第32話 彼女たちのはなし

【彼女たちのはなし】 


(久しいのう。なにも言わずとも訪れるとおもっておったが、我が愛しき者との逢瀬に気遣ったか?)


 神域でふんぞり返っていたのは真っ赤な薔薇だった。初めて見た時より色艶も良く一回り大きくなっている気すらする。

 アルがいつでも来られるようにテーブルセットは整えられ、紙とペンとインクが常備されている。

 アルが自ら運んできたときのまま二脚ある椅子の片方に座り頬杖をつく。


「仕事してたんだよ。どうせ見てたんだろう? 肌つやがいいんじゃないか? アイツと寝たのか?」


 そこら中のクリスタルに屋敷中が映し出される。真夜の一番近くには応接室の映像と音声が浮かんでいる。


(人間同士のように躰でつながらなくとも、我と我が愛しき者は言葉で深く繋がれるのだ。我らが関係は唯一無二の特別なもの故な!)


 〝命の薔薇〟は真夜に対してマウントをとりにきた。

 真夜はリングに上がっているつもりはない。

 アルは窓際に立って外の様子を眺めている。セドリックとオスカーは窓側のテーブルセットの椅子に座り、アリエルは暖炉近くのソファーに座っていた。


「ケント! 久しぶりね。叔父様とはうまくやっている?」


 アリエルがケントを見つけて笑顔になった。


「ご無沙汰しております、姫。アルモリーク公に仕えることができて、騎士ケントは幸せ者です」


 ケントがアリエルの小さな手をとり手の甲にキスを贈る。

 久しぶりに見る猫かぶりのケントが新鮮だった。


「なら、今度から人を食う前に話し合いをすることだな」


(うむ。我はもう、人は食わぬ。嫉妬に狂い我が本分を忘れはしない。我が愛しき者と誓ったのだ)


 応接室にいる全員が全員と顔見知りらしく、アリエルが落ち着けばすぐに本題に入った。今回の暴動の経緯と、なぜ三兄妹が揃うにいたったのか。


(ただし、相手が汝である間は、だ)


「……は!?」


 発端は鉱山暴動らしい。管理者であるセドリックの怠慢で起きた暴動は、兄を王太子から引きずり下ろそうとする弟オスカーの陰謀である。しかしその噂を流したのは、オスカーが進める医療研究施設事業によって薔薇の回復薬が不要になることに懸念を抱いたアルモリーク公であり、一連の庭園領襲撃案件はオスカーによる報復である。と、いうのが王城での主流な噂だった。

 見事なつじつま合わせだが真夜に口笛を吹く余裕はなかった。


(我と我が愛しき者の時間は悠久。我が愛しき者はそれを受け入れてくれた。だが、人としての快楽は我には与えられない)


 本を読んだり研究したり、剣を振るったり、家族と団らんを楽しんだり、肌を触れ合わせたり、そういった人間らしい快楽は、たしかに〝命の薔薇〟との語り合いでは十分には得られないだろう。


「王城には一流の劇作家がいるらしいね」


 アルの声に頬に当てた指がひくついた。


(であるから、人間としての触れ合いの部分は、真夜、汝にまかせることにした。これは我が愛しき者との協議の結果だ)


「勝手にまかせるな!」


 真夜が吠える。

 同時に、応接室でアリエルが大好きな兄二人と叔父を陥れる噂にキャンキャンと吠えていた。


「まかせるってなんだ!? そもそも協議ってなんだ! セックスは誰とするかについてアイツと話し合ったってか!? アイツ専用の娼婦になるつもりはないぞ!?」


「オスカーお兄様は評価されないセドリックお兄様の名誉を挽回しようと努力しているだけではありませか! 叔父様のことだって、薔薇の回復薬の売り上げは、大半は国庫に入っているのでしょう!? セドリックお兄様は、無能扱いされていますが、誰よりもお父様や私達のことを気遣ってくれる優しいお兄様ですのに!」


 涙目で叫ぶアリエルを駆け寄った二人の兄が宥める。応接室に噂を信じているものはいない。他の部分はともかく、薔薇の回復薬に関しては、アルは自ら回復薬が不要な世界を作るために努力している。何百年も前からだ。きっと、研究所で見た大量の本は全部アルが書いたものだろう。


(そうではない。真夜よ、汝は、我が愛しき者を好いておるだろう?)


 言葉に詰まった。茶化すことも戯れ言で流すこともできない。


「セドリック、オスカー、よくがんばったね。アリエルもよく兄たちを見守っていてくれた」


 本当の甥ではないし血のつながりは希薄になっているだろうに、向ける視線は慈愛に満ちている。

 他にも見るべきことは多いはずなのに、誰かを愛おしげに見るアルの瞳を見てしまう。


「泣き虫で、寂しがり屋で、構ってほしがる、外面ばかりいいが情けない男だ」


(なぜ傍にいる。なぜ唇を許す。なぜ肌を許す。気に食わぬなら汝はいつでも出て行けた)


「……金払いがいいからな」


(枷をつけて辱める人間ぞ)


「わからん! ただなんとなく許せた! 傍にいてやろうとおもった! アンタとアイツが言葉を交わせるならお役御免だとおもった! それだけだ!」


(それは恋だの愛だのいうものだと、我は此度の件で学んだ)


「私の黒薔薇」


 呼ばれてはっとした。アルが胸元の薔薇を見つめている。


「そういうことは私に直接言ってもらいたいね」


 庭で足を絡め取ったり、尋問中に首を締めたり物理的な行動に出られるなら、声を届けるくらいは簡単だろう。実際、〝命の薔薇〟の声は離れた真夜に届き呼んでいた。


「おまえ!」


(すまんな。棘が滑った)


「私の元においで、私の黒薔薇」


 なに甘い声出してんだよ! と、叫んだつもりで叫べていなかった。後ろで騒いでいるケントは一発殴ると決めた。「叔父様の婚約者ですか!? まさか殿方!?」とか、きゃぴきゃぴしている姫には、次食べるお菓子がなんかまずいことを、真夜は本気で願った。



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