第41話 受け継ぐものと語り継ぐもの
【受け継ぐものと語り継ぐもの】
王は譲位してセドリックが戴冠ということで大騒ぎがはじまったのが舞踏会の夜の一週間後だ。王宮も王城もてんてこ舞いだが、物事のド真ん中にいるにも関わらず、真夜とアルはのんびりとしていた。
「旦那、ご苦労さまです」
白薔薇でできた天空庭園への入り口を守護しているのは王弟付きの騎士であるケントだった。入り口は、今では立派な祭壇ができて専属の守備騎士が立っている。悠久庭園の白薔薇でなくてはいけないのでキースとケント、セリーヌと居座るようになったフマルクが交代で運び、入り口至近を守っている。
「ケントもご苦労さま。古巣での仕事も悪くないだろう?」
バスケットを持って現れたアルは、領地には七日に一度帰っているが基本王宮に居座り、兄とセドリックを支えながら真夜の世話を焼いている。
「俺には白薔薇公爵邸が一番ですよ」
「安心した。君が王城に帰りたいと言い出すんじゃないかとヒヤヒヤしていたんだ」
ケントのその言葉に泣いて安堵するのはソフィなのだが、彼は彼女の恋心に知らぬフリを決め込んでいる。
「俺、浮かれちゃいますよ?」
「かまわないさ」
ちなみにキースは静かに落ち込んでいる。
「真夜は元気ですか?」
舞踏会のドレスを着替えて以降、真夜は天空庭園にこもりきりだ。
「ああ、よく働いてくれている。私にはなにも手伝えないのが悔しいところだ」
「王弟殿下に食事を運ばせるなんて、世界で真夜だけですよ」
「まったくだ」
アルは笑って輪をくぐった。
王妃が眠る薔薇園での改変作業は、見た目だけならのどかなものだった。クッションを敷き詰めた芝生に寝転び両手は頭の下、足を組んで完全に昼寝の体勢の真夜は、サボっているようにしか見えない。
彼女の隣にアルは座りそっと見守る。今は寝ていることが彼女の仕事だ。見つめていると起きてくれるのか不安になって揺り動かしてしまいそうになる。
「んっ…………」
まぶたが動き手足が伸びる。猫のように全身を突っぱらせる。まぶたが開き琥珀が現れた。
「おはよう。私の黒薔薇」
アルがそこにいることを知っていたのか、真夜はわずかも驚かない。驚くどころか躰を弛緩させて芝生に四肢を投げ出した。
「今は、昼か?」
「ちょうどティータイムの時間だよ」
言ってアルはバスケットからお茶と食事を取り出す。
「食べるだろう?」
「食べる!」
跳ね起きた真夜はアルが差し出すものを次々と口に放り込んでいく。
「どんな調子だい?」
ずいぶんと間が空いた。
「…………まずは王妃と王様に関して調べているところだ。大体のめどは立った。一緒に、眠ってもらうことになる……と、おもう」
歯切れが悪い。ごまかすように黙々と食べている。
「最近、眠る時間が長くなっていくね」
真夜は答えずサンドイッチを頬張る。食べながらでもおしゃべりな真夜らしくない。
「君が二度と起きないのではないかとおもえてしまう」
アルが覗きこんだ先には渋い顔があった。
「今の言葉は聞きたくなかった」
「なぜ?」
「アンタが望むならおれはなんだって叶えてやると、言ったからな」
「それは、私の願いを叶えられなくなる日がくるってことかい?」
「…………わからん」
バスケットが空っぽになるまで二人は無言ですごした。
真夜がお茶まで飲み干したのを見届け食器を片付ける。ここしばらくのあいだで、アルは給仕が様になってきた。
「兄さんを眠らせた、そのあとは?」
真夜はやはりすぐには答えない。
アルは象牙色の頬を撫で黒髪を梳く。
「その前に、王様が背負っていたものを割り振らなきゃならない」
