第33話 白薔薇様の好きな花

【白薔薇様の好きな花】


 真夜はちょっとした地獄を味わった。

 温室に迎えにきていたキースはにやけ顔が隠せていなかった。腹いせにソフィに陰口吹き込む、と、幼稚な脅しをかける。着替えるために向かった先でソフィたちメイド陣とセリーヌにもみくちゃにされ、着せられたものはガーデンパーティーのために仕立てたドレスで、今アルが来ている服と対になっているデザインだ。髪と胸に白薔薇を飾られ、聞こえてくる〝命の薔薇〟の声は高笑い。極めつけは応接室に抱擁で迎え入れられたことだ。

 笑いを堪えきれず肩を震わせているケントだけなら一暴れできたものを、クレイオが涙ぐんで微笑んでいたので、死んだ目でアルを受け入れるしかなかった。


「私の黒薔薇、ずいぶんと熱烈な言葉をありがとう。届けてくれた〝命の薔薇〟には特別な礼をしなくてはね」


 腰を抱かれ顎を指先で掬われる。


(我が愛しき者が喜んでいるならそれでいい)


 嫉妬に狂って閉じ込め、近づいた相手を食い殺していた存在の言葉とは思えない。


「どうすれば忘れてくれるんだ?」


 瞳も表情も声ですら虚ろだった。


「忘れるとおもうかい? この世界が始まった時から全てを覚えている私が」


 二人にしか聞こえない囁き声で睦言が紡がれる。

 唇が今にも触れそうだった。


「なんにでも例外はある」


「そうだね。私にとっての君のように」


 黄色い悲鳴があがった。

 ようやくここがどこか思い出したのかアルが色っぽいため息をつきながら離れていった。


「叔父上……あの……その辺で、アリィもいますので」


 アルが振り返った先には、真っ赤になったセドリックと両手で顔を覆いつつ指の間からこちらを見ているアリエルを背中にかばうやはり真っ赤なオスカーがいた。


「申し訳ない。あまりにも感動したものでね」


「そちらのご令嬢をご紹介いただけますか?」


 さすが長兄立ち直りが早い、と、思いたかった真夜だが、いっそのこと言葉で貫かれ死にたかった。


「もちろん。私の黒薔薇、私の婚約者、真夜・ルゥだ」


 いや、アルを道連れにしよう、と、真夜は軽く世界の理を飛び越えた。

 扉の向こうでも甲高い歓声と野太い雄叫びが響いている。


「きゃーステキ! 叔父様の婚約者! どちらの家の方!?」


「おれは傭兵だ。貴族的な礼は勘弁してくれ」


 身もだえる姫に真夜は素っ気なく返す。

 アリエルは言葉が理解出来ないようで首を何度も傾げた。


「ようへい……傭兵? よう、へい?」


「アリィ落ち着いて。説明してあげるから」


 オスカーがなにをどう説明する気か知らないが真夜は全てを投げた。


「珍しい花が傍に咲いた、というのは彼女のことだったんですね」


 呆然とするセドリックにアルはにっこりと笑顔だけで返す。

 真夜は、幸せそうな顔に免じて許しそうになる己の手の甲をナイフで貫きたくなった。

 クレイオに促されて三兄妹は腰を落ち着ける。

 誰の目からもアルが逸れた隙を突いて膝裏を蹴り抜いてやった。

 そこそこの騒ぎを起こした後再開された「大事な話」を、真夜は、好奇心が抑えられない三兄妹を尻目に、扉横の壁に寄りかかり腕を組んで全員を遠目に観察して聞いていた。壁を挟んだ反対側にはセリーヌが控えている。真夜はアルのポケットに通信鉱石を忍ばせていた。同じ術式を仕込んだ通信鉱石をセリーヌが持っている。セリーヌの声は〝命の薔薇〟に頼んで真夜の胸の薔薇から届くようにしてもらった。

 要約すると、


「王様がなんかヤル気なくしている間に宰相が牛耳る算段を立てたわけだ。で、結託されて困る王弟のアルと甥達をバラバラにしておこうと一連の噂を嘘とわからないように仕立てた」


 叔父上を愛称で呼び捨て乱暴な言葉を使う真夜にセドリックが眉をひそめるがそれだけだった。


「んで、段々ことが大きくなるもんだから、噂を逆手にとっていがみ合う兄妹を演じてたら、王様が体調を崩して本格的に部屋に引きこもりだしたからアルの命が狙われるんじゃないか、と、妹の船で忍んできた」


