第9話 トカナ村
翌日、三人はベルファス火山の一番近くの村へと向かう馬車の中にいた。よほど小さな村なのか、乗合馬車は出ておらず、行商に行くという商人に頼んで乗せてもらっていた。
「分かってたけどお尻痛い。うぅ、気持ち悪い…」
エルの泣き言が聞こえる。久しぶりの馬車の旅は三人にとってつらい物であった。そもそも客を乗せることを想定していない為、座席なども無く不快さに拍車をかけていた。
「大丈夫か?横になると少しは楽かもよ?」
リクがそう声をかけるや否や、言質を取ったとばかりにエルがリクの右太ももにダイブしてきた。
「じゃあ着くまで寝るから動いちゃダメよ?」
「ええ…仕方ないなぁ」
そう言いながらエルの頭を撫でるリク。その頬は先程までの青白さが嘘のように赤みがさしている。それを見たルーシーも残った左太ももに頭を乗せる。
「妾も頼むぞ、旦那様」
リクはやれやれといった様子で嘆息するが、何も言わずルーシーの頭を撫でてやる。
―まあ悪い気分じゃないどころか、ちょっと嬉しいし…このままでいいか―
やがて寝息を立てだした二人の頭の重さを太ももに感じながら、リクは二人との今後の事を考えていた。
正直なところ二人と結婚するのは別に構わないと思っている。むしろそれを望む気持ちが日に日に強くなっていると自覚していた。
二人とも不器用ながらもこうして精一杯の愛情表現を見せてくれる。それが嬉しくて、この三人での生活を得難いものだと感じている。
―エルはもともと半年間一緒に旅をしただけあって気心が知れてる。まるで本当の家族のようだ。一緒にいても息が詰まるということがない。それでもエルが見せる感情豊かな姿は見てて飽きないし、とても好ましいと思う。
ルーシーは一緒に暮らしだしてまだ一ヶ月ほどではあるが、一緒にいるとエルとは少し違う心地よさを感じる。年上の女性の包容力とでもいうのだろうか?そんな彼女が時折見せる少し不安そうな繊細で儚い表情が好きだ―
「まあ…結局どっちも好きってことだよな…」
二人の頭を撫でながら、誰にも聞こえないほどの小さな声でリクは独り言ちる。
―よし、今回の事が一段落したらプロポーズ大作戦だな。ところでこっちではどうやってやるのが一般的なんだ?結婚指輪は?でもたくさん娶る人もいるから指輪だらけに…―
妙なテンションになり、思考がとっ散らかり始めると、御者の商人から声を掛けられる。
「おーい、旅人さん。トカナ村が見えてきたよ」
午前中に首都を出ていたが、村に到着したのは既に午後二時を回ったころだった。
「はー、よく寝た。何とか乙女の矜持を守れたわ」
エルが訳の分からないことを言い出す。
「うむ、快適な旅じゃった」
ルーシーは満足そうに頷く。
「そりゃ良かった。膝枕したかいがあったよ」
「なかなか柔らかくて良かったわ。もっとごつごつしてるのかと思ったけど」
「いい筋肉というは柔軟性もあるんだよ。そもそも筋肉が固いのは…」
ドヤ顔で答え始めると、二人は慌てて話題を変えようとする。
「そんな事より、今からどうするのじゃ?」
「うーん、とりあえず食事にしたいけど…お店なんてあるのかしら?」
無視して会話を始める二人にリクは不満気だが、仕方なく会話に加わる。
「それなら情報収集がてら村を見て回ろうか」
「そうじゃな。」
三人はいつものスタイルで歩き出すと、怪訝そうな様子の高齢の男性が声をかけてきた。
「あんたらこんなとこに何か用かね?」
「ええ、実はベルファス火山にある魔法銀の採掘に来ました」
リクの返答に、男性は嘆息して言う。
「この先にも村があったが、ベルファス火山の魔素濃度が高くなると、魔物に襲われて潰されてしもうた。この村も寂れる一方じゃ。悪いことは言わん、やめておきなされ」
「心配いらないわ、私たちこう見えて一流冒険者以上の実力があるのよ」
自信満々のエルに男性は胡乱げな目を向けるが、やがて諦めたように言う。
「…ここから火山までは歩きで五時間以上かかる。今日は泊っていくがいい。三人くらいなら泊めてやる」
「え?よろしいんですか?」
「ああ、この村にはもう宿屋も無いからの。遠慮せんでいい。と言っても大したもてなしは出来んがな」
「ありがとうございます。ではご厚意に甘えさせていただきます。自己紹介が遅れました。私はリク、二人はエルとルーシーです」
三人は男性に向かって感謝の意を示して軽く会釈する。
「儂はこのトカナ村の村長アルスじゃ」
三人は村長に連れられて村長の家に向かう。やがて屋敷と言って差し支えないほどの、この村に不釣り合いな大きな家が見えてくる。三人が驚いていると村長が察して声を掛けてくる。
「この村もかつては栄えておったのじゃよ。それこそ貴族様が観光に来るようなこともあってな」
「成程、この屋敷はその頃の名残という訳ですね…」
「ふーん、火山なんて見て楽しいのかしら?」
