第21話 白薔薇公爵は拗ねている

【白薔薇公爵は拗ねている】


 車庫番に二輪車を預けてセリーヌの元に寄ってから屋敷に入る。お茶の時間はとうに終わっていた。ソフィを捕まえて着替える。一日数度着替えることに慣れてきた自分が怖い。乱れた髪を結い直しリボンと薔薇を飾る。ズボンをスカートに履き替える。花柄の生地はズボンルックと同じなのでもしかしたら今までのデザインもスカートとズボンのパターンが用意されていたのかもしれない。


「スカートもズボンも着こなされるなんて、真夜さん素敵すぎます」


 拍手されながら送り出された。

 もう、慣れた。自分に慣れたと言い聞かせる。

 キースを探す。


「おい真夜、あんたお茶の時間に間に合ってないぞ」


 1階の廊下を歩いていると後ろから呼び止められた。


「キースか。白薔薇の旦那はどうしてた」


「一人で過ごされた。今は執務室にいる」


「わかった。あ、おれにお茶くれ」


「旦那様のついでにな!」


 ずいぶんと慌てた様子でキースは廊下を戻っていった。

 執務室の扉をノックするとすぐにケントが顔を出した。


「帰ってきたんだね。旦那、しょんぼりしてるよ」


 貼り付けた笑顔が若干曇っている。


「慰めておいてくれたか?」


 ケントが声を抑えているので真夜も小声になる。


「俺じゃむりだった。任せたよ」


 そう言ってケントは扉を大きく開き真夜を招き入れた。


「旦那、真夜が帰ってきましたよ。俺は一旦席を外させてもらいます」


「ああ、ごくろうさま。ケント」


 真夜を押し込めるようしてケントは部屋を出て行った。今まで誰かしら傍に控えていたので、寝室以外で二人きりになるのは初めてだった。

 窓を背にしたアルは執務机に向かってなにかを書き付けている。他の部屋に比べて家具も調度品も少なかった。


「おかえり、私の黒薔薇。クレイオの使いをしてくれたのかい?」


「今戻った。これは、研究所から預かってきた手紙と書類だ。論文は所長に確かに渡した」


 頼まれていた一式をアルに手渡す。


「ありがとう」


 アルは穏やかに笑って真夜から丁寧に受け取った。

 しょんぼりしているようには見えない。執務机の正面にあるソファーに座る。

 ノック音がして、他に誰もいないので真夜が応対する。お茶を運んできたキースは部屋にアルと真夜の二人きりとみるとワゴンを置いて退出していった。主人に給仕するのは執事の誇りのはずなのに未練すら残していない様子だった。

 ケントとキースの態度を見てようやく、真夜はこの状態が大事だと察する。

 置き去りにされたワゴンに乗るティーポットは二つ。アル用の薔薇紅茶と真夜用の普通の茶葉だけをつかったお茶だ。

 今ならわかる気がした。なぜ薔薇紅茶を飲みたくなかったのか。ずっと見られている気配。首元の違和感。縛りつけようとする薔薇を体内に入れたくなかったのだ。

 自分用のティーポットから二人分のお茶を注ぎ自分の分も持って執務机を回り込む。横からアルにお茶を差し出した。


「ありがとう……いつものお茶ではなんだね?」


 受け取ったティーカップを覗いてアルが首を傾げる。薔薇紅茶の匂いには気づいているはずだ。


「アンタはいつも薔薇ばかりだろう? たまにはなにもはいってない茶がいいだろうとおもってな」


 いぶかしむアルの隣で真夜はお茶を一気に飲み干した。

 アルが手を差し出してくる。意図が読めずにその手を握る。アルは自分のカップを置き、真夜のカップも取り上げる。腕を引いて真夜の腰を抱き寄せた。

 椅子に座るアルの体をよけて座面に膝をついて体勢をたもつが、アルの顔は鼻先にきた。スカートの裾はアルの膝でめくれる。アルの肩に手をついて押し返すが腰の腕は強情だった。


「離れている間、私のことを考えてくれたかい?」


 反射で、「すっかり忘れていた」と、言おうとしたが、思えばずっとアルのことを考えていた真夜は言葉が出なくなった。

 真夜の呆けた顔を見てアルは首を傾げる。


「真夜……?」


 ひくり、と、指先が反応した。近すぎてごまかせない。

 探るように覗きこまれる。灰色の瞳に囚われる。戯れ言の一つでも吐き出していつものように煙に巻けばいい、と、おもうのにできない。

 貴族のくせに妙に戦い慣れた指が傭兵の頬を撫でる。

 どうしてずっとアルのことを考えていたんだろうか。そして、どうしてそれを素直に言えないのか。

 自分の中に降り積もる疑問を真夜は処理しきれない。処理をしてしまえば、一人でお茶の時間を過ごさせたことを、共に過ごせなかったことを残念に思っていることになってしまう。


