第2話 迷い兎と眠り姫②

 昼休み。

 俺はランチバックを片手に一人ぼっちで見知らぬ廊下を歩く。

 自己紹介は問題なかったはずだ。「チョリ~っす、オレ絶賛彼女募集中っす!」だの「ただの人間には興味ありませんっ!」だの、妙なテンションで薄ら寒いギャグもかましていない。名前と出身だけの単純明快な内容だ。

 外見だって問題ないはずだ。体型はやや線が細い自覚はあるものの、背丈は中の上、前髪センター分けの黒い短髪。容姿だって母さんから「テツくんはパパにそっくりのイケメンだぁ~」と言われるし。……身内びいきじゃないぞ、ほんと。

 そんでもって、チャームポイントは何と言っても、この銀縁眼鏡ぎんぶちめがね。チタン製の細フレームが知性と品格を漂わせている。

 見た目はインテリ系イケメンのはずなんだよな。今彼女いないけど。……過去? 野暮なこと聞くなよ。

 まぁ、でも実際、授業の合間に、結構な数のクラスメイトが声をかけてきた。ぶっちゃけ、不味いのはここからだ。さぁ、油断せずに聞こう。

 第一陣、最初の質問は親の職業だった。そしてこれが最後の質問でもあった。ピアノの先生で悪かったな。ファッキュー、ボンボン。

 第二陣、先ほどと比べてだいぶハードルは下がった。好きなユーチューバー? 見ない。好きな音楽? 聞かない。好きな女性のタイプ? 言わない。見事な三猿さんざるだった。結果は散々だった。

 好きな女性といえば、小学生の頃、朝ドラにハマったことを思い出す。主役を演じるのは同年代の可憐な女の子だった。今思えば、あれが俺の初恋だったかもしれない。以来、俺の好みはアップデートされていない。……いつの間にか消えちゃったんだよな、あの娘。子役あるあるであーる。

 そういうわけで、訪れる者は次第に減っていき、気がつけば昼休み。俺は教室で一人ぽつんと座っていた。

 周りを見渡すとある者は集団で学食へ向かい、またある者は机を寄せ合い弁当を広げる。

 一方で、スマホ片手に一人黙々と菓子パンを食べる仔豚みたいな男や、外界との一切の接触を絶つように、ヘッドホンをつけて机にうつ伏せになるポニテの女など、例外はいた。

 あいつら間違いなくぼっちのプロだな。つーか、学校にヘッドホンってなにそれ、ファッションなの? キャラ作りなの? 悪目立ちどころか黒歴史だよそれ。

 とはいえ、転校生の俺はとりわけ一人が目立つ。周囲の憐れむような目がつらい。

 あのまま、涙に濡れた目で縋るような視線を送っていれば、「……い、一緒に食べようか?」なんてほどこしを与えてくれる者が現れたかもしない。

 ヤダヤダ! だってそんなの惨めすぎるだろ?

 かくして俺は、居たたまれずに教室をあとにした次第である。


  ×  ×  ×


 はじめに大規模な食堂を有する南棟を覗いてみたが、思った通り満員御礼。なかでも、屋外に設けられたしゃれたオープンテラスには、いかにも育ちが良さそうな上級国民が優雅なランチタイムを楽しんでいた。

 ふははははは! めっちゃくちゃ高そうなイタリアンだな。よし、こうなったらテツロー自慢のお手製弁当で参戦してやるか。勝負であんたら負かしたら、このテラス席譲ってくんないすか? さぁ、おあがりよっ!

 とまぁ、冗談はさておき、こんなところで弁当を広げて一人飯とかクラスの腫れ物どころではない。俺は諦めてその場を立ち去った。

 それからは半ばさまようのように校内を歩き回った。つーか、クラスメイトが校内を案内してくれるあれ、てっきり強制イベントだと思ってたわー。そうかー、やっぱり現実リアルなんてクソゲーか。

 ……そもそも人ってどうやって仲良くなるんだっけ?

 俺は物心ついてからずっと地方の小さな町に住んでいた。おかげで、決して社交的とは言えないけれど、小中高と周りには顔なじみが少なからずいた。小学生の頃って外で追いかけっこしてたらいつの間にか友達になってたよな。良い時代だった。

 要するに、見知った顔が一人としていない環境に放り込まれたのは生まれて初めての経験なのだ。思えば、これまで自発的に人と関わることがなかった。今更ながら生まれ育った故郷を離れたのだと思い知る。

 はやくおうちに帰りたい……。

 そんなことをうだうだと考えていると、自ずと教室棟から足は遠退き、緑あふれる回廊かいろうを抜けて北棟に辿りついた。

 ツタが生い茂るその建物は他の棟と比べて、ずいぶん年季が入っているように見える。さながら、おとぎ話に出てくる魔女の住む館だ。

 ここなら使っていない教室の一つや二つあるかもしれない。淡い期待を抱きながら、ぎっぎっと不穏な音を立てる扉を開けて棟の中に入る。

 棟内はしんと静まり返り、人の気配はない。真昼間でも日の光のかよわないような辛気臭い場所だった。俺は内心ビクビクしながら、薄暗い廊下を歩く。見上げると、やはりこの建物は使われていないのか、教室のプレートには何も書かれていない。

