第75話 リクの心

 暫くしてリクの涙が止まり四人は宿に戻る。誰も涙の理由を聞こうとしない。彼女たちにはそれが彼の内面に深く関わることだと理解している。だからこそ軽々しく聞いて良いものではないこともまた理解している。リクは彼女たちの優しさに触れ、少しずつ自らの気持ちを確認するように語り出す。


「みんなごめん。うまく言えないかもしれないけど聞いてほしい」


「本当に大丈夫?無理して話さなくてもいいよ?」


「エルの言う通りじゃ。リクらしくないぞ?もう少し時間を置くなりした方が良いのではないか?」


 本来のリクは自分である程度の結論を得てから口にすることが多い。それを知っているからこそのルーシーの提案だがリクは頭を振って否定する。


「これは感情の話なんだ、三人には今思っていることを聞いて欲しい」


 明確な理由など自分でも分からない。それでもリクは今話すべきことだと、彼女たちに聞いて欲しいと思った。


「…きっと…あの涙は心が壊れないようにする為のものだったと思うんだ」


 その言葉に三人は複雑な表情を浮かべる。それは疑問、驚き、心配など様々な物が混ざり合ったような表情。そして誰一人として何も語ることなく彼の言葉を待つ。


「召喚の制約によって命を奪ったこと。俺は奪った命と向き合わずにここまで来てしまった。その結果があの涙なんだと思う。命は大切なもの、一つしかないもの。自身の糧とする以外でそれを奪うことは、どんな理由があろうとも忌避すべきこと。それが俺の世界の教えだった」


 リクが既にそれを乗り越えていると思っていたエルとルーシーが微かな動揺を見せるも、彼を擁護する。


「でも仕方なかったじゃない、精神操作されていたんだよ?」


「そうじゃ、リクが気に病むことではなかろう?」


 精神操作を受けている間は逆らうことなど出来ない。命じられたまま命を奪うのも仕方のないこと。彼女たちの言い分は正しい。


「確かにそうだ。命を奪ったということ、それ自体は俺も避けられない仕方のないことだったと思っている」


「じゃあどうして?」


「言っただろう?俺はちゃんと向き合っていなかった……今思えばあの日もただ仕方のないことだって、人を殺さなくて済むなんて運が良かったって納得したつもりになっていた。その結果が今日だ。自分が命を奪うというその事実、意味と向き合わないまま二千匹近くの魔物の命を奪った」


 リクは精神操作を受けていたが為に、自分で覚悟をすることなく魔物の命を刈り取っていた。それ自体は確かにエルとルーシーも危惧していた。だがあの日以降、それを気にする素振りを見せずに過ごすリクにすっかり安心しきっていた。


「…フーには少し嫌な話になるけど聞いて欲しい。俺は今日魔物の群れの奥でグラシャ=ラボラスと会った。スタンピードを引き起こしたのは自分だと奴は言っていた」


「「「っ!?」」」


 エルとルーシーは激しく動揺し、フーの顔が恐怖に染まる。単独で悪魔族と会敵する、三人ともがその危険性を十分に理解出来ている。その様子を見てリクが続ける。


「大丈夫、交戦はしていない。今回も奴は戦うことなく引いて行った…その時、俺は気付かないふりをしたんだ。自分が虐殺した魔物たちはただ操られていただけの奴らだということに。」


「…たとえ操られていたとしても、あのままでは人に害をなすのは時間の問題じゃった」


 リクの言っていることは理解できる。それでもルーシーは彼を擁護せずにはいられない。


「そうだな、だから結果だけ見れば決して間違っていない。間違っているのはその過程なんだ。そしてこれ以上奪った命に向き合うことなく奪い続ければ、心が壊れてしまうと警告を出してきたんだと思う」


 自分自身の気持ちを探るように涙の理由を語るリク。


「…お父さん、これからどうするの?」


 フーが心配そうにリクを見る。エルとルーシーも同じ心境なのだろう、神妙な面持ちでリクの言葉を黙って待つ。


「…少し時間が欲しい、もう一度しっかりと俺が奪った命と向き合ってみる。でも三人を守りたいという気持ちは今も何一つ変わらない。その為には戦う」


 エルとルーシーはそう語るリクの様子に違和感を感じる。自分たちを守るという彼の言葉に嘘を感じることは無いが、ひどく危うさを孕んだものに聞こえて仕方がない。彼を今戦わせることが良くない結果を引き起こす予感がある。


「ねえ、少しなんて言わずにずっと休んでてもいいんだよ?」


「そうじゃよ、我が家でゆっくり四人で生きて行けば良いではないか」


「うん、私もそう思うよ!お父さんとお母さんがいればそれでいいもん」


 リクには三人の言葉に甘えたいと心から思う。出来る事ならばずっと家族でのんびり過ごしたいと。

 だけどそれがもう叶わないであろうことはリクが一番分かっている。もう運命の歯車は回りだしてしまった。途中で止めることは出来ない。

 それでも今だけは


「ありがとう。じゃあ家族水入らずでゆっくり過ごそう」


 出来得る限りの笑顔で三人に笑いかけるリク。たとえ避けられない未来があるとしても、せめてそれまでは家族での生活を楽しめばいい。その時が来れば気持ちの準備ができていようがいまいが関係ない。自分の命を懸けてでもこの三人だけは守りたいとリクは思う。



