第78話 その頃深淵の森

 時間は少しだけさかのぼり、ところ変わって深淵の森。エルとルーシーは研究が少し行き詰ったこともあり、気分転換にリビングでティータイムを楽しんでいた。すると通信魔道具から声が聞こえてくる。


『エル、ルーシー聞こえる?』


「アイか、どうかしたのか?リクとフーは一緒じゃないのか?」


 突然の連絡に驚き、ルーシーがアイに尋ねる。今日はリクとフーがスプール王国に訓練に行く日だ。それなのにアイがわざわざ自分たちに連絡してくる理由が二人には思い当たらない。


『実は今からリクとフーちゃんと一緒にフォータムに遊びに行くことになったの。一応了解を取った方がいいかと思って…』


 アイの意図を理解した二人が頷き合う。二人はアイがリクを好きなことをもちろん知っているし、彼女が彼にアプローチするのも認めている。それでもわざわざ連絡してくるのだから、気を使いすぎる娘だと二人は思う。


「いいわよ、楽しんできて。なんなら晩ご飯も一緒に食べたらいいんじゃないかしら」


「そうじゃな、こちらのことは気にせんでいい。と言ってもアイは気にするんじゃろうな」


『そりゃあ気にするよ、だって二人の旦那さんなんだから』


 アイとて二人が認めてくれているのは重々承知している。それでも二人がリクをどれだけ愛しているのかも知っているのだから、彼との楽しい時間を二人から奪うのは気が引けるというものだ。


「いいのいいの、今のリクは色々悩んでいるからね。ちょっと気分転換してもらうくらいで丁度いいわ」


「うむ。アイ、リクとフーを頼むぞ。それではな」


『分かった、ありがとう二人とも。たまには遊びに来てね』


 アイとの通信を終えた二人が嘆息する。リクと過ごす時間が減ったというのも少しはある。しかしそれ以上に彼が未だに答えを出せずにいることが気にかかっている。


「恐らくじゃが…リクが未だ辿り着いていない答えにアイは辿り着いておるのじゃろうな」


「そうね、じゃないと騎士団なんて出来ないわよ」


 二人にもリクが辿り着くべき答えは分かっている。自分たちがいつも言ってきたことなのだから当然だ。分かっているがそれを教えるようなことはしない。彼が自分で気付かない限りは意味が無いと分かっているからだ。

 事実、彼は二人が口酸っぱく自分の命も大切にしろと言ってきたのにも関わらずあの体たらくだ。もはや他人が口を出してどうこうなるものではない。分かっているのに教えられないもどかしさに、二人のため息の回数は自然と増えるのだった。


「アイは上手く行くかのう?」


「どうかしらね、まだ気持ちを伝えるつもりはなさそうだけど」


「しかし伝えねばリクは気付くまい?」


「そうでしょうね、今でもあくまで自分は命の恩人だから好意を持ってもらっているとしか考えてないみたいだし」


 リクもアイが自分に好意的なのは理解している。だがそれを恋愛感情だとは思っていない。エルとルーシーは彼を近くで見ているのでそれをよく理解している。二人としてもアイを応援するのは吝かではないが、彼女が想いを伝えない限りはスタートラインにすら立てていないのだからどうしようもない。

 当初はアイとリクの関係が深まることで、自分たちがリクと触れ合う時間が減ってしまうと危惧していた二人だが、あまりにも進展しないのでやきもきしていた。


「まあフーには応援してあげるように言ってあるから大丈夫じゃないかしら?」


「そうじゃな、妾たちの娘だけあって察しが良い。きっとアイの力になってくれるだろうよ」


 二人は自分たちが表に出て応援すればリクが違和感を感じかねないので、自然な感じでフーにアイをサポートするようにお願いしている。そしてフーもアイに懐いているので喜んでこれを了承している。

 そもそも二人はリクがアイに対してそういった感情を一切持っていないとは思っていない。確かに二人は同郷ではある。しかしそれが理由にしては、リクはアイのことを気に掛けすぎている。本人でも未だ気付かないほどの感情かもしれない。だがいつもすぐ傍で彼を見ている二人は、彼以上に彼のことを知っていると言っても過言ではない。そんな二人の意見が一致しているのだから間違いない。

