第4話 迷い兎と眠り姫④

 「そうだ。良いものがあるんだ」

 とだけ言うと、少女は窓側の机へ駆け寄り、引き出しをひとつひとつ開けて物色し始めた。

 なんだ? 物置部屋だけに缶詰でもストックしてるのか、この女。

 しばらくすると、彼女は嬉々とした表情を浮かべて戻ってきた。片手には中身がパンッパンに詰まったビニール袋をぶら下げている。それをテーブルに放り投げると、勢いで中身が溢れる。

 「あん? まさかお前、これで米を食えってか」

 はいはい、出ましたっ! 駄菓子。「ほら、駄菓子って意外とご飯のおかずになるんですよ?」ってテレビでたまに見るやつね。

 ポテチのふりかけだの、あずきバーで作る赤飯だの、実は魚肉のすり身なカツで作るカツ丼だの。あんなものは意外性でしかない。普通の食材で作るほうが万倍旨くてコスパも良い。

 ふと、おばあちゃんにゲンコツ喰らった思い出が蘇る。旨いもんを掛け合わせたらさらに旨いもんが出来るに違いないと考えた俺は、興味本位で白米にイチゴジャムをぶっかけた。あのときの鬼の形相は今も脳裏に焼き付いている。

 つーか、駄菓子ってこいつ本当に金持ちのお嬢様かよ。

 「まぁ見てろ。お前のはこれだ」

 少女は手に持った銀色のパックを見せつけるようにかかげた。英語表記でデザインは至ってシンプル。俺は銀縁眼鏡ぎんぶちめがねを指で押し上げて、目を凝らす。

 「クリ……なんだ、海外の駄菓子か?」

 「これを……、こうするっ!」

 彼女は銀色のパックを胸元に引き寄せると、両手で力強く握り潰していく。パックからはシャカシャカと中身が砕ける音がする。

 あー、スナック菓子か? なるほど……、細かく砕いてふりかけにする気のようですね。定番のパターンとは芸のないヤツだっ!

 「よし、これくらいでいいだろ」

 準備は終わったのか、彼女はこちらに手を差し出すと、弁当箱を渡すように目で促す。

 まぁ、昔みたいに頭ごなしに駄菓子だからと否定するのも品がない。十分に味わったうえで、己の愚かさを教えてやろうではないか。料理に関してはこちらが上手なはず。俺はやれやれとばかりにため息をついて、彼女に弁当箱を渡した。

 「いや、自販機でたまたま見つけてな。その場のノリで買ったはいいが、なかなか食べる機会がなかったんだ。ちょうど良かったよ」

 彼女はパックを開けると、豪快にご飯の上にぶっかけた。最後の一欠片ひとかけらまでふりかけると、茶色い物体がてんこ盛りになった弁当をこちらに差し出す。

 俺はごくりと息を飲んで、その不気味な弁当を受け取った。眼鏡をずらして目頭めがしらを押さえる。それから、ふぅと一息ついて、それを凝視する。

 ――その瞬間、黒黒くろぐろした目玉らしきモノと目が合った。

 血の気が一気に引くのがわかる。弁当を持つ指はがたがたと震えていた。

 「……おおお、お、お前、これまさか……」

 「クリケット。食用コオロギだ。さあ、食え」

 少女は空になったパックを指差して、笑顔でそう答えた。俺は驚愕きょうがくのあまり開いた口が塞がらず、押し黙る。

 「……うっ」

 うぎゃあああああああああああ、もう謝ったでしょおぉぉおぉ――っ! なんなの、まだ許してないの? 鬼なの? 悪魔なの? なんで天使のような笑みを浮かべてんのっ!?

 昨今さっこん情勢じょうせいかんがみて駄菓子はまだいい。だが昆虫は完全にアウトだ。論外だ。書類選考落ちだっ!

 「ん? どうした。今度はお前の番だ。料理の感想を聞かせてくれ」

 料理……だ……と? 虫けら砕いてふりかけただけのこれが?

 俺は静かに弁当をテーブルに置いた。彼女は心底不思議そうな顔でこちらを見ている。

 駄目だこれは。おばあちゃんに代わってこの俺がっ! この世間知らずのお嬢様に道理を教えてやらねばなるまい。口喧嘩では敵わないが、なにちょっと脅かすだけだ。女の子に暴力をふるうほど俺は愚かではない。