 そうであればしめたものだ。俺はかたっぱしから教室の扉に手を掛けていくが、世の中そう甘くはなかったのです。ご丁寧に鍵がかかっている。

 ここまで来てそりゃないぜ……。

 三階建ての教室すべてをチェックする時間もないし、そのような根気もさらさらない。一縷いちるの望みをかけて、屋上に向かう。


  ×  ×  ×


 結果は惨敗でしたっ! ……はい。

 苛立ちをごまかすように鍵のかかったドアノブをガチャガチャ回すが、屋上の出入り口は固く閉ざされている。マジかよー。なんでどこも扉閉まってるの? セキュリティ高すぎない? 前の学校は鍵どころか扉開けっ放しのやりっぱなしだったよっ! ……それはそれで不味いか。がくりと肩を落として屋上階段を降りる。

 ……もうここでいいかな、どうせ誰もいやしない。

 いや、しかしいくら人目がないとはいえ、廊下で食事は行儀が悪いんじゃなかろうか。母さんは自由奔放な人だったため、俺は常識、というか礼儀作法はおばあちゃんから学んだ。とりわけ食事に関しては厳しい御仁で、徹底的に叩き込まれた。文字通り叩き込まれた……。

 こんな姿をおばあちゃんに見られたらゲンコツ説教もんだな、と懐かしさを覚えた。そのときである。

 反対側の廊下からひゅうっと風が吹いた。

 振り返ると一番奥に見えるのは少しだけ扉の開いたとある一室。

 み、みつけたっ! ――いや、でも風が吹いたということは部屋の窓が開いてることを意味する。つまり、窓を開けた人間がいるのだ。

 こんな人気のない古びた建物にたたずむ人物。それに興味をそそられなかったと言えば嘘になる。俺は半ば吸い寄せられるように奥の部屋を覗き込んだ。

 その部屋の端っこにはダンボール箱が山積みにされている。他にも学園祭やら体育祭と書かれた看板が横たわり、立派なガラスケースにはトロフィーや賞状が飾られている。あと、少し埃っぽい。物置として使われているのだろうか。

 一方で、部屋の中央にはテーブルを挟んでいかにも高級そうな革張りのソファが二つ。右奥の窓側には校長室に置いてありそうな重厚な机が見える。応接室にあったやつより高いんじゃないかこれ。

 扉の正面にある小窓が開いていたが、部屋には誰もいないようだ。おそらく、清掃員もしくは棟の管理人が部屋の換気でもしているのだろう。

 正直、これは好機チャンスだ。

 今のうちにここを使ってさっさと昼食を済ませてしまおう。なに、相手が生徒や教師でないなら転校生を理由にいくらでも言い逃れはできる。むしろ、我が物顔で「やあ、お仕事ご苦労」とねぎらいの言葉をかけたいくらいだ。俺、学費払ってないけど。

 紙おしぼりでささっとテーブルとソファの埃を拭き取り、ランチバックから弁当と水筒を取り出す。しかし、このソファは座り心地良いな。物置で眠らせておくなら譲ってもらいたい。

 今日のメインはごぼうと牛肉の甘辛煮。先ほどオープンテラスで面食らったイタリアンに比べたら、茶色くて地味なおかずだ。食材費だって何十倍差ついているのだろう。けれど、おばあちゃん直伝の味に関しては勝るとも劣らないと自負している。

 まぁ、かっこつけてみたが、ほんと自負してるだけだからね。だってうちは外食ほとんどしないし、母さんしか食べてくれる相手いないんだもの。毎食「テツくんのお料理は世界一だよぉ~」と褒められたら、勘違いするのは仕方ないよね。とにかく俺の弁当は美味しい。

 ふっと得意げに笑いながら水筒を手にとり、コップのふたを華麗に回す。勢いよく回るコップはさながらバスケのスピニングボール。俺の手を離れたコップはコンッと音を立てて床に落ちると、そのまま窓側に置かれた机の下をころころとくぐり抜ける。少しすると、音は止まった。

 うわっ……、かっこ悪っ! 弁当を自画自賛して調子に乗りすぎたらこれですわ、恥ずかしい。誰も見てないよね? あ、誰もいないか。

 しかし、むこうまで結構距離あるのに見事に転がるもんだな。なんとかスイッチかよ。隙間を縫うだけに。

 ……くだらないこと言ってにやけてる場合じゃないな。間隙かんげきを突いてるだけに。いやほんと、急いで食わないと。

 俺は立ち上がり、コップの転がる先へ向かう。すると、先ほどは死角となって見落としていた机の向こう側に、簡素なパイプベッドがあった。


 ――純白のベッドの上には、一人の少女が眠りについていた。

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