第76話 アイとの訓練
深淵の森でのんびり過ごすこと約二ヶ月。リクとフーは基本的には家にいるが買い物には出掛けるし、週に一度はスプール王国に行きアイとの訓練も行っている。引きこもっているわけではない。尤もエルとルーシーはこれ幸いとばかりに引きこもってひたすら研究をしているが…楽しそうなのでリクもなにも言わない。
今日は週に一度のアイとの訓練の日だ。リクとフーはスプール王国騎士団の訓練場を訪れていた。毎週訪れているので、すっかりお馴染みとなり今では顔パスで通してもらえるようになっている。
訓練をするようになったのはアイからの連絡が切欠だった。リクとしては特に断る理由もなかったし、アイの様子も気になっていたのでこれを了承した。
アイとの訓練には両者に利があった。まずアイにとっては圧倒的格上との戦闘訓練が出来るということ。身体強化魔法の練習を見てもらえるということがある。彼女もやはりこの世界の住人よりも高い身体能力を持っていたので、発動すればかなりの強化が出来た。今であれば風竜ヴェントも彼女を弱いと評することはないだろう。もちろんリクに会えることも彼女の利だ。
リクとフーにとっての利はアイの戦闘の上手さを学べるということだ。身体強化の度合いをアイに合わせるとリクでは彼女に太刀打ちできない。元の世界では剣道をしていたと言うが、詳しく聞くと全国でも常に優勝争いをするレベルとのこと。そのレベルともなれば当然駆け引きに長けており、相手の思考を読み誘導することが出来る。その結果どれだけリクとフーが早く動いてもカウンターを合わせてきたりする。
「リクもフーちゃんも素直だね。相手が強いと分かっているときにあからさまな隙に突っ込んじゃダメだよ?当然相手はそこに来ることなんて承知の上なんだから」
この台詞を二人は毎週のように聞いている。口で言うのは簡単なのだが、いざ戦闘中にそれが出来るのかと言うと別問題だ。リクとフーは戦闘のタイプとしてはよく似ており、高い身体能力にモノを言わせて直感的な動きで相手を圧倒する。
アイ曰く、格下相手ならそれで十分。でも同格、格上には通用しないとのこと。実際元の世界にいたときもリクの力や技といった面は全国優勝レベルと比較しても遜色なかった。ただ駆け引きが上手く出来ないことで差をつけられていた。
一つの解決策として脳を強化して思考加速をすれば良いのだが、鍛えれば出来ることまで魔法に頼ると言うのはリクにとっては望ましいものではない。フーもそんなリクの姿勢を見習っている。二人は似た者同士のいい親子関係を築くことが出来ていた。
「言ってることは理解できるんだけどね」
「うん、難しいよ」
訓練後の恒例となっているアイとのティータイム中、リクとフーが思わず愚痴をこぼす。似た者同士の二人の様子を見て思わずアイが破顔する。
「大丈夫だよ。二人とも少しずつ出来てきているよ。二人でも練習してるんでしょ?」
リクとフーは家では継続的に鬼ごっこをしているが、フーの動きは遂にリクが二十倍強化でやっと捕まえられるというところまでになっていた。ちなみにリクも訓練の末、身体強化魔法の強化度合いを三十倍まで出来るようになっている。
「フーはすごいんだぞ、強化度合いが二十倍じゃあもう捕まえれれなくなりそうなんだよ」
「えへへ、お父さんと鬼ごっこするの楽しいからだよ!だからどんどん上達できるの!でもお父さんがあれを使ったら絶対勝てないよ?」
「うーん、あれはちょっとズルいからなぁ」
実は反応強化魔法もほとんど完成の域に近づいてきている。これを発動させると世界の時間が止まり自分だけが動くことの出来るような感覚になる。これは強化した神経が五感から得た途方もない情報を、強化した脳が処理して命令を出し、強化した電気信号によって体を無理やり動かすという理屈だ。体への負担はとてつもなく大きいが、いくらフーと言えどもリクがそれを使った時には勝負にならない。気付いたときには捕まっているのだからどうしようもない。
リクは恐らく今であれば竜種に一対一でも勝てると踏んでいる。これを使えば一方的に攻撃が出来るのだから当然だ。しかも動きは超高速、攻撃力は言わずもがなだ。デメリットはとにかく威力が高すぎてセーブが効かないこと。自身の体も破壊してしまうのだ。一度岩に向かって思いきり正拳突きをしたら、腕が複雑骨折して岩は超広範囲にわたって爆散するという結果になった。もちろんルーシーに治してはもらったが、二度とやりたくないほどの激痛が走り、二人の嫁からこっぴどく怒られた。
