第29話 試行錯誤
「やっぱりな…」
そう独り言ちるリクの前には二メートルを超える大岩がある。
二人の嫁との魔法談義によってヒントを得られた新たな強化魔法。その習得の為の試割り用として、湖の畔に持ってきたものだ。普段の身体強化魔法を使えば問題なく割れる。それどころか粉々になるはずだ。
だが、今その岩はヒビこそ入っていたが、原形を保ってリクの前に鎮座している。
「体に感覚が追い付いて来てないって感じだな」
リクには原因が分かっていた。強化された脳、神経、電気信号で動かす体は、自分の想定をはるかに超えるスピードになっている。これまで培った自分の体の感覚と、実際の動きの間にギャップが出来てしまっているのだ。
そのため今繰り出した正拳突きは、全く体重の乗っていない手打ちになっていた。いくら身体強化魔法で力が強くなって皮膚が固くても、岩など割れるはずがない。むしろ手打ちでヒビを入れられた、そのスピードが驚異的ともいえる。
だが、リクはこの技に確かな手ごたえを感じていた。
「これが完成すれば、文字通り次元の違う強さが得られる」
リクにはこの技の完成形が見えていた。だがそれと同時に、今日一日でたどり着けるようなものではないとも理解していた。
少なくとも今回の研究で理論は出来た。だが問題は強化の度合いだ。脳、神経、電気信号すべてを一律に強化するのではダメだった。この岩を割ることが出来なかったのが、その結果であった。
まず神経を強化しすぎると、脳に流れ込む情報が多すぎて処理出来なくなる。そうなれば超速で動くどころか、動けなくなるだろう。それどころか脳に重大なダメージを負いかねない。
次に電気信号を強化しすぎれば、脳の認識よりもスピードが出すぎて、体を上手く使うということが出来なくなる。つまり先程のような結果になる。
そして一番安全に強化する方法は脳を強化することだ。これならば大きなリスクは無いと思われる。
最終的な結論としては
1、脳を最大限に強化する
2、少しづつ神経を強化して、1で強化した脳で処理できる情報量を把握する
3、普段の時と同じ認識になる電気信号の強化度合いを把握する
この段階を踏んでいけば理論上はこの魔法が完成するはずだ。問題なのは魔力操作がかなりシビアだと言うことだろう。身体強化をしつつ、脳、神経、電気信号をそれぞれ最適な度合いで強化する。これは平時の時でも困難だ。現段階で戦闘中にこれを自然に行うのはまず無理だと言える。下手をすると神経を強化しすぎて、脳死になりかねない。治癒魔法で脳死が治るかは微妙なところだ。やってみる価値はあるが、実験は出来ない。
「良さそうだったら、二人にも教えようと思ったんだけど。これは無理だな…」
リクは魔力操作において自分の右に出る者はいない、そう自負している。だから自分以外の人間がこれをやってのけることが出来るとは到底思えなかった。
「リクー!もう晩ご飯の時間だよ!」
愛する嫁の一人であるエルが呼びに来たことで、やっと自分がどれほどの時間研究していたかを理解した。
「え?晩ご飯?昼ごはん食べ忘れてる!」
「あはは、やっぱりみんな似た者同士だね。私たちも研究に没頭してたら忘れちゃって…晩ご飯はルーシーと二人でカレーライス作ったよ」
「あーごめん!全然気づかなかったよ」
「いいのいいの!それより結果はどうだったの?」
やはり気になっていたのだろう。瞳を爛々と輝かせてエルが聞いてくる。
「完成形は見えた、ってところかな。まだまだ先は長そうだ。詳しくは晩ご飯の後で話すよ」
「やっぱり難しいんだね。分かった、楽しみにしとく」
鼻をひくひくさせると、確かに家からはカレーのいい匂いが漂ってきている。リクは初めての二人のカレーに胸を躍らせて、急いで我が家に向かおうとする。しかし足元がおぼつかず、エルにもたれかかってしまった。
「うわっ」
「きゃっ、どうしたの?」
「分からない。研究の反動かな、足がうまく動かないんだ。肩を借りていいかな」
「ええ、もちろん」
リクは小さなエルの肩を借りながら、もう一人の家族が待つ我が家へと帰っていく。
「うまい!」
初めての二人のカレーは非常に美味だった。野菜の大きさが不揃いすぎる気もするが、それもいいアクセントになっていると思えた。
「まあカレー粉というものがあったからのう。スパイスから調合するとなると、もっと研究が必要じゃろう」
「それでも美味しいわよ。さすがルーシーね」
エルの言う通りだ。このカレーには食材の旨味がしっかりと出ているのを感じられる。ただレシピ通りにやっただけでは、こうはいかないだろう。
初のカレーは大成功に終わり、夕食を終えた。今日の片付けはリクが一人でやる。二人も手伝うといってくれたが、気持ちだけありがたく受け取っておく。
就寝前、リビングで三人が机を囲んで今日の出来事を報告しあう。まずはリクの反応強化魔法から。
「…と言うわけで、後は試行錯誤っていう段階だね」
リクの話を真剣に聞く二人。この世界は元の世界に比べて、あまり科学が発達していない。その為、こちらの世界の住人は、反応を強化するためにどうしたら良いのかイメージが掴めない。
その為リクが話す脳、神経、電気信号の強化という話は、二人にとって非常に興味深いものだった。
「ふむ、話を聞く限りでは妾たちに扱える代物ではないな」
「そうね、そもそもイメージの構築が出来ないから難しいし、そこまで緻密な魔力操作が要るってなると厳しいわね」
「だね。ただ、脳の強化ならリスクはあまりないと思う。思考の加速が出来るんじゃないかな?」
「そうかもしれんな。それは練習すれば出来そうじゃな」
「うん、すごく便利そう。戦闘時とか考え事の時にいいかも。普段から使うのもありかしら?」
「いや、常時発動はやめた方がいいね。俺もさっき気付いたんだけど、思考の加速はエネルギーを大量に使う。恐らく常に何か食べていても追い付かない」
事実リクは研究に没頭して気付いていなかったが、低血糖になりかけており、倒れる寸前だった。その為、家に戻る際に足元がおぼつかないという状態になってしまった。
「今日は張り切ってやりすぎたけど、多分良くないね。一日一時間までにするよ」
「そうじゃな、強くなるのは大事だが、焦る必要はない。今でもほぼ負けることはないしのう」
「うん、体を壊しては元も子もないわ」
そうして話題は嫁二人の研究へと移っていく。
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