第26話 恋は薔薇をも狂わせる

【恋は薔薇をも狂わせる】


 掛け流しの湯が止められた温室でクレイオとケントとキースは無意味にわき出る不安と戦いじっと待っていた。

 ふらりと執務室から出て行った主が楽しみにしていたティータイムすらすっぽかしてお気に入りの薔薇と睦み合い、上機嫌で帰ってきたと思えば顔色を変えて飛び出していった。温室の奥に主しか入ることを許されない秘密があることは周知されていたが、長年仕えてきたクレイオですら見たことがない主の慌て振りに、主が秘密と定めたから、と、そこを放置してきたことを、クレイオ、ケント、キースは悔やんだ。

 そうこうしている間に主は戻ってきたが今度は自らテーブルや椅子を運び始める。お気に入りの薔薇用に作らせた服も持っていたから件の人は無事なのだろうが、主が剣よりも重いものを運ぶ事態に使用人の混乱は極まった。

 どうすることもできない時間を踏み越え主が消えた先を見つめていると、人影が現れた。

 クレイオが誰よりも先に駆け寄る。


「傭兵殿っ」


 ケントとキースがそろって「真夜」と呼ぶ。

 真夜は主が持っていった食器を両手に帰ってきた。


「クレイオさん、お茶の準備をしてもらえるか? 一緒に下へきてアイツにお茶をいれてやって」


 いつもとかわらない調子の真夜に三人は不安の一部を溶かした。


「旦那様はご無事で?」


 真夜はキースに下げてきた食器を渡す。キースは不安げな顔を隠せていない。


「この世界でアイツが一番安全な場所だよ、あそこは。あ、お茶は三人分」


「かしこまりました」


 不思議な人数の指定に疑問を挟むことなくクレイオはお茶の準備をしに、なんとしても動かなかった温室を出て行く。キースは祖父の後を追った。温室の外、三人の様子を覗ける場所にセリーヌは静かに立っている。普段は喜怒哀楽がはっきりと激しい彼女は、今は冷たく見えるほど無表情だ。


「俺やキースはついていけないの?」


 ケントが軽い調子できく。目だけが装った感情に染まっていないことを、おそらく本人も気づいているだろう。

 三人の様子から、真夜はアルが相当取り乱したことを知る。そしていそいそとテーブルや食事を運ぶ主にクレイオをはじめ使用人たちは取り乱したことだろう。


「今はクレイオさん一人だけだ。白薔薇の旦那は面倒な相手に懸想されてるらしい」


(きこえているぞ黒の者)


 しゃべりかけることに遠慮がなくなった〝命の薔薇〟を真夜は無視する。


「大変だ、君と三角関係になるな」


 大げさな身振り手振りでケントは茶化す。


「怖いこと、言うなよ」


 肩をすくめる真夜にケントはむりやり貼り付けた感情を剥がした。泣きそうな、困り顔だ。


「……旦那や君は大丈夫なんだね?」


「今のところは、な。もしかしたら、これから修羅場になるかもしれない」


 素を晒したケントに対し真夜は揚げ足をとって茶化す。低く笑い合って、複雑な感情にどうにか折り合いをつけた。

 外にいるセリーヌと真夜の目があう。


「そうだ、ケント、少しさぐってもらいたいことがある」


 真夜とケントが一通り話し合ったところでクレイオが戻って来た。

 クレイオを伴って神域の入り口に向かう際、真夜はケントを振り返った。


「頼んだぞ」


「やれるようにやってみるよ」


 ケントが動き出すと同時にセリーヌの姿も消えた。



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 神域にクレイオを連れて降りる。

 知り尽くしているはずの屋敷に常識では考えられない光景が広がっていることに驚いているようだったが、アルの姿を見て安堵し淀みなくお茶を淹れはじめた。アルから一通りの話を聞かされても静かに頷くだけだった。