 ついでに暴動を抑えるために派手めな演出で登場。

 引きこもっているくせにやたら通信が入ったり傍に置きたがるくせに執務室から追い出す時があったことを、真夜はようやく納得した。


「もし、王が位を譲られるならそれは叔父上だ。政治に関わっていないが、父上は叔父上を信頼している」


「叔父上が兄の信頼を疑えば王位に就いた時に頼れるのは宰相だけだと印象づけるためだと説明されましたが、そんなにうまくいくものですか?」


 オスカーに答えたのはセリーヌだ。


「噂っていうのはバカにできないわ。なにより真実よりも軽く口に上る。この手の噂は水より早く流れるんだから。その宰相、火付け、を名乗ったほうがいいんじゃない?」


 真夜の口を通して応接室の面々に伝える。


「要は実際に仲違いするかどうかよりも周りの連中に疑心暗鬼を生じさせるのが目的なわけだ。証拠なんて残らない。お前の兄上は優秀な宰相を抱えているな」


「父上を侮辱するのか?」


 セドリックが即座に反応する。真夜は手を振って剣呑な視線を振り払った。


「侮辱できるほど国王を知らない。が、おれが知っている限り国王はずいぶんと堅実な政をする印象だ。派手なだけで実利がすくない暴動ばかりを見逃すとはおもえない。かわいい王子たちや弟が巻き込まれているのにそれでも動かないのか?」


 神罰により不老不死を与えられた兄弟の兄であるなら体調不良ではないはずだ。神から才を与えられた国王。全能を与えられながら恋の嫉妬に狂った薔薇が重なって見えた。


「それが、薔薇狩りの件だけは、王のご下命を賜った、と……」


「そんなはずないわ!」


 オスカーの報告にアリエルは叫ぶ。しかし、今回の暴動は王の指示。それがどうにも噂ではないらしい。公にはされていないが、宰相も動いている。証拠を残さずことを大きくしてきたのに、この一点だけは妙に宰相が姿を現している。


「そこまでして薔薇を燃やしたいか……」


 あまりにもしょぼくれたアルの声に仮面を剥がして舐めてやりたくなった。


「匂いにでも飽きたんじゃないか?」


 真夜は見たことのない兄上とやらに怒りを覚える。そして、おそらく真相を知っているはずの〝命の薔薇〟が、アルが悲しんでいるのに口出ししてこない。さっきは真夜の言葉を勝手に届けたくせにだ。ルールに抵触しているのかもしれない。

 沈んだアルを気遣ってか、夕食までの時間は、会談は休憩となった。おおまかな現状の共有はできている。あとはこっちがどう出たいか、なにをしたいか、だ。

 真夜を強烈に気に掛けつつ、三兄妹が出て行く。ケントもウインクひとつ飛ばしてきて出て行った。王族の退室前にセリーヌは姿を隠し通信を切っている。

 応接室に残ったのはアルとクレイオ、壁際の真夜の三人だけだ。


「クレイオ、私はなにをしてしまったのだろうね」


「本気でいがみ合う兄弟もおりましょう。しかし、私は旦那様を知っております。旦那様は陛下を心から気にかけていらっしゃる。必ず陛下にお心は通じているはずです」


 アルは返事をしなかった。

 クレイオが真夜に目配せをして出て行く。

 ゆっくり近づき目の前に立つ。視線はあわない。仮面をはずしても瞳は虚空を見つめている。襟首をつかんで床に押し倒した。額がぶつかるほど顔を近づけむりやり視線を奪う。


「なにを考えている? なにを見てる? 言え。見せろ。さらけ出せ」


 低く唸った真夜にアルは乾いた笑いを返した。


「君ばかり私を暴く」


「アンタが見ていないんだ。おれはおれを見せている。ずっとアンタのことを考えて、会ったこともないアンタの兄貴に腹を立ててる。キースは若くて眩しい。ケントは付き合ったら面倒だからよく考えろとソフィに言いたい。クレイオさんとは一回飲みに行きたいし、セリーヌの仕事をもっと間近で見てみたかった。アンタが望むならここから連れ出してやりたい。アンタの騎士にはなれないが、アンタのために命は賭けてやる。どうしたいか言え、アル」


 たたみかける真夜にアルは押し黙る。

 真夜は辛抱強く待った。ただし、視線は決して逸らさない。


「兄上に、会いたい。どうして薔薇を燃やすのか訊きたい。悩んでいるのなら共に悩みたい」


 願いはとても些細なことだった。

 真夜は不敵に笑う。


「ならその兄上とやらに会いに行くぞ」


 だだをこねる幼子のようにアルが首を振る。


「私はこの領地から出られない。〝命の薔薇〟の束縛だけでなく、管理人は悠久庭園を離れられないし、私たち兄弟は会うことを禁止されている。これは〝命の薔薇〟にも変更できないルールなんだ」


「なんにでも例外はある。〝命の薔薇〟にとってのおれみたいに」


 真夜の言葉を理解したアルの口端がほんの少しだけ上がる。


「私にとっての君のように?」


 なにもかも諦めたはずの両手が真夜の頬を包む。


「そうだ。おれにとってのアンタみたいに。ほかに言い訳は?」


「ないな」



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