「罪と罰を?」
「もうその言い方は正しくない。神が罪を許していないなら、おれはきっとアンタに会えなかった。罪はもう許されているが、罰だけがここにある。でも、これは、努力すれば変えていけるんだ」
神はきっと人が自ら選び考えて繁栄する世界を見たい。そう言う真夜が、アルには世界の統治者のように見えた。
「薔薇の回復薬が年々効かなくなってるって論文を書いていたな」
「よく知っているね。最近書き上げたものだ」
「たまたまな。薔薇の回復薬に頼らない世界を考えて研究所を作ったんだろう? 大地の魔力を極力使わないように、魔力の貯蔵設備と魔力鉱石の養殖を考案した。温泉の熱を使った動力装置の開発は悠久庭園領が一番進んでいる」
ずいぶんと昔の論文まで持ち出してきた真夜にアルは驚いた。
「世界は変えられる。その意志があれば、だけどな。罰だと受け入れるな。抗え。それが許された。おれとアンタが出会った意味を陳腐なものにするな」
人よりずっと長く生きてきた。狭い場所に引きこもりながらも、それでもたくさんの人と出会い別れてきた。彼女ほど気高く力強く美しい存在をアルは真夜以外に知らない。
「君といると本当に飽きない」
「ならずっとおれのことを考えていろ。忘れるな」
男らしいことを言い捨てて真夜はまた寝転ぶ。
「王としての役目をセドリックに引き継ぐ。神が与えた君主の才ってやつだ。これも、薔薇の回復薬と一緒で効果は薄くなっていくはずだから人としての努力が必要だ。支えてやれ」
アルも隣に寝転んだ。
「わかったよ。できるかぎり力になろう」
「それから、王様が持っていた不老不死をおれが引き継ぐ。王妃に科せられた楔の役目もだ」
真夜が寝返りを打つと琥珀に灰色が映り込んだ。屈強な男にすら怯まない勇ましくしなやかな体を抱き寄せる。目頭が熱くなった。
自分より細くて小さいのに世界すら掴んでしまう手に両頬を包まれた。
「不老不死の管理者が二人いなければ魔力循環が止まる。今魔力循環が止まれば世界は滅ぶだけだし、おれが生け贄として数に入っているのはこの間証明された。王が眠りについても魔力循環が止まらないのなら存在しているという事実が鍵だと証明できる。そのあと、おれが改変のために眠る」
〝命の薔薇〟を使って神域に寝床を作り眠り続け不老不死の移譲をした後、カレンとニコールの再会のための改変を行う。順次〝薔薇の眷属〟を苛んだ枷を外し、自由に選択し世界を見つめられる新たなルールへ書き換える。長い長い時間が必要だ。普通の人の身では耐えられない時間が。
「必ず起きる。まだ仕事の報酬を手にしてないからな」
「契約を切らずに待っているよ」
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
半年後にはセドリックの戴冠式が行われた。天空庭園にまで歓声が聞こえてくる。真夜は夢うつつで誰かの足音を聞いた。
「甥の晴れ舞台だぞ? 見なくていいのか?」
隣にくる温もりに向かって目を開けた。
「必要なところは出たし。晴れ姿は目に焼きつけた。兄上の勇姿もね」
「オスカーあたりは感動して泣いているだろうな」
その通りでアルは笑った。
「おれからの祝いだ」
真夜が手を掲げると風が吹き薔薇の花びらが舞い上がった。
(いつの間に魔力を操れるようになった!?)
「改変のついでにな。アンタにも悪いことじゃないぞ」
「今聞こえた声は、〝命の薔薇〟かい?」
アルが耳に手を当て目を見開いている。形のいい耳に、確かに聞き慣れない女の声が届いていた。
(我が愛しき者よ! 我の声が届くのか!?)
