第7話 迷い兎と眠り姫⑦【完】

 長く感じた昼休みもあと少し。こうやって落ち着いてみると会話に困る。そろそろ教室に戻るため、俺は残りわずかな弁当をかき込んだ。

 空になった弁当箱と水筒をランチバックに戻して立ち上がると、ちらりと九條の様子を見る。ベットに寝そべる彼女は、レポート用紙を面倒くさそうに眺めながら、駄菓子を摘まんでいた。

 「そろそろ戻るよ。邪魔したな」

 彼女はこちらを横目で一瞥いちべつすると、駄菓子を口に咥えたまま軽くうんと頷いた。

 とことん可愛げのねぇ女だ……。俺はそれに苦笑しながら、重い足取りであの教室に戻る。

 明日から昼休みはどうしようか。まあ、今日の酷い出来事に比べたら、教室で惨めにぼっち飯なんて些末さまつなことだ。冷静に考えて一日に同じ女の子に二度、いや実質三度も泣かされるって我ながらやべぇよ。

 つい自嘲じちょう気味に笑うと、後ろから声が聞こえた。

 「おい、宇佐見だったか? 弁当、うまかったぞ。……まあ、機会があれば、また食べてやってもいい……」

 九條の予期せぬ賛辞さんじの言葉に思わず振り返る。ソファに寝そべる彼女の表情はレポート用紙に隠れてよく見えなかった。

 な、なんだよ急に。さっきまで暴虐ぼうぎゃくの限りを尽くしてたくせに……。最後にちょっと優しくされたからって簡単にほだされると思うなよっ!

 ……まぁでも、本当は悪いやつじゃないかも。いや待て、なんかとんでもない沼にはまってやしないか、俺。

 真面目な話、こと弁当に関しては九條は一貫して俺を褒めてくれていた。

 その言葉だけは、素直に受け取ってあげない……こともない。

 感想をくれるのは母さんだけだった俺の料理を褒めてくれたんだ。嬉しくないといえば嘘になる。

 ――俺は一つの決断をする。

 「まぁ、惨めな目より、酷い目のほうがマシか……」

 テーブルへ戻ると、彼女と向かい合うようにソファに腰掛ける。そっと目を閉じて乱れた心をととのえると、一つ咳払いをして話を始めた。

 「くっ、九條だっけか? 一つ提案があるんだが。いいか?」

 「……ちょっとまて」

 俺の提案に興味を示したのか、九條はレポート用紙をテーブルに投げ捨てると、ソファから起き上がりあぐらをかいた。スカートから真っ白な太ももとナマ足が大胆に見え、自然と目が吸い寄せられる。

 行儀悪いな、パンツ見えちゃうぞ。こいつノーブラだったし、まさかノーパンってことはないよな。まさかな……。

 「で、提案とはなんだ? 言ってみろ」

 そんな馬鹿な妄想としていると、九條は珍しく真剣な表情でこちらを向いていた。今はそういう空気じゃないよな。すまん、素直に謝る。

 俺は仕切り直すように大きく咳払いをして、少し間を置いて言葉を続ける。

 「お前の言うとおり、俺は教室から逃げてきた哀れな転校生でな。迷いに迷って行き着いた先がここなんだ」

 「それで?」

 嫌味の一つでも言うかと思ったが、顔色をうかがうと馬鹿にした風でもない。

 ここが何の部屋なのか未だにわからないけど、工藤先生が何も言わないってことはこいつが実効支配してるのは間違いないんだろう。俺は意を決して、本題に入る。

 「お、お前さえ良ければ、しばらくここを使わせてほしい……。もちろんお礼はするつもりだ。お前の分の昼飯も俺が用意してやる。ジャンクフードばっか食ってるお前にとっても悪い提案じゃないと思う」

 九條は冷静に品定めでもするように、こちらをじっと見ている。しばらく顎に手を当てて考えにふけっていた。さながら、俺はお奉行様ぶぎょうさまの判決を待つ下手人げしゅにんのような気分だ。

 そして、判決が下される。

 「三つ条件がある。一つ目、弁当は私のリクエストに応えること。もちろん、常識の範囲内だ。無茶な要求はするつもりはない」

 こいつに常識があるのか定かではないが、弁当の中身についてはむしろ大歓迎だ。メニューを考えるのも一苦労なので、リクエストは正直ありがたい。つーか、三つもあんのかよ。

