2021/01/03 逆転の塔
お題:【現代舞台の怪奇小説】をテーマにした小説を1時間で完成させる。
猫は嫌いだ。
なんでも、猫が屋敷の地下に迷い込んでから戻ってこないという。それならば探偵でなく配管工の出番なのではと尋ねると、
「無論、配管工を呼びました。しかし一向に戻ってきません」
と依頼主の婦人は言うのである。念のため「いつからですか」と尋ねると、「丸一日ほど」と答える。
人命救助における七十二時間の壁はまだ越えていないが、その手のプロで配管工が戻ってこないのであれば、大事である。
「もし、私が入って」念を押すように言う。「もしも私が中に入ってちょうど二十四時間戻らなければ警察に連絡してください」
重厚な扉を開けて地下に入り込む。下は暗がりでよく見えない。
そのまま扉は開けたままにさせたが、地に足が付いても照明がなければ
一寸先も見えないだろう。
懐中電灯を片手に真下を照らす。
三メートルほど下に黄土色の地面があった。
堅い地層を掘った地下道らしい。
壁に手足を伝わせて、ゆっくりと降りた。登るのも一苦労だろう。
着いた先では前後に道が横穴が続いていた。
さて、どっちか。
その屋敷は大昔に軍が使っていたらしく、大戦が終わったのちに買い取られたらしい。現在の持ち主——つまり婦人は、この家に嫁いできたらしくよく事情は知らないらしい。しかし主人には先立たれて現在は飼い猫と暮らしていた。運悪く地下道の入り口に猫が入り込んでしまい、探偵を呼んだらしい。せめてスーパーマ〇オに頼んでほしい。
破格の依頼料に目が眩んだ俺は地下道に潜らざるを得ないわけだ。
地下道の天井は低く、中腰にならないと歩けない。腰がやられそうで少し怖い。
「誰かいませんかー!」
声を出してみるが、壁面に反響していった声が遠くまで響いていったように聞こえる。
なんのためにこんな穴が必要なのか。
軍が使っていたことから、避難豪の役目を担っていたのだろうと当たりをつけている。
もしかしたらこの先のどこかに出口があるのかもしれない。
ひとまずは猫を探してみるしかない。
舗装された訳でもない地下道には生き物がいた痕跡がある。鼠や土竜だろうか、糞や通り道のような穴が散見された。猫はそれらを食べてしまえば生き長らえるだろう。
しかし、どこまで続いているのだ、この穴は。
狭く暗い通り道、空気が籠りやすい環境だ。自然と湧いてくるこの汗は環境のせいか、それとも冷や汗か。
しばらく歩いていると、横穴の壁に人工物を見つける。壁に手を這わせて歩いていたときにこれまど異なる触覚に気付けた。
それは金属製の扉だった。老朽化して表面は所々錆びている。
かつての軍が敷設したものだろう。
扉の周囲を探しても蝶番が見つからない。したがってこれは押戸だ。
少し迷って、扉を開けた。
「——ウッ……重いな」
扉は異様に重く、大の大人が押し込んでようやく動くほどだ。
少し開いて、空気があることを確認すると、そのまま押し込んだ。終わったころには汗が噴き出ていた。
しかしそこには何もない。道が続いているだけだった。そこから吹き込んでくる空気が冷たく心地よい。この先に出口があるのだろう。
どちらに進むか考える。
「待てよ……」
押戸を閉じていたということは、先に入った配管工や猫はこの先にはいないのでは、と考えた。
そうやって元の進行方向を再び歩き始めた。
どれだけ歩いたことだろう。
右へ左へ分かれ道を進んで、その都度どういう順で曲がったか記憶する。マッピングを欠かしたらその時点で脱出が困難になるだろう。
目が暗闇に慣れ、耳も反響する音を判別し始める。人間の適応力という奴はすごいな、と思った。
だが、以前では気付かない感覚にも襲われ始めていた。
汗で背中に張り付いたシャツに当たる空気が冷たく、”誰かに息を吹きかけられている”ような感覚。
自分が歩く音と呼吸音を除いて、何か幻聴が聞こえ始めていること。
