第85話 シエル

「あークッソ、負けた負けた」


 エルとルーシーに抱かれ、意識を失っているリクの下にボーデンがやって来る。意識を失っているリクと、傷を負いながらも問題なく動けているボーデン。状況を知らない者からすれば勝敗は逆に見えるだろう。だが彼は数秒間意識を飛ばされたことで自分の負けを認めていた。


「大した奴だな。死ぬ前に止めてやろうと思ってたんだが、まさか俺が負けるとはな」


 あそこまでやっておいてよく言うといった表情の二人だが、溢れる涙を拭いて戦いの結末を尋ねる。


「リクはどうやって勝ったの?」


「転移魔法だよ」


「……成程な。じゃから足を止めたのか」


 リクの転移魔法を使った攻撃は未完成だ。未完成だが特定の条件であれば使用できる。それは相手が動かない時。リクはボーデンの性格からして、足を止めての打ち合いを望めば応じると判断した。

 そしてタイミングを見計らって、死角からボーデンの顎を打ち抜き、次いで左側頭部への回し蹴りでその意識を狩りった。いくら竜種とは言えリクの打撃で顎を撃ち抜かれ、無防備な状態で急所に渾身の蹴りを受ければ当然意識も飛ぶ。


「てっきり頭に血が上ってるのかと思ったんだがな、冷静な奴だ」


 その作戦を聞いてエルとルーシーは目を閉じて嘆息する。それは明らかに命を投げ出すような策だ。ボーデンは確かに殺すつもりは無かったかもしれないが、あの時のリクにそれが分かっていたとは到底思えない。


「やはりもう戦わせるべきではないな……」


「ええ、絶対に私たちが守る」


「どういうことだ?」


 神妙な面持ちで頷き合う二人に向かってボーデンが追及してくる。自分を倒したリクのことが気にかかるのだろう。


「リクは……いつも強敵と戦う時、自分の命を捨てるような戦い方をする…」


「うむ……妾たちにはそれが耐えられぬのじゃ……」


 二人から感じるのは慈愛。それを見たボーデンは二人が彼を心から愛していることを知る。


「まあ確かに危なっかしい奴だが、文句なしにリクの勝ちだ。加護をやるよ。お前らもな」


 眠るリクの口に強く握ったボーデンの右手から血が滴る。そしてエルとルーシーもその血を飲み三人は土竜の加護を得る。


「これで四種類ね、あとは聖竜と闇竜か…」


「どこにいるんじゃろうな?」


 その二人の会話を聞いていたボーデンが不思議そうな顔で二人を見る。


「あれ?お前ら知らねえの?」


 二人が聖竜と闇竜の居場所を知って疑わないといった様子のボーデン。だが二人にはそんな心当たりは全く無い。心底分からないといった表情を崩さない二人にボーデンが告げる。