「便宜上、〝命の薔薇〟の眷属に仕える奴隷ってことでクレイオさんはここへの立ち入りは許可されたから、今後はアルに付き添えるはずだ」


「真夜殿」


 今までにない呼び方をされて真夜は反射的に背筋を伸ばした。


「ありがとうございます」


 いつも冷静な瞳が潤んでいる。むずがゆくなって身を捩った。


「どういたしまして」


 なんとかそれだけを返して真夜は三つ目のティーカップを持ち上げる。〝命の薔薇〟の台座に置いた。

 目に見えるほどに〝命の薔薇〟が揺れる。


(まさか、我が愛しき者と茶をたしなむことができるとは)


 スルスルと伸びてきた茨がティーカップに伸びる。どういう原理なのか茨はチューチューとお茶を吸っている。それは根の役目では? と、思うが、そもそも〝命の薔薇〟が植物の態を成しているかどうかもあやしい。色々考えてでてきた言葉が、


「薔薇って雑食だったんだな」


 だった。


(我は人間のように栄養補給は必要ない。これはたしなみである)


「じゃあ、消えた人間はどうしたんだ?」


 突然ぶちこんだ真夜にアルとクレイオが注目している。

 〝命の薔薇〟はお茶を飲み干すまで無言を通した。


(我が愛しき者が引き寄せる絆が許せなかった。我はここで見ているしかできぬのに、触れ合い繋がる存在があることが我慢ならなかった。我が愛しき者をこの世界で一番愛しているのは我だ。だから食った)


 〝命の薔薇〟の言葉にアルは手で顔を覆う。


「私が触れたからか」


(ああ、我が愛しき者よ、悲しませたくはないのだ)


 アルの中では神罰として諦めていたのだろう。だが、どこかで諦めきれず、拘束という形で現れた。

 しかし、それは神罰などではなく、ただの嫉妬だった。


「真夜殿が犠牲にならなかったのはどういったわけでしょうか」


 嘆く主人に代わってクレイオが口を挟む。


「おれが公爵邸の結界を改変したときに〝命の薔薇〟のルールにも触れたんだろう」


 結界を閉ざされた扉と例えるなら、真夜の改変の仕方は、鍵の形を解析し正規の方法で開けたと扉自体に錯覚させるようなものだ。

 白薔薇公爵邸の結界は神域を守る結界でもある。改変したことで〝命の薔薇〟が設定したルールを読み取り、それによって〝命の薔薇〟と意思疎通できるようになった。それが、〝命の薔薇〟と真夜が出したクレイオへの返答だった。


「どうやら私の黒薔薇は規格外の存在だったようだよ」


 いつの間にか立ち直ったアルがドヤ顔をする。


「旦那様は薔薇に関して世界一の見る目をお持ちです」


 クレイオの主贔屓に真夜は苦笑を漏らす。

 たしかに、よりにもよって〝命の薔薇〟に手を出したのだからとんでもない見る目だ。口にはださない。


「とにかく、アンタがここからでられないのもベッドから人が消えるのも全部〝命の薔薇〟の嫉妬だったってわけだ」


 神が与えた罰の範疇外。甘んじて受けるものではない。ただし、主導権は〝命の薔薇〟にある。あとは当人たち次第だ。


「君は……もしかして私のために?」


 さんざん「私の黒薔薇」と、呼んでいたのにいまさら困惑した表情を見せる。

 真夜は見せつけるように笑ってやった。


「おれの仕事はアンタを退屈させないことだろう? 最大級の暇つぶしを用意してやっただけだ」


 安眠妨害の騒音に文句をつけにいったらたまたまこういう結果になっただけだが、そこは傭兵。上げられる株はあげておく。


(黒の者よ、しかし汝がいなければ我は我が愛しき者と言葉を交わせぬ)


 台座から空っぽになったティーカップを下げる。


「アンタ手があるだろう? いや、それは口か?」


(なんと! 我はなぜ今まで気づかなかったのか!)


