第24話 覗き見ていた薔薇は放置されて悲しい

【覗き見ていた薔薇は放置されて悲しい】


 日が傾くまで、ふたりはただくっついていた。

 ティータイムも二人揃ってすっぽかしたので、途中誰かが探しにきたはずだが、気づいていたらこうはなっていなかっただろう。

 とくに会話があったわけではない。互いの息づかいと鼓動を感じ、生まれ変わった庭を眺めていただけだ。

 日が暮れる前にクレイオが来てアルを呼んだ。おそらくその前にキースが来てあまりの気まずさに退散したのだろう。真夜はその場に残りアルだけ屋敷に戻った。

 東屋の手すりにもたれ、ぼんやりと夜闇の庭を見ている。


(なんだこの感情は……この渦は……我が愛しき者を独占する人間よ我の元に来い。我が愛しき者を我から遠ざけてはならぬ)


 一人きりになってグダグダすごしているとぼんやりした思考に声が飛び込んできた。いつかの夜に眠りをじゃましてきた声だ。そのほかにも、常に呼ばれているのを感じていた。


「うるさい……いったいお前はなんなんだ? そんなにあいつが欲しけりゃずっと咥えていればいい」


(汝はなぜ我が声を拒む……我が望みを拒める)


 女の声だと認識できた。意識の狭間に滑り込んでくる声がここにきてはっきりと形になる。


(我は世界ぞ……我は我が愛しき者の守護者ぞ……間に入ってくることは許されぬ)


 声はくだを巻きはじめたとおもったらしくしくすすり泣きをはじめた。


「うるさい、な!」


 声上げて立つ。

 ブツブツうるさいので声の元に行って文句の一つも言わなければ気が済まなくなった。植え込み越しに見える半円球の建物を睨み付ける。近づくと中は温室だった。さらに奥は泉を模した温泉になっていた。ケントのお気に入りはこれのことだろう。服を着たまま温泉の中を進み滝のように流れ落ちる湯を潜る。

 真夜はそこに温室の奥へ繋がる仕掛けがあると知っていたわけではなかった。声の気配が一段と強く結界が厚いので呼ばれるまま足を動かしているだけだ。

 白薔薇公爵邸の結界は悠久庭園領を囲む結界よりも厚いが温室の一部はさらに厚く隠蔽されている。向かう先は一番分厚い場所だが先導するように口を開け、なんの制約もなく通過できた。帰れる保証はないが、今の真夜には知ったことではない。開かないのならこじ開けようとしていた。それほどイライラしていた。

 滝を抜ければ明かりのない通路に出る。鍵のかかっていない扉があり、開けばすぐに暗闇へ伸びる階段があった。やはり明かりはなく手探りで降りていく。

 ずいぶんと下がったころに底がほんのりと明るくなっているのに気づく。自分の手足が久しぶりに見えた。階段の先、施錠されていない両開きの扉を開けると、クリスタルの洞窟があった。


「見事だな。南の森でもなかなか見ないぞ」


 高い天井には逆さに突き出た巨大なクリスタル。壁からも幾重にもクリスタルが突出し、すべてが内側から淡い光を放っている。魔力が循環している証拠だ。床は平らに磨かれ、高い透明度のため空中に浮いている錯覚を受けた。

 奥まで行くと明らかに人の手が加えられた、逆さ円錐に盆を乗せたような台座が宙に浮き、その上に黒ずんだ赤い大輪の薔薇が咲いていた。

 濡れた姿のまま薔薇と向き合う。


(来たか、我から奪う者よ)


 声は洞窟に反響していた。物理的に空気を震わせ真夜の耳に飛び込んでくる。


「おれがアンタからなにを奪ったって?」


 薔薇の外見は変わらないが身じろいだ気配は伝わってくる。


(汝には我の意志が伝わっているのか?)


 腰に手を当てて姿勢を崩した真夜は盛大にため息をついた。


「そんなハッキリ言葉にしておいて全部独り言だったって? 安眠妨害だからもう少し声を小さくしてくれないか?」


 気配も声もうるさいのでむしり取ってやろうかと一歩前にでると背後から突進され床に倒された。


「真夜! いけない! 〝命の薔薇〟よ、私の黒薔薇だけは見逃してくれ!」


 濡れた布の感触に白薔薇の香り。嫌だ、嫌だ、と抱きしめられる。幼子を相手にしている気分だった。


(我が愛しき者よ、なぜだ。その者のなにが我が愛しき者の心をとらえる)


「おまえら……」


 常識では考えられないが何となく察せられてきた真夜が、キレて怒鳴り散らすまであと数瞬である。



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