「君は私の遊び相手だろう? 仕事を忘れたのかい?」


 甘い声が耳に溶け込む。


「……クレイオさんが抜けて足りなくなったところの補助も仕事だったはずだ」


「ああ、そうだったね」


 まぶたに灰色の瞳が隠れた。琥珀と混じる灰色を見たくて顔が近づく。膝と腕の力が抜けていく。

 息が混じる。唇が近くなる。


「――――っく」


 真夜の首がギリっと絞まった。

 理性らしきものが二人に戻ってくる。いや、初めから理性的だったはずだ。しかしそれでは理性的にキスをしようとしたことになる。


「……私の、黒薔薇」


 肩を押せば今度は素直に距離ができた。代わりに首を撫でられ、背筋が震えたが無視した。


「領内を見てきたが、黒い薔薇っていうのはないんだな」


 カップを回収する。長いこと放置していたとおもったが、空のカップはまだ温かい。


「黒薔薇と呼ばれるものは、深い赤の薔薇をさすんだよ。今後君の髪のような色の薔薇を開発してみよう。最初の黒薔薇は君に贈るよ」


「もう、もらってるよ。それとも、貴族の間では違う名前なのか?」


 ワゴンにカップを戻す。

 アルは真夜が淹れたお茶に口をつけた。


「どの花のことかな?」


「黒薔薇香だ」


 それは最初の夜に焚きしめられた媚薬香の名前だ。傭兵の間では黒薔薇香と呼ばれて親しまれている。焚いた残骸が、薔薇の花びらに似ているからだ。

 真夜はアルに背を向ける。戸惑っている自分を自覚する。らしくないとはおもえどどうすることもできなかった。


「ああ、あの香か。君たちの間ではそんな名前がついていたのか」


「アンタはなんて呼ぶんだ?」


 顔を背け続ける真夜の背後から腰を抱くように腕が伸びる。しかし素通りしてワゴンにカップを置き薔薇紅茶をカップに注いだ。


「千夜一夜。長い夢を見られるように、と名付けられたらしい」


 真夜のカップにも薔薇紅茶が注がれる。

 アルは、囚われたいのか、逃げ出したいのか。真夜に薔薇紅茶を注いだカップを持たせた。


「楽しみにしていた君とのお茶の時間をすっぽかされて私は悲しい。慰めてくれるかい?」


 体はどこも触れていない。匂いと熱が真夜をきつく抱きしめている。

 持たされた薔薇紅茶をあおった。うまいとはおもうが飲み込んだあとに喉がひりつく。


「拗ねてるって素直に言ったらどうだ」


 振り返った真夜の口をアルの唇が塞いだ。



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 晩餐と就寝までの時間を素知らぬ顔で過ごした二人は、出会った夜以来の触れ合いに興じた。


「は、ふふっ」


 うつ伏せで横になりクッションを抱く真夜は笑いを零す。


「なにがそんなにおもしろかったのかな?」


 アルが真夜の横顔に手を伸ばす。黒髪を梳き耳に掛ける。その指に真夜の指が絡んだ。


「いや、どこもかしこも白いから、冷たいのかとおもっていた」


 指先にはたしかな温もりが宿っている。


「それはあんまりじゃないか? 私だって生きているのだよ?」


 生きている。確かに生きている。最初の夜に垣間見せた寂しさはひどく人間くさい。だからこそ思ってしまう。生きたく生きているのか?

 真夜はアルの仮面に手を伸ばす。

 アルはその手を掴んで指を絡め押さえつけた。


「なあ、息苦しくないか?」


 仮面のことではない。それは伝わっていると感じる。

 アルはなにも言わない。

 なにも言わないことが雄弁に語っていた。真夜は苦く笑った。


「キスのひとつで誤魔化されてやったのに」


 灰色の瞳が揺れている。

 体を起こしまだ自由な手で仮面を外した。白い肌に深く刻まれた傷跡のような白薔薇の刻印。額から頬へかけて茨が絡まっている。

 やっぱり、囚われている。ここは檻だ。

 真夜は刻印を舐めた。生え際の棘を、こめかみの蔓を、頬の花びらを丁寧に、舐め溶かす。


「はっ……」


 アルが息を漏らし眉をしかめる。


「痛むのか?」


「痛みはない」


 痛むような声をだしてアルは真夜を強く抱きしめる。

 刻印を隠す髪を掻き上げこめかみに口づけた。そこににじむ結界の気配は、守るためではなく閉じ込めるための結界だ。


「君は、どうしてそうやって私を暴いていくのか」


「暴かれる覚悟もなく誘うからだ」


 自分のものより狭い肩にアルは顔を伏せる。細い腰に回った腕は力ない。


「わたしの、黒薔薇」

 

 弱い声だ。


「なぁ……」


「アルだ」


 掠れた声に体の奥でなにかが疼いた。


「アル、と、呼んでほしい。私の黒薔薇」


「……アル……」


 からかう言葉を思い浮かべる間もなく呼んでいた。ずっと知っていた名前のように体に馴染む音だ。

 縋り付くように伏せられた顔を上げさせ、乱れた髪をかき分けて白薔薇の刻印にキスを贈る。


「ああ、私の黒薔薇……私の……」


 剣だこができている手が背筋を辿り腰を撫でる。

 まぶたを上げたアルの瞳を琥珀が覗きこむ。見つめ合って溶けていく。


「もっとよく、君を見せて」

 

 白い指が額にかかる黒髪を梳く。

 どんなに覗いたってお互いの瞳以外にはなにも映らないのに、ただじっと、二人は向き合い続けた。


「わたしの……黒薔薇……ここにいるんだね」

 

 視線を逸らしたら灰色から雫が零れそうで真夜は怖かった。

 アルは琥珀を見失いそうで怖かった。どんなに腕の中に閉じ込めても、本質が自由気ままな傭兵だと知っているだけに目を逸らすことすら怖かった。


「真夜、私の黒薔薇……真夜っ」


「アル、おれはここにいるぞ?」


 互いに本心は言葉にしないが距離が近すぎて伝えたくないことまで感じ取ってしまう。それでもまだ足りないと引き寄せ合う。


(なぜだ、なぜだなぜだ、我が愛しき者よ。その者になにがある――!)



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