 この世界の言語は基本的に統一され、文字も古来より同じ物を使っている。惚れた男の寝室をつぶさに観察しているなら文字の一つぐらい覚えているだろうし、文字の発祥は〝命の薔薇〟が意図したまである。


「アルがここに来るたびになに考えてたんだよ……」


(我が愛しき者を見つめるのに忙しかった)


「色ぼけか」


 小さな白薔薇をつけた蔓が伸びてくる。棘がなく、リボンのように可愛らしい葉を飾った〝命の薔薇〟の乙女心だ。花を飾った指先が空中に光の軌跡を描く。


(我が愛しき者よ)


「ああ、〝命の薔薇〟よ。あなたと言葉を交わす日を待ちわびていました」


 アルは台座の前に跪き、恭しく手を差し出した。白い指先に白薔薇が乗る。小さな花弁に紳士的なキスが贈られた。

 クレイオが椅子を運び台座のすぐ近くにアルを座らせる。二人は文字と言葉で会話を始めた。

 真夜は二人に背を向けティーカップをテーブルに置くとそのまま扉に向かった。


「旦那様、薔薇様のお言葉を残しておきましょう。ペンと紙をお持ちいたします」


「それはいい考えだクレイオ。〝命の薔薇〟よ、あなたの言葉を残す許可をいただけますか?」


(許す)


 クレイオはティーセットを下げて真夜の後を追った。

 最初に通ったときよりずいぶんと短く感じる階段を昇り温室にでると空が白み始めていた。


「真夜殿」


 早足にもかかわらず盆に載せた茶器を鳴らさないクレイオが幾分息を乱して真夜を呼び止める。

 真夜はあくびをかみ殺して振り返った。

 大事なはずの茶器を石床に置き頭を下げる。


「このたびの旦那様をおもってのご尽力、心よりの感謝を申しあげます」


 正直びっくりした。ここまできっちり礼をとられるとはおもっていなかった。


「追加報酬、期待してる」


「わたくしにできるかぎりのことをいたします」


 ダメ元で言ったことが素直に受け入れられると人間はうろたえることを真夜は学んだ。

 貴族の使用人と傭兵などというものは、この世で一番反りが合わないものだとおもっていた真夜は、照れくさいのを押し隠して口を開く。


「それに、クレイオさんには恩を売っておきたかったからな」


「なぜわたくしに?」


「お茶がおいしいから」


 皺を深くして笑うクレイオを真夜は好きだとおもった。


「クレイオさん、主人が傭兵と寝てるの、どう思ってる?」


 普段なら気にもとめないことを訊いた。他の誰になんと思われようとも、クレイオにどう思われているのかは知っておきたかった。


「身分や職業は関係ありません。旦那様が求めあなたが拒まないのならそれで、それだけでいいと、長年旦那様を見守ってきてそうおもえるようになりました。あの方は、ご自分に孤独を強制してきましたから」


「そっか……だからクレイオさんは最初からおれに寛容だったわけか」


 クレイオだけだ、真夜がアルの隣に居続けることを前提に行動していたのは。


「あなたは、あの朝、旦那様に、おはよう、と、おっしゃってくださいました。わたくしがお仕えしてから、そしておそらくは旦那様が〝薔薇の眷属〟になられてからはじめてのことです」


 みんな朝を迎える前に〝命の薔薇〟に食われた。恋に狂った薔薇の肥料にされた。


「はじめてもらっちゃったかあ。重いなぁ」


「あなたなら背負えますとも。傭兵殿」


 これには返答が思いつかなかった。雇われの傭兵で、長いこと同じ場所に留まったことはない。今は真夜と名乗っているが、この名前も都合が悪くなれば変える。今後、自分がどこにいるのか真夜自身にも想像できていない。

 おそらくアルの隣にはいない。それは自然に想像できた。


「傭兵は身軽が好きなんだよなあ」


 〝命の薔薇〟との話し合いがどう決着するかによるが、上手くいけばアルは真夜ではない誰かを選ぶことも可能になる。たまたま真夜が〝命の薔薇〟の声に抗えただけだから今現在共にいる。自由な選択が可能になったとき、果たしてアルは、真夜はどうするのだろうか。


「とにかく、次はガーデンパーティーだな」


「ええ、そうでございますね。真夜殿のドレスを仕立てませんと」


「うえ、マジ?」



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