 天地神明てんちしんめいに誓って、先ほど泣かされた仕返しではない。絶対だ。

 俺は勢いよく腕を振り上げて、ぐっと握り拳に力を込める。

 「……おい、てめぇ……。食いもんで遊ぶんじゃねぇ! ぶっころ――」

 躊躇ためらうことなく腕を振り下ろし、テーブルに叩きつけようとしたときである。

 グイッと腕を掴まれると、勢いそのままぐるりと一回り。気づけばテーブルにうつ伏せになる格好で、俺は組み伏せられていた。

 「――すぞ。あ、あれ?」

 「ふむ。食べ物で遊ぶな、か。見た目はあれだが、うまいと思うのだがな」

 背後から声をかけられ、顔だけ振り返る。少女は涼しい顔で完璧に俺の腕をめていた。

 「……おっ、思うだと? だったらお前が先に食って――」

 瞬間、激痛が走る。ギシギシと腕がきしむ音がした。

 「ひぎぃっ! い、痛いいいいい。折れる、折れるぅっ!」

 「よし、では私が食べさせてやろう」

 少女は俺の腕を捻り上げつつ、後ろから覆いかぶさるように抱きついた。背中にすごい柔らかい感触が二つ。

 「お、おいっ! おま、なにして……」

 「んっ……。暴れるな。やりづらいだろう」

 耳元でささやくように彼女は言うと、俺の首筋に生温かい吐息がかかる。俺はドーパミンやらアドレナリンやらが全身を駆け巡るかのようだった。

 痛いし柔らかいし良い匂いするし頭クラクラするし、脳が処理できる限界を超えている。女の子のおっぱいってこんなに柔らかいもんなの。あててんのか、あててんのか。

 半ば昇天していると、彼女はもう片方の手でテーブルにあった箸を取り、山盛りになったアレとご飯を器用に掴む。

 「ほら、あ~ん、だ」

 「お、おれの負けだ。もう勘弁してくれ……」

 涙目で懇願こんがんすると、少女は満面の笑みで俺の腕を握った手に力を込めた。

 「あ~ん」

 「だあぁぁぁぁあああああああああ――――っ!」

 無理やり突っ込まれたアレが口を襲う。吐き出そうと試みたが、しっかり咀嚼そしゃくするように目で促される。

 なんだよこれ、もう中世の拷問だろ……。暴言の次は暴力かよ。一度ならず二度までも、女の子に泣かされるとは……。

 俺は観念して恐る恐る口を動かした。噛み砕いたときのさくっと軽い食感が気持ち悪い。中身は少し塩気がする。俺は咀嚼そしゃくを続けて一気に飲み込んだ。

 口の中に広がるのは…………えびせん?

 「……割といけるなこれ。エビだ、エビ」

 「おおっ! そうだろ、そうだろ? だと思ったんだ」

 覆いかぶさる彼女は興奮気味に背中から身を乗り出す。ああ、そんなに動くと胸が……。

 「さて、私も昼食とするか」

 彼女は俺からさっと手を離すと、テーブルにある駄菓子を無造作に掴む。ソファに寝そべるように腰をかけて、上機嫌にスナック菓子を頬張り始めた。かたや、俺はおっぱいの感触を惜しみつつ、食事を続ける。

 ったく、なんて女だ。だいたい、女子高生がその場のノリで昆虫なんて買うんじゃねえよ。まぁ、見た目も事前に粉々にしてくれたおかげで、慣れたらそんなでもないけど。

 それにあの馬鹿力。片手一本で腕へし折られるかと思った。腕にはくっきりと赤い跡がついている。こんな華奢きゃしゃな女のどこにそんな力があるんだ?

 あんまりじろじろ見ていたせいか、少女は不機嫌そうに眉根まゆねを寄せてこちらを見返してくる。

 「なんだ? これはやらんぞ。私の昼食だ」

 「いらねーよ。つーか昼飯ってなにお前、まさか毎日駄菓子食ってんのか?」

 俺は呆れてそう言うと、彼女は思い出すかのように指で数え始める。

 「さすがに毎日ではないさ。先週はハンバーガー、ポテト、フライドチキン、ピザ、アイスクリームに……」

 「全部ジャンクフードじゃねぇか……。お前、縦巻きのツインテールでいかにもお嬢様な外見しておいて俗世ぞくせにまみれすぎだろ」

 なんだっけ、まるでおとぎ話の眠り姫? いや、俺の幻想なんてとっくに打ち砕かれていたが。

 「私が何を食べようが、私の自由だ。くだらん幻想を私に押し付けるな」

 ひどく冷ややかな声だった。一瞬にしてピリピリと張りつめた空気に支配される。ぞっと背筋に寒いものが走り、探るように彼女の顔を見る。

 虚ろな瞳で天井を見上げる少女は、悲壮感すら滲んでいる。

 やばっ、地雷を踏んでしまったかもしれない。……も、もう痛いのは嫌だ。

 心底ビビりつつ、肩を縮みこませていると、彼女は嗜虐的しぎゃくてきな笑みを浮かべてこちらを見た。

 「それに、ジャンクというのなら、この程度で健康に害を及ぼす人間が欠陥品でガラクタなんだ」

 「耐え切れない人間はジャンクって……、どこの暴君だ、お前……」

 俺が呆れ果ててため息をつくと、彼女はどこか楽しげな口調で話を続ける。

 「その点、私はガラクタどもと違って、この通り完璧なプロポーションを保って……」

 豊満な胸に手を当てて自慢げに語る彼女だったが、不意に動きが止まる。

 その様子を見て俺はある可能性に思い至る。まぁ、そうだわな。

 「おいおい、どうした。まさか腹でも下したか? 人の弁当食っておいて駄菓子は食い過ぎだったなっ!」

 ついつい邪悪な笑みがこぼれそうになったが、何とかこらえた。そうだ、今まさにこの暴君に天誅てんちゅうが下ったのだっ! ま、神様なんて信じちゃいないけど。

 「ほら、さっさとトイレにいっとい――」

 それにしても、さっきから胸に手を当てたまま、硬直したように動かない。

 ……あれ、違ったか? もしかして、母さんが言ってた俗にいう女の子の……。

 あー、やっちまった。最低だ、俺。なんでいつも一言余計なことを、自己嫌悪で死にたくなる。

 俺はがっくりとうなだれるように顔を伏せる。……頼む、殴ってくれっ! 殴って許して貰えるのなら、いくらでも殴ってくれて構わない。

 すると、少女はあっけらかんとした様子で口を開いた。

 「いや、寝るときブラ外したの忘れてた」

 「……は?」

 少女はすっと立ち上がると、流れるようにゆるりと歩を進めてベットに向かう。一方、俺は心を落ち着かせて、彼女の言葉を反芻はんすうしていた。

 「――ちょ、ちょっと待て。ってことはさっきの背中の感触は……」

 っはあぁっ? ナマだったのかっ!

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