とにかく一撃で相手も自身も戦闘不能に陥るような力など使い勝手が悪すぎる。と言うことで改善点を模索中のため完成には至らずだ。尤も相変わらず嫁二人から戦闘禁止命令が出ているので実戦投入はできていないのだが。
「アイも身体強化魔法が上手くなったよな、騎士団ではもう一番強いだろう?」
「自分で言うのはちょっと気が引けるけど、まあそうだね。だからこうやってリクとフーちゃんとの訓練が認められてるんだし」
「うん、アイお姉ちゃんはすごく強いよ!」
「ふふ、ありがとう」
アイの膝の上でにこにこしながらフーが誉める。以前からフーとアイと面識があったが、訓練を通して二人は随分と仲が良くなった。もちろんフーが火竜であり一緒に訓練すると知ったとき、アイは目を白黒させて硬直していたが。
フーは人見知りすることなく誰とでも話すことが出来るが、特にアイにはよく懐いている。その理由の一つとしてフーはアイがリクを好きなことに気付いており、それを嬉しく思っているということが大きい。
そんな二人の仲睦まじい様子はリクにとっても喜ばしいものだ。最初はスプール王国での訓練に懐疑的な様子だったフーだったが、今ではアイに会えるからと言って訓練に乗り気になっているので助かっている。
「ねえリク、フーちゃんこれから時間ある?」
「ん?特に予定はないよ」
「じゃあちょっと遊びにいかない?私今日休みなんだ」
「行きたい!お父さん行こうよ!」
察しのいいフーがアイをアシストしようと真っ先に賛同すると、その気持ちを知ってか知らずかアイがフーの頭を撫でる。
「いいよ、スプール王国で遊ぶのか?」
リクはそんな思惑はまるで知らずに、軽く了承する。ちなみにアイには転移魔法の話はしている。いつもスプール王国にいるのかという話になったときに、アイならば問題ないだろうと思い伝えたのだった。連絡用の魔道具を渡したりしているので今さらどうということもないだろうという判断でもある。
「そうねぇ、フォータム共和国はどうかしら?」
一番無さそうな提案に思わずリクが驚いて聞き返す。
「フォータム?いいのか?」
「うん、何だかんだ遊ぶところはフォータムが多いかなと思って。まあちょっと複雑な気分はあるけど、別に私がいることが分かっても捕まる訳じゃないし。そんなこと言ったらリクだってフォータムの上の方にはいい感情を持たれてないよ?」
アイの身分はすでにスプール王国の騎士であり、フォータム共和国が手出しは出来ない。例え実力行使で来たとしても今のアイとリクなら問題ない。
「まあアイがいいって言うなら構わないけど」
「私もフォータムで遊ぶの好きだよ!」
フーが嬉しそうに賛成してくる。リクからすればフーが望むのであれば叶えて上げたいと思うので、これは大きな決め手となった。
「よし!フォータムに行こう」
あまり乗り気に見えなかったリクがフーの一言で変心するのを見てアイが思わず苦笑する。
「本当にフーちゃんには甘いよね」
「そりゃあそうさ。フーは大事な娘だからな」
フーを大事にしているリクを見てアイは少し羨ましくなる。フーだけではなくリクは同じようにエルとルーシーのことも大事にしている。いつか自分も彼にとってそういう存在になれればと思わずにはいられない。
それでもアイにはやるべきことがある。今は自分を拾ってくれたスプール王国に恩を返さなくてはならない。だから彼に想いを伝えるのはその後でいいと思っている。
「じゃあ準備してくるから待っててね!」
そう言ってアイは自室へと戻っていく。そんなアイの後ろ姿を見送りながらリクは思う。彼女はどうやって精神操作を受けていたときのことを克服したのだろうかと。間違いなく彼女もダンジョン踏破をしているのだから魔物を殺してきたはずだ。
そして騎士団という立場であれば、人を殺すことだってあるかもしれない。もしかしたら既にそういう場面にも出会しているかもしれない。自分と同じ世界にいたはずなのに、どうして彼女がそうなれたのかがリクには分からない。聞いてみればいいのかもしれないが、何となくこれは自分で答えを出さないといけないような気がしていた。だから彼は彼女にそれを聞くことが出来なかった。
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