第25話 薔薇の眷属

【薔薇の眷属】


 泣きじゃくって「なぜだ、なぜだ」とわめく薔薇を「うるさい!」と、叱り飛ばし、おまけにアルを蹴り飛ばした。吹っ飛んだアルがクリスタルにぶち当たる。クリスタルはびくともしない素晴らしい硬度を誇っている。

 あげく、真夜は雇い主で貴族で王弟でもあるアルに着替えと椅子、食い物を持ってくるように命令した。


「まったく、私にここまでさせるのは君か兄上ぐらいだよ」


 シンプルなワンピースに袖を通す真夜の背後でテーブルセットを整えるアルが愚痴る。

 この場所にはクレイオも入れないようで長い階段を数往復して運んできていた。今頃キースとクレイオが倒れていないかだけが真夜の心配だ。


「どいつもこいつも勝手に騒ぐからだ。陽気に騒ぐならまだしも湿っぽいのは大嫌いなんだ」


 髪も乾かし衣服も整えた真夜が振り返ると、皺なくクロスが敷かれたテーブルに手をついているアルと目があった。濡れた服は着替えたらしいが髪は大ざっぱに撫でつけただけ。シャツの袖はまくり上げられている。まるで使用人だが違和感はない。さらに仮面をはずしている。じっと見つめる灰色の瞳が真夜を観察している。真夜が正気か、どうしてここに来たのか問いただしたい、と、いう目だ。

 薔薇も真夜が叱りつけてから不気味なほど静かでただの薔薇のようだ。

 アルの疑問を無視して椅子に座る。椅子はもう一脚ある。


「飯。話はそれからだ」


 話をしていたら晩餐をすっぽかすことになる。いくらなんでも使用人たちがかわいそうだろう。


「まったく君は……」


 ため息をついてアルはまた階段に向かった。


(黒の者よ)


 アルの姿が見えなくなると薔薇がようやくしゃべった。


「なんだ?」


(……我は認めぬ! 認めぬぞ!)


 この時点で、真夜はなんとなく、正体不明の薔薇を許す自分を想像できてしまった。



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 主人であるアルが運んできた食事を二人で食べた。朝食をとったきりでなにも口にしていなかったので人心地をつける。

 ここではクレイオの茶が飲めないのでワインで流し込み、椅子に深く座って足を組む。

 アルが硬い表情で真夜を見つめている。


「それで、だ……まずは自己紹介からいこうか」


 一瞬ぽかんとしたアルはテーブルに肘をつき手を組んで額を押し当てる。しばらくそうしてからあげた顔はずいぶんと吹っ切れた表情をしていた。


「君といると飽きないよ」


「そりゃどーも。ほら、自己紹介」


「私は、白薔薇公爵と呼ばれているアルザス・アルモリーク。本当の名前は、アルフォンス・グランデ・ヴァルツという。世に知られている呼び名は、始まりの兄弟。かな」


 今度は真夜が頭を抱えた。


「あー、やっぱりそうくるのか……うん、まぁ、そうだよな。はい、次、そっちの薔薇」


(我を薔薇呼ばわりとは!?)


「薔薇にしか見えないんだからしかたないだろう。なんて呼べばいいんだ?」


(我は神より地上に遣わされた〝命の薔薇〟である! 世界を支え世界を作る。我こそが世界だ! 人ごときが気安く呼ぶこと叶わぬ!)


「人がいないとアンタの存在価値なくなるんじゃないか?」


(へりくつを捏ねるな!)


「真夜、私には君が独り言を言っているようにしか聞こえないんだが?」


 不安げなアルの声に真夜は自分の正気を疑ったが刹那にも満たない迷いだった。結界は確かにそこにあるのに大概の人は見えない。真夜には質感を伴って聞こえる声が、他の人間には声として認識されない。他と違うことに、よくもわるくも真夜は慣れてしまっていた。


「この声が聞こえないのか? 始まりの兄弟なのに? いや、聞こえなくてもいいとはおもうが」


 面倒なことは認識しない方針の真夜の意見に薔薇が悲壮な声をあげた。


(我は我が愛しき者にこそ声を届けたいのだ!)


