2021/01/02 飼い犬に噛まれる

お題:【犬】をテーマにした小説を1時間で完成させる。


 昨日、動物が出てくるテレビ番組を見たことを湯川真奈美ゆかわまなみ先輩に話した。番組自体は単調で、賢く躾けられた犬が銭の入った籠を持って独りでに商店で買い物をして帰ってくるというものだった。

「ヤラセみたいだな」

「僕もそう思います」

「ところで、私の飼い犬の話をしてもいいかな?」

 と先輩は聞いてくるので、僕はすかさず言った。

「先輩。僕は飼い犬じゃありません」


「何を言っているんだい、君は」

 先輩に怪訝そうな視線を向けられる。身を庇うように数歩引かれる。

「待ってください。話せば分かります」

「そんな犬養毅みたいなことを言われても……。《問答無用》と返したらいいのかい」

「すみません。ついうっかり口が滑ってしまいました。条件反射という奴です。言うでしょう、シュレーディンガーの犬って」

「シュレーディンガー? パブロフじゃなくて?」

「そうそう、それです。間違えました」

「仮にも愛犬家の前で、シュレーディンガーの犬などとは言わないでくれ。ガス室送りになる犬の姿を想像するのは耐えられない」

「猫ならいいんですか……」

 先輩の前では、対戦車犬やスプートニクの話はしない方がいいなと思った。身の安全のため、社会的秩序のため、それから僕の好感度のため。

「それでも、飼い犬の話と自分を結びつけるのはどうかと思うぞ。今だけは、飼い犬に手を噛まれた気分だ」


「誰も君のこたぁ、言ってないだろう。家で飼われている犬たちだ」

 そう言って、スマートフォンを操作してディスプレイを見せてくる。

 画面には、三匹の犬が映っていた。どうしてそんな画像をいつも持っているのかの方が気になってしまったが、これは言わない方が良いだろう。

 小さいディスプレイを二人で見るには必然的に近付かざるを得ない。

 先輩が指を指して名前を唱える。顔が近い。

「これがシリウスで、プロキオン、ベテルギウス」

「なんかアニソンみたいだな」と独り言を言う。

 更に画像をフリック操作でスライドさせて今度は大きな犬が映る。

「で、こっちがプトレマイオス。こっちは随分前に死んじゃったけどね」

 あれ、もしかしてカードゲームの話だったかな。

「なんというか大仰な名前の犬ですね」

「だろう? 私の爺様がつけたんだ」

 曰く、シリウスはおおいぬ座、プロキオンはこいぬ座、そのままノリでベテルギウスは冬の大三角形を完成させるために付けられたそうだ。

 前二匹はいいとしてベテルギウスは可哀想に、とまだ見たこともない犬を憐れんだ。これこそが生類憐れみの令。こうすれば、きっと蜘蛛の糸よろしく僕を助けてくれるに違いない。それ以前に地獄に落ちる必要がある訳だが。

「さっきの三匹は三つ子で生まれたから、地獄の番犬ケルベロスと名付けられそうになっていたとも、両親から聞いたけどね」

「ケルベロス座は廃止された星座でしたね……」

 ベテルギウスはどうも僕を助けてくれそうにはないな。地獄で迎えてくれそうだ。

「生前の婆様が重度の犬アレルギーで、離れに犬が近づこうものなら爺様が弓を構えて威嚇したそうで……。【犬も歩けばBOWに当たる】とはこのことか」

 先輩の戯言たわごとはどうでもいいとして、先輩のお爺様、容赦ないな。彼に掛かれば【犬に論語】も【犬にロンゴミニアド】に成り兼ねない。動物愛護団体が黙っていなさそうだ。


「よし、今からこいつらを見に行こう」唐突に先輩が言った。

 見に行こうと言っても先輩は家に帰るだけなのだが。

 それはつまり?

「それはつまり、先輩の家にお邪魔するということでせうか」

「急に歴史的仮名遣いしてどうしたんだい?」

 ゲームなら一種のイベントに違いない。セーブポイントはどこか。

「いえいえ、是非とも拝謁賜りたいです」

 犬と一緒に先輩と戯れるのは大変有意義な時間になりそうだ。

 そんな甘い妄想を抱いていた僕を待ち構えていたのは、庭付き超豪邸の先輩宅と番犬三匹とそれと見知らぬ訪問者ぼくというシチュエーションだった。

 僕は庭中を追い回された挙句に股間に噛みつかれ、「勝海舟ゥ……」と意味不明な譫言うわごとを漏らして悶絶する醜態を晒していた。

「こら! ベテルギウスどこを噛んでるんだ!」

 先輩の言葉を最後に、僕は失神した。

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