「ああ、〝命の薔薇〟、これがあなたの声なのか」
声だけだが二人はきゃっきゃうふふと戯れる。真夜は小娘か、と、ツッコミを入れたくなった。
(我が恋敵よ! よく成し遂げてくれた! さすがは我が恋敵!)
「ついでだついで。しばらくは世界で二人きりになるんだ。神様も哀れに思ったんだろ、案外ユルユルだったぞ」
「まったく君は、例外もいいところだね」
薔薇の花びらが下界に降り注ぐ。歓声が大きくなった。「セドリック陛下」と、皆が叫んでいる。
それからさらに半年。久しぶりに真夜がはっきりと覚醒していた。
「やることは全部やったか? ま、もう死人扱いだからなにもしようがないけどな」
先だって先王ニコールの葬儀が行われた。急逝した先王の報に国民は悲しみ盛大な葬送となった。まだ生きているし、なんならまだ不老不死なのに死人にされた本人は逆に表情がすっきりとして初めて真夜が会った時よりも元気そうだった。
「この一年、王になって初めて生きている心地がした。有意義な時間をすごせたよ」
簡素なシャツにズボンだけをまとった男は屈託なく笑う。カレンと並んで笑っている姿を見たいと思った。
「フォン、失望させてしまったね。あのときの俺は、君なら俺を殺してくれるんじゃないかとおもっていたんだ。辛かっただろう」
「陛下、全部お気づきになられて……」
「長いこと王様をやってきたからね。君が一番優秀で俺に心を掛けてくれた。ありがとう。フォン」
握手のために差し出した手の甲に赤薔薇の刻印があった。色あせている。
「陛下っ吾の陛下! ニコール陛下!」
「これからも王家を支えておくれ」
ただの男となった王の言葉に宰相は人目もはばからず泣いていた。
「セドリック、オスカー、アリエル、よく顔を見せておくれ」
ニコールは三人まとめて抱きしめて顔を覗き込む。アル、真夜、宰相、の三人は家族から距離をとった。
「報われたな、宰相さん」
まだ男泣きを引きずっている宰相を真夜は小突く。
「うるさい。傭兵には関わるなと子々孫々受け継いでくれるわ」
「泣き顔見られたからって拗ねるなよ」
「…………生きてまた立派な陛下の姿を見られたこと、感謝する」
そう言って、宰相は天空庭園の端から飛び降りた。正式な帰り道なのだが、なんとなく、ここで死んでも悔いはないのだろう、という気がする。
「こじらせてるなぁ」
「兄上の人徳だな」
誇らしげなアルにオスカーの姿がかぶった。ああ、こいつ弟だわ。
「アル、真夜」
振り向けば笑顔のニコールがいた。後ろの三兄妹は泣き笑いだ。
「んじゃ、やるか。兄弟のお別れはすんでるんだろう?」
「この一年で十分に」
二人が同時に同じセリフを吐く。
「〝命の薔薇〟、頼む」
(あいわかった)
王妃が眠る水晶が光る。
「何度も説明したとおりだ。目が覚めた一瞬を大事にしろよ」
水晶の中では時間が止まる。真夜の改変が終われば水晶が解け二人の時間が進む。数千年の止まっていた時間だ。
「ああ、君に至福が訪れることを願う。アル、この世界を任せた」
「任されたよ。しかたないからね」
兄弟は笑って別れる。一年ごときでは語り尽くせなかったはずだ。それでも二人が笑っているから、誰もなにも言わなかった。
近づいたニコールを水晶は水のように受け入れた。カレンの隣に横になり、妻を抱きしめて男は眠る。水晶の光が収まり二人の時を止めた。
水晶を撫でた手にアルの手が重なる。後ろからの衝撃を受けた。
「お姉様いかないでっ」
「アリィ、いけないよ」
「おまえも泣くなオスカー」
結局三人でくっついてくる少年少女たちの頭を真夜はゆっくり撫でてやった。
「うまくいけばまた会える。しっかり生きろよ」
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