「〝命の薔薇〟の意志がわかるならどれほどすばらしいことか」


 奇しくも関連性が一番深いにもかかわらず意思の疎通ができない二人が同じことを望む。


「わかった、わかったから、いっぺんにしゃべるな」


 真夜は、どうやらアルのことが好きらしい〝命の薔薇〟と、伝わる神話とは別物の事情があるらしいアルの通訳をすることになった。

 だが、これがなかなかのこじれっぷりで、真夜は激昂してこんなところにきてしまった自分を恨んだ。

 〝命の薔薇〟は一目アルを見たときから好きになり以来ずっとそばにいるように願っていた。が、当のアルは〝命の薔薇〟の意志と声に気づかず、悠久庭園に縛り付けられているのは天罰だと思っていたという。なぜ天罰だと思いこんでいたかといえば、


「聖地から〝命の薔薇〟を盗んだぁ!?」


 だからだそうだ。

 神話にあるように神から授けられたのではなく、身重の兄嫁を病から救うために、当時万能の秘薬と呼ばれていた薔薇を盗もうと兄弟で聖地に侵入した。


「当時は世界中で戦があり、不治の病と、よばれるものがいくつも流行していた。そんな世界で、聖地と呼ばれる場所に咲いた薔薇の朝露は万病に効くとされ、私は兄上に頼まれ薔薇を盗むことに荷担してしまったんだよ」


 遠い遠い遙か昔を、アルは昨日のことのように語る。


(我は混沌の世界に平和と繁栄をもたらすために育てられた。我が身を奪った我が愛しき者とその兄に神は怒りを示されたが、我が愛しき者の瞳を失いたくなかった我は神に嘆願したのだ)


 〝命の薔薇〟は王子との出会いを語る姫のように声に艶を持たせていた。


「そうか、だから私たちは生かされたのか」


「ちょっと待て。〝命の薔薇〟はなにを嘆願したんだ?」


 流しそうだったがおそらく重要なところを真夜は辛うじて掴んだ。


(我が枯れるまで、我が愛しき者とともに世界を支えられるようにと)


 声は結婚式の情景を振り返る花嫁だ。


「それって世界が終わるまでってことか。じゃあ、神話でいう長寿ってのも嘘か? アル、アンタまさか」


 真夜が振り向いた先で、アルは乾いた笑顔を見せた。


「ずいぶんと長いこと生きてきたが老いも死にもしないね」


(美しいその姿、瞳、我と並ぶにふさわしい)


 アルと〝命の薔薇〟の温度差、湿度差がひどい。


「不老不死かよ……じゃあ、国王もか? でも代替わりは?」


 真夜はくわしく知らないが国王は代替わりをしていた。母親が現王の戴冠式で王都に出向き踊りを披露して一稼ぎした話を寝物語に聞いていた。どこかで一緒になったキャラバンの長老が先代王の武勇伝を誇らしげに語っていた記憶もある。


「悠久庭園に棲むようになってから兄上には会っていないが、国王はずっと兄上のはずだ。王子は形式上即位するが、次代の王子を生むため王宮にこもる。王として国を支え繁栄させることが兄上に与えられた罰だからね」


「そしてアンタはこいつの世話か」


 真夜は立ち上がる。


「やっぱりお茶がほしいな。なぁ〝命の薔薇〟、ここにはアルしか入っちゃいけないのか? おれはどういう扱いだ?」


(ここは神域。神の遣いである我が眷属と認めた者が踏み込むのを許される。汝は……肥料として招いた)


「今考えただろ、それ」


 しかも真夜が察するに、〝命の薔薇〟はアルと二人きりになりたいがためにそのほかの人間を規制している。


「真夜、君はなにを?」


「クレイオさんのお茶が飲みたいだろう?」


 戸惑うアルに真夜はウインクをくれてやった。


「しかしそれは……」


 言い募るアルを真夜は遮る。


「アンタが心配してるのは、今まで消えていった人間のようになるんじゃないかってことか?」


 真夜の言葉にアルは傷ついたような顔をする。


「それなら大丈夫だろう。〝命の薔薇〟が呼ぶのはアンタが自分から近づいた人間だけだ。おれもずっと呼ばれていた」


 その時のアルの表情は複雑すぎて、近くで見ていた真夜も彼がなにを思い出し考えていたのかわからなかった。


「君はなぜ」


(汝はなぜ我の言葉を無視できる!?)


 アルが詰まった言葉を〝命の薔薇〟が引き継ぐ。さすがに大昔から一緒だっただけあり、妙なところで息が合うようだ。

 なぜ、と言われても真夜にだって本当のところはわからない。なにしろ、自分が世界だ、と、胸を張る存在がわからないのだから、不老不死も長寿も持たない存在がわかるわけはないのだ。

 ただひとつ、自分の特技と照らし合わせて世界を覗けば見えてくるモノはある。


「おれの特技はピッキング。結界の改変だ。結界ってのは世界の理との間にルールを定めて作る扉みたいなものだ」


 アルと〝命の薔薇〟が息を飲む。


「どうやらおれの特技は世界の理にも通用するらしいぞ?」


 ドヤ顔で言ってやればアルが破顔するから真夜はそれでいいことにした。


「ルール無用。実に君らしいよ、私の黒薔薇」


 〝命の薔薇〟の色がまた黒ずむ。



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