ウラ…………イェ…………チ―—
はっとして振り向いても、そこには懐中電灯の光を無限に吸い込み続ける暗がりしかないのである。
再び前を向いて歩き始めてしばらくすると、また”何かがすぐ背後にいる”ような感覚に囚われる。
ウラ…………イェ…………チ―—
ソロ…………コウェ……アマ――
これは幻聴だ。酸素と栄養が不足した脳が作り出す、この特殊な環境が作り出す、幻聴に違いないと思い込むことで前を進むことができた。
だが、暗示を掛けても俺の頭はその感覚を払拭することができず、耳か頭に響いてくる囁きのような耳鳴りは止まない。
どうにかなりそうだというのが正直なところだ。
懐中電灯が持つ間になんとか帰りたい。
しばらくして――、いやどれだけの時間を移動したのか感覚では最早分からない。俺は地上に帰れば浦島太郎になっているかもしれないような、時間を過ごして、ようやく地下道の奥で団子のように縺れ込んでいる二人の配管工を見つけた。
懐中電灯を照らすと、大きく見開かれた目がメガネザルのように見開かれて思わず俺は叫んでしまった。
「「あああああああああああああああ!!!!!」」
どうやら相手にも俺が怪物然として映ったらしい。
「助けが……助けが……」
配管工の一人が寝ているもう一人を起こそうと叩く。
仮に叩いている方を配管工A、寝ている方を配管工Bとしよう。
「アンタたちだけか?」
「そ、そうだ。猫探して入ってみれば、ライトが切れて右も左も分からず文字通り前後不覚の天地無用で、訳も分からず彷徨い続けてこの有様だ。今日は何月何日だ?」
恐怖から支離滅裂なことを言う配管工Aの男。
配管工Bの方は目を覚ましているようだが、何も言わない。
「落ち着け。まだアンタたちが入ってから一日程度しか立ってない」
宥めようと男たちに近寄ると、アンモニア臭が鼻を突いてくる。
「アンタ、ここまででアレに会わなかったかい?」
寝ていた配管工Bが口を開いた。目がぎらついており、吸い込まれそうな黒目を直視するのができなかった。
「アレとは?」
「いや、そんなことはどうでもいい早く戻ろう!」
俺と配管工二人はそれからまた地獄のような道を進み、ようやく天井から光が漏れてくる元の通路に辿り着いた。
しかし、なぜ開けっ放しにしてきた地下道の入り口が閉ざされているのか。
「やったあああああ出口だああああ」大声を出す配管工の男A。
「早く上がろう!」とは配管工B。
「落ち着け。まずは俺が上がって縄か何かで引き上げる」
なんとか壁伝いに上がり、天井の扉を開ける。
吹き込んでくる空気。
目が焼かれるほどに眩しい夕日。
どうやら俺が地下に潜ってから数時間程度しか経っていないらしい。
だが、そんなことは俺の認識からは吹き飛んでしまった。
今朝穴に入る前に婦人といた屋敷が、今は見るも無残に朽ち果てている。まるで何年も放置されていたように蜘蛛の巣が張り巡らされ、埃も堆積しているではないか!
どうしたことか……、訝しんでいた俺だが、下から叫ぶ彼らの声に正気に返り這い上がった。
屋敷は入ってきたときは様変わりして朽ちていた。
倉庫でロープを見つけて、配管工たちを引き上げる。
まずは衰弱していた配管工Bからだ。
「早く俺も上げてくれェ!」
そして、二人目の配管工Aを引き上げた際に、彼の足元に何かが見えた。
眼だ。
金色の二つの目を持つ何かが彼の足にしがみついているようだった。
それはAから離れ、地上目掛けて飛び上がってくる。
「うわっ」
黒い毛を纏った猫が降り立ち、顔を洗っている。
「ね、猫……」
猫は俺たちにはお構いなくどこかへと去っていく。
夕日に照らされたその影が異様に大きくなり、地下の暗がりを思い出して俺はぶるりと震えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます