六等分だぞ。

 それに、金の話はともかく、無理なもんは無理だ。

 「いやいや、リリアナさん。朝から弁当六食も作れませんよ。俺と母さんの分もあるんですよ」

 「大丈夫作れるさ。でなければ全国のお母さんは家族でピクニックに行くとき、どうしているんだ?」

 リリアナはやれやれと大げさに肩をすくめて、馬鹿にしくさった笑みを浮かべた。その姿を見て、穏便に済まそうと下手したてに出た自分の甘さを嘲笑あざわらった。

 「だからっ! テメーは毎日がスペシャルデイかよっ! ハピネスキメて幸せチャージなの? 毎日はエブリデイなんだよ。お前はもっと常識を知れっ!」

 自分でも何を言ってるのかわからなくなった。しかし、暴言、暴力ときて次は暴食かよ。こいつどんだけ暴れん坊なんだよ。

 リリアナは頬杖ほおづえをついて、上目がちにこちらをキッと睨みつける。それから、酷く冷えた声でにべもなく言い放つ。

 「契約の条件、一つ目。私のリクエストに応えること」

 「だから、それは『常識の範囲内で』だろ。毎朝俺を何時起きさせる気だよ、お前」

 俺が呆れてそう言うと、彼女はフッと鼻で笑い、縦に巻かれた髪を手で払った。

 「私は言ったよな、『成果には報酬を』と。お前の労働に対して契約を結んだ覚えはない」

 「はあ? なにを言って――」

 一瞬なにを言ってるのか全くわからなかったが、彼女の意図を理解する。俺たちの契約は雇用契約ではない、あくまで業務委託契約だ。要するにこの女は俺が毎朝何時に起きようが、弁当さえ提供すれば知ったことではないのだ。

 「なっ……。だ、だとしても、一日に六食は成果としても常識の範囲外だろ。それに明後日は実力試験なのにそんな余裕はねぇよ」

 自分でも至極しごく真っ当な考えだと思う。こいつの常識がイカれてるのだ。

 リリアナは俺を心底見下したような目で見ると、ひときわ大きなため息をつく。

 「やれやれ、なにを言うかと思えば今度は自分の都合か。わかったわかった。『全然問題ないぞ』などと大口叩いたくせに、所詮は学生の幼稚なおままごとか。お前にはガッカリしたよ、テツロー」

 彼女の言葉に俺は自分の耳を疑った。

 ……おい、こいつ今なんていった。幼稚なおままごと……だ……と? 俺の母さんはな、カップ麺すら上手に作れねぇんだよっ! 宇佐見家の台所を預かってきた主夫歴八年を舐めんじゃねーぞ。

 俺は爆発寸前の怒りを抑えてギリギリと歯ぎしりをする。そのまま怒りに任せて暴れてやろうかと考えたが、それは違うだろう。これは誇りの問題だ。

 リリアナは頭を掻きながら、俺をさげすむような口調で話を続ける。

 「仕方ない。今回は器の大きいこの私が、お前のちっぽけな常識とやらに合わせてやる。それで、何食ならいいんだ?」

 「……六食だ」

 俺は銀縁眼鏡ぎんぶちめがねを指で押し上げて、眼鏡の奥から鋭い眼光を放つ。

 「いいだろう、お前の安い挑発に乗ってやる。お前は俺の誇りを傷つけた。『もう食べられません。許してください、テツロー様』と言わせてやる」

 「うむ、その意気だ。だったら私は『お粗末さまでございます、リリアナ様』と言わせてやる。明日は楽しみにしているぞ、テツロー」

 リリアナは満面の笑みを向けると、再び煎餅せんべいをバリバリと食べ始める。いや、俺キレてんだけどなぁ、噛み合わねぇな。

 かくして、俺はまんまとリリアナの口車に乗せられ、勝負を挑むことになった。だがまぁ、男にはどうしても戦いを避けちゃならねぇ時がある。

 試験勉強? そんなものより男にはどうしても戦いを……。うーん、やっぱり先延ばしにしませんか? リリアナさん……。

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