 とは言えリクが自分たちに向ける愛情が薄くなっているようなことは微塵も無い。だからこそアイを応援してあげたいと思っている。


「ところでそろそろ魔族領のダンジョンに行く季節ね。どうする?」


「そうじゃなぁ。ここまでリクが答えを出せんと思わなんだ。どうしたものかのう…」


「でも土竜の加護は受けておきたいよね。この先不測の事態が起こる可能性は高いわ」


「うむ、まあ竜種となれば死ぬことは無いからのう。リクが死ぬようなことが無いのであれば、リクが戦うのもありかもしれん」


 リクが答えを出せないまま戦うことに対して、エルとルーシーが危惧していることは二つある。

 一つは自身の命を軽んじた行動をとるのではないかということ。

 もう一つは相手を殺してしまった時に、彼の心が壊れてしまうのではないかということ。

 どちらも二人にとって許容しがたいことだ。だからこそ彼女たちはリクが戦うことに許可を出していない。戦闘訓練であればそのようなことは無いので存分にやってもらってよいが、実戦だけは絶対にダメだと二人は思っている。いつか取り返しのつかないことになるのではないかという確かな予感がある。


「ちょっとヴァーサに相談してみない?」


「ふむ、悪くない考えじゃな。ダメもとで相談してみるとするか」


 竜種のことは竜種に聞くのが一番とばかりに二人は頷き合い、湖のそばに立つ。やがていつものように大きな影が現れたかと思うと、湖面が盛り上がり水竜ヴァーサが姿を現す。


「二人とは珍しいな。どうかしたのか?」


 珍しいと言いながらも、特に怪訝な様子を見せることも無く尋ねてくるヴァーサにエルが答える。


「実は土竜のことで聞きたいことがあるんだけど」


「ふむ、言ってみろ」


「今度魔族領のダンジョンに行くの。恐らく土竜はそこにいるのよね?でも今のリクにはあまり殺し合いみたいなことをしてほしくないの」


「それならば心配はいらぬ。土竜は変わり者だからな、恐らくリクが行けば人型になって格闘をすると言い出すはずだ」


 余りにも突拍子もない話に二人が驚き顔を見合わせる。そしてルーシーがその意図を尋ねる。


「対等な条件で戦いたいということか?」


「概ねそういう所だな。竜種の加護を受けるのに必要なのはあくまでも試練。我のように戦わずとも力を見せれば十分と考える者もおるし、土竜のように対等な条件での戦いを望む者もおる」


「なんだか戦闘中毒者みたいな竜種ね。なら対等な条件で勝つか力を見せれれば良いって訳ね」


「そういうことだ。尤も人型になると言っても膂力は竜種のままだぞ?あくまでも体の大きさを合わせて戦うという意味だ。それでもリクならば心配は要るまい」


 今やリクの身体強化魔法は通常時の三十倍まで強化が可能だ。竜種といえども圧倒は出来ないどころか、リクの方が強いかもしれない。さらに切り札の反応強化魔法もあるが、こちらは正しく切り札なので二人はなるべく使ってほしくない。


「そうね、今のリクなら竜種より力が強いかもしれないしね」


「そういうことだ。恐らく土竜は喜んで格闘勝負を挑んでくるはずだ」


 ヴァーサの確信を持った言葉にエルとルーシーは嘆息するが、それでも命の取り合いをするようなことにはならなさそうなので安堵する。


「本当に戦闘中毒者じゃな。とは言え願ってもないことじゃ」


 ルーシーの言葉の後、ヴァーサは少し考えるよに体をうねらせて二人に聞いてくる。


「フーは連れて行くのか?」


「いや、竜種のところへは連れて行かんと約束しておる。アイのところにでも預けることになるだろう」


「アイ…そやつは強いのか?」


 なぜかアイに興味を持つヴァーサに二人は疑問を持ったが、ひとまずエルが答える。


「そうね、風竜ヴェントのところに行った時には相手をしてもらえなかったみたいだけど、リクの話を聞く限り今なら十分戦闘になるでしょうね」


「そうか、必要であれば我の加護をやる。呼んでくるといい」


 ますます二人には意味が分からない。なぜヴァーサが彼女に加護を受けさせようとするのか。考えられるとすれば彼女の力が必要なことがこの先にあるのだろうかと推測する。答えてくれるかは分からない。だが聞かないわけにはいかない。


「アイの力が必要な事態になるということか?」


「…まだ分からん。だが備えねばならん」


 答えられないとかわされると思っていた二人は、曖昧ながらも回答が返ってきたことに驚く。それと同時にこの先に起こるであろう良からぬ出来事に暗澹たる気分になるのであった。

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