 俺が軽く頷くと彼女は話を続ける。

 「二つ目、冷凍食品や店に売ってる惣菜はなしだ。手作り弁当でないと認めない。まぁ、手作りでも手抜きをするようなら一つ目の条件で是正させてもらうがな」

 九條はふふんと得意げに大きな胸を反らす。

 言われるまでもない。そもそも俺はあんな油っこい惣菜は買わないし、冷凍食品なんて邪道なものは買ったことがない。

 「そんなことでいいのか? 全然問題ないぞ」

 平然と答えると、彼女は肩透かしを食らったかのように大きな目をぱちりと開いた。

 「そ、そうか。では最後の一つ。これが最も重要なんだが……」

 「お、おう……」

 九條はもったいぶるように間を置いた。俺はそんな彼女を、息を飲むように見つめる。

 「三つ目、私を満足させること。以上だ」

 そう言って彼女は無邪気な笑みを浮かべた。

 ちくしょう、やっぱり可愛いなこいつ。油断してるとうっかり惚れちまいそうになる。いかん、トラウマを思い出せ、トラウマ。

 「しっかし、最後にえらく抽象的なもんがきたな。幸福を追求する権利かよ」

 「まあ、そのようなものだ。解釈はお前に任せる」

 もっとひどい無理難題をふっかけてくると覚悟してただけに、拍子抜けした気分で最後の条件にこくりと頷いた。

 「では、お金の話に移ろう。そうだな……、とりあえず一週間単位でいいか」

 「いや、金なんて……」

 九條は再び顎に手を当てて考え込んだ。母さんの分も一緒に作ってるし、二食が三食になるだけだ。手間も食材も、部屋代だと思えばお金を貰うほどじゃない。

 「二万でどうだ?」

 「は? 二万?」

 ということは一週間五食として、一食四千円? どこの高級店だよっ! いやまぁ、悪い気はしないけどさ。普通のバイトより遥かに儲かると思う。

 なにを勘違いしたのか、九條はしゅんとした顔を見せる。

 「ん? 少なかったか。だったら……」

 「いやいやいや、待て待て。こっちが詐欺働いてるみたいだ。いくらお前がお嬢様と言っても、同じ学生相手からそんな大金受け取れねぇよ」

 俺は慌ててぶんぶんと手を振り否定した。

 「そう深く考える必要はない。成果には報酬を、至極当然しごくとうぜんの契約だ。それともお前はこの私に物乞いをしろというのか?」

 その決意の固さに半ば押されるかたちで、俺はしぶしぶ承知をする。

 「……わかったよ。じゃあ、食材費だけだ。追加でお前の分を作るくらい大した手間でもないからな」

 「そうか……、お前がそういうなら私はかまわないが。では、これで契約成立だ。そろそろ昼休みも終わりだ。さっさと教室に戻れ」

 九條はしっしと手を振って、俺を追い出しにかかる。

 このまま教室に戻るのもやぶさかではないが、ここは俺がきっちり筋を通すべきだろう。

 ……まぁ、最後まで真剣に話を聞いてくれたことには、感謝くらいしてるんだ。

 「二年一組、宇佐見哲郎……。よろしく頼む」

 俺はすっと立ち上がり、テーブル越しに手を差し出す。らしくないことだと気恥ずかしくなりながら、彼女を見つめて言葉を紡ぎ出す。

 「……ほら、初めましての握手だ。幼稚園児でも理解できる礼儀作法だろ?」

 「今さら、自己紹介か……。それに、あれだけこっぴどくやられて握手とは。お前、もしかしてマゾか?」

 「おい、やんなよ? やんなよ?」

 九條は自嘲じちょう気味に笑うと、いらずらっぽく目をきらきらさせて、俺の手を掴む。

 「二年十組、リリアナ・九條・ダリ。私のことはリリアナと呼んでくれ。こちらこそ、よろしく頼むぞ、テツローっ!」

 リリアナの言う通り、俺たちはほんっとに今さらな自己紹介をした。

 そしてこの日、俺は一人の少女とおとぎ話のような運命的な出会いをした……のかもしれない。


 転校初日の昼休み。誰もいない北棟の物置部屋で二人っきり。

 終焉しゅうえんを告げる鐘の音を掻き消すように、断末魔だんまつまの叫びが部屋の中に響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る