 翌日ギルドに挨拶を済ませ、拠点を斡旋してもらった四人は深淵の森に戻る。


 あの夜から一週間、リクは体がなまってしまうのはマズいので身体強化魔法、反応強化魔法、筋トレは欠かさずに行っている。むしろ体を動かしている方が色々と考えすぎなくて済むのでありがたいと思う。


 訓練以外は本当にこれと言ってやっていることは無い。狩りに行くこともあるが、エルとルーシーから絶対に戦ってはダメだとクギを刺されているので、フーを温かく見守るだけだ。


 エル、ルーシー、フーはこの世界で生まれただけあって、リクよりも死生観がドライだ。難しいことは考えずに、自分の身が危険なら迷わず殺す。それが当たり前だと思って彼女たちは生きてきた。もちろん最初に命を奪う時には多かれ少なかれ葛藤はあったという。


 それと比較してリクは二十年以上かけて殺すことは良くないことだと教え込まれてきている。彼女たちと同じように考えられるようになるには時間が必要なのかもしれないと最近では考えるようになった。


 リクは次に自分が倒すべき魔物と出会った時、どういう心境になるのか不安に思っている。躊躇いなく殺すのか、躊躇いながら殺すのか、殺せないのか。エルに話を聞いたとき、この世界でも魔物を殺すことが嫌で冒険者になるのを諦める人もいると言っていた。こんなにも死が身近な世界でさえそうなのだ。平和な日本で育ってきた自分には荷が重いと思う。


「本当にこのまま何事も無く老いていければどんなにいいだろう」


 偽らざるリクの本音だ。リクは少しワーカホリック的なところがあると自負していたが、こういったスローライフも存外性に合っていた。愛娘と狩りと収穫に出かけ、帰ったら愛する嫁が二人もいる。誰もが羨みそうな生活だ。


「悪魔族に上位の竜種か…大人しくしておくから見逃してくれないかな」


 スローライフを邪魔する目下の悩みの種についてリクは考える。

 悪魔族に関しては人の魂が好きだと言っていたので、今後恐らく世界中で問題になることは想像に難くない。フォータム共和国北部の村の壊滅も悪魔族の仕業と見ていいはずだ。この世界にも友人と呼べる人間や、かかわりを持った人間がたくさんいる。自分としても手を出してくるまで無関係を決め込むのは、さすがに寝ざめが悪い。


 上位の竜種ははっきり言って狙いが分からない。多くの竜種から加護を貰ったことが彼の竜種の不興を買った理由だというのはさすがに無いと思う。だが風竜ヴェントが確信めいた口調で過酷な運命が待つといったのだ。このままという訳にはいかないのだろう。


 そうなるとやはり土竜の加護は受けておいたほうがいいと思う。火の粉どころか特大の隕石が降りかかってくると分かっていて、何も準備をしないというわけにはいかない。幸い場所は分かっているのだから時期が来たら赴くだけだ。竜種との戦いであれば自分が殺してしまう心配はない。万が一死んだとしても、フーのように若返るだけなのだから。心配なのはエルとルーシーに命の危険が及ぶこと。フーは約束通り竜種の下へは行かないので大丈夫だ。




 このリクの思考には自分の命が決定的に抜け落ちている。自分が危機に陥ること、命を落とすことを考えていない。本来であれば家族の命と並んで真っ先に考えて然るべき事であるはずなのに。エルとルーシーから自分の命を大切にするように言われて意識していたものの、あのスタンピードの夜にそれは霧散した。


 そのことにエルとルーシーは薄々ながら気付いた。だからこそ今は戦ってはいけないと彼に言いつけている。少なくとも彼が命についてしっかりと向き合うまでは戦うべきではないと彼女たちは考えている。


 リクはあの日、自分が奪った命について向き合うと言ったがそれは今も出来ていない。なぜなら彼は自分の命を軽んじているから。精神操作を受けていても、覚悟ができていなくともリクはいつも家族や仲間、そして自分が生きる為に命を奪った。決して無駄な命を奪ったことなどなかった。それならば自分の命を軽んじる必要などないし、あってはならない。奪った命を重く考えるのであれば、それによって救われた自分の命も重く考えなくてはならない。その当たり前のことが彼には分からない。


 リクは気付いていない。自分の命を軽んじるということがどれ程三人を悲しませてしまうのかを。

 リクは気付いている。自身の命を軽んじていることに。それでも彼にはどうしようもない。それは覚悟無く命を奪い続けた代償のように思っているから。






※先回と今回はラストに向けての助走のような回です。

なかなか上手く書けずもどかしいですが、最後までお付き合いください。

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