エルの疑問に村長が頭を振る。
「火山を見に行くこともあったが、一番の目的はこの村の温泉じゃな。ここの泉質は肌にいいらしくてな、美肌の湯と呼ばれておる」
「む、聞き捨てならぬな。村長よ、今でも温泉はあるのか?」
「もちろん出ておるよ。この屋敷にも引いておるから、夕食前に入ってくるといい」
その言葉にエルとルーシーは顔を見合わせ、軽やかな足取りで温泉に向かう。
二人から顔を赤らめながら一緒に入ろうという本気か冗談か分からない魅力的なお誘いを受けたが、さすがにリクには刺激が強すぎるので止めておいた。
二人の姿を見送ると、村長と話を続ける。
「魔素濃度が低くなったらこの村もまだまだ復興できそうですね…」
「そんな奇跡が起きればいいんじゃがな…そう遠くない未来に村が滅びると分かっていても、儂らの様な年寄りはここを出ていくことは出来ん。新たな土地で糧を得るには年を取り過ぎた」
―確かにかつてはそれなりに活気があったとはいえ、贅沢をできるほどではなかっただろうな。どこか新しい土地で再起するにしても、先立つものが必要だ。若ければ働く場所さえあれば何とかなるだろうけど…―
村長の沈痛な面持ちを見て、リクはいたたまれない気持ちになってしまう。
「そんなに暗くならんでもいい、お前さんはいい奴じゃな。なに、儂らはもうとっくに村と心中することを受け入れておるよ」
「そうですか…明日の採掘で魔素濃度の件も少し調べられるかもしれません。泊めていただいたお礼に気にしてみることにします」
「ほほ。今時珍しいほど律儀な若者じゃな。きれいな婚約者が二人おるのも納得じゃ」
笑いながら村長に言われたその言葉にリクは顔が赤くなる。
―烏滸がましい考えなのは分かっているけれど、自分が関わった人くらいはどうにかしてあげたいよな。多分俺たちなら出来ることはあるはずだ―
魔王ルーシー討伐という目標を失い、何となく旅に出て何となく力を求めた。
二人の婚約者の為という理由はあったが、過ぎた力であるというのは明らかで、傍から見れば危うさを感じるものであった。
そんな浮足立った自分にとっての、この世界で生きる意味が少しづつ明確になっていくのを感じ始めていた。
―何も難しいことを考える必要はない。もっとこの世界の人たちに関わろう。目に映る人たちを助けられる範囲で助けよう。俺は自己満足でいいから人を助けたい―
リクの何か決心したような顔を見て、村長は少し羨ましそうな表情を浮かべる。
「あー気持ちよかった!ここの温泉最高だよ、お肌すべすべになったもん」
「うむ、確かに温泉の為に貴族が来たというのも頷けるものだった」
二人が口々に温泉を絶賛しながら、リビングへ戻ってくるとそのタイミングで村長の奥さんも帰ってくる。
「あら、お客さん?珍しいわね。私はロア、この人の妻よ。今日は泊って行かれるのよね。ゆっくりしていってね。」
三人は簡単に自己紹介する。
「温泉を気に入ってもらえて何よりじゃ。さて、儂らは夕食の準備でも始めるとするかな。お前さんも入ってきなされ」
「はい、ありがとうございます。」
「では妾も準備を手伝おう」
「私は…収納してる食材を出すわ」
エルのはすぐに終わりそうな手伝いだなと思いながら、口には出すことなくリクも温泉に向かう。
温泉は確かに見事な物だった。広々とした浴槽に足を延ばして肩までつかると、一日の馬車移動の疲れが、残らず温泉に溶け出していくような感覚を味わうことが出来た。源泉かけ流しの湯で、少し滑り気のある泉質が肌によく馴染み、すべすべになっているのが分かる。
「これは二人が絶賛するのも尤もだな。この温泉が無くなるのは惜しい。まずは明日火山に行って魔素濃度が上昇した原因を探らないとな…」
リクは長風呂ではないので十分程湯に浸かると、さっさとリビングへと戻る。
「お風呂ありがとうございました。気持ちよかったです」
「どういたしまして。もう大体夕食の準備も出来てるわよ。ルーシーちゃんは料理が上手いし、エルちゃんは空間魔法の達人だし助かったわ」
「ええ、二人とも本当に頼りになります」
いつの間にかちゃんづけになっていることに若干の違和感を感じるも、まあ村長と奥さんからすれば、二人は孫みたいな感覚かなと思い納得するリク。
自慢の婚約者二人はと言うと、やはり顔を赤らめてもじもじしており、そんな二人の様子を村長夫妻は微笑ましく眺めていた。
その日の夕食では、村長夫妻からかつてのトカナ村の様子などを色々と話してもらっていた。久しぶりの外からの客人に語るその様子は、とても楽しそうではあるものの、どこか寂し気に見えた。
三人はそんな様子を見ながら明日の採掘で原因を突き止め、何とかできないかと考えるのであった。
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