「エルが聖竜でルーシーが闇竜だぜ?」




「「…は?」」


 その言葉に二人は一瞬にして色を失う。そして次の瞬間ボーデンが二人をリクから引きはがす。

 リクの横たわる地面に魔法陣が描かれると彼の姿が消える。

 エルとルーシーは余りの出来事に何も言葉を発することが出来ない。


「よくやってくれたな、土竜」


 いつの間にか銀色に輝く鱗を持つ竜種が傍に立っている。その口調は他の竜種と同じように厳かな物だが、別格の存在感を有していた。


「全く…あんたには逆らえないからやったけど、俺はあいつが気に入ったんだ」


「だから殺さずに元の世界に返してやっただろう」


 全く悪びれることなく答える銀色の竜種にボーデンは嘆息する。


「あのなぁ、元の世界に行っちまったらもう戦えねえだろうが」


「それは我慢しろ」


「ちっ…」


 二体の竜種の会話を聞いているエルとルーシーはリクに何が起こったのかを理解する。彼は元の世界に戻された。つまり彼とは二度と会えないのだと。

 その時ルーシーが理解する。ヴァーサの思惑を。


「エル!その腕輪をフーに!」


 その言葉によってエルもそれを理解する。


「っ!うん!」


 エルは瞬時に転移魔法を発動させフーの下に繋げて腕輪を投げ込む。きっと私たちの娘なら気付いてくれると信じて。


「……何をした?」


 銀色の竜種が二人を睨みつける。だが二人は臆することなく答える。


「人にものを尋ねるって態度じゃないわね」


「まったくじゃな、まず名を名乗るのが礼儀じゃろうに。妾はルーシーじゃ」


「エルよ!」


 二人の態度に呆れた様子を見せる竜種だが、元よりそのつもりだったので自己紹介には応じる。


「私の名は時空竜シエル。もはやお前たちにそんな名前はいらぬよ。聖竜リュミエール、闇竜ルーナ」


 二人には分かった。自分たちが竜種だというのは恐らく本当なのだと。そう信じさせるほどの存在感が目の前の竜種にはある。そして目の前にいるシエルこそがヴァーサたちに制約を課している竜種なのだと。


「まあいきなりそう言われても信じられんかもしれんな。かつてこの地上で起きたことを話してやろう」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 五千年前この地上は竜種が各地の神として君臨しており広くその存在が認知されていた。その一例がラビュリントスのダンジョンの神殿。それはその時に建造されたものだった。


 ある時、目的こそ不明だったが、現在で言う魔族領に天使族と悪魔族が突然侵攻してくる。魔族領が高い魔素濃度を有しているのは、その時の戦いが原因となっている。


 竜種は地上で好き勝手させるわけにはいかないと、天使族と悪魔族を迎え撃つ。だが彼らには火、水、風、土の属性魔法が通用しなかった。つまり四体の竜種は戦力にならなかった。


 唯一聖属性の天使には闇属性、闇属性の悪魔には聖属性の魔法が有効だった。その為、聖竜と闇竜は他の竜種に頼ることなくそれぞれ悪魔族と天使族を一体で迎え撃った。


 ただし聖属性と闇属性は相克の関係。二体の竜種は何とか天使族と悪魔族を退けたものの、大きなダメージを負ってしまう。そのダメージは肉体だけではなく魂までをも侵食していた。


 肉体が限界となり若返りをしなくてはならない二体の竜種であったが、魂を傷付けられたことでそれも出来なくなっていた。時空竜は苦肉の策として二体の竜種を人族や魔族に転生させる。そして何度も転生を繰返し、その生涯で力を蓄えさせ魂の傷を癒してきた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

「そして長い年月の結果、竜種とも戦えるほどに力を戻してきたのがお前たちだ。四種の竜種の加護を受けたお前たちならば、再び竜種として転生することが可能だ」 


 エルとルーシーにはシエルが嘘を言っていないことは理解できる。だが自分たちが竜種に転生するということは受け入れられることではない。


「すまぬが竜種に転生するつもりなどない。リクを返してもらおう」


「私もよ、私たちは彼の妻なの。あなたの言う竜種にはならないわ」


 もはや切り抜けられる状況でないことは二人にも理解できている。それにもかかわらずこの期に及んで自分に逆らおうとする二人に、シエルは微かな苛立ちを見せて言い放つ。


「あのような下等な人族はお前たちには相応しくない。そして私はお前たちの意見を聞いているのではない。これは命令だ」


 その言葉に二人が激しい怒りの感情を爆発させるように抑えていた魔力を解き放つ。しかし次の瞬間エルとルーシーの意識が失われる。二人には何をされたのかを認識する間もなかった。


「土竜、二人を繋いでおく。手伝え」


「…わーったよ」


 シエルはボーデンに命令をする。その命令は彼にとって絶対のものだ。唯一の反抗として悪態をつくが服従せざるを得ない。

 心底気が進まないといった表情でエルとルーシーを抱えるボーデン。二人を壁に連れていくと、岩壁がまるで生きているかのように変形して二人の手首と足首を固定して磔にする。


 その様を見ているシエルはいつの間にか人型になっている。その姿はエルの様な白く透き通った肌に、ルーシーの様な銀色の髪、そして瑠璃色の目を持つ中性的なものだった。


「やっとこの時が来たね。聖竜、闇竜」


 シエルが少しの喜びを含んだ口調でエルとルーシーに語り掛ける。竜種の姿を取っている時よりも、その口調は非常に穏やかなものだ。


「ふふ、もうすぐだ。君たちは私のモノだ。決してあの人族のモノではない」


 そう語るシエルの表情は狂気と歓喜に満ちたものだった。そしてそれを見たボーデンは嫌悪感を露にするのだった。

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