第10話 白薔薇公爵と傭兵

【白薔薇公爵と傭兵】


 朝か昼か、カーテンが引かれた薄暗い寝室では時間の感覚が掴めなかった。寝室に真夜以外の人影はない。

 寝返りを打とうとしたが腕に食い込む棘の痛みで我に返った。

 尋問されていた部屋はただ暗く場所を特定させるようなものは見当たらなかった。だが今真夜の視界に映っているのはベッドの天蓋だ。薄衣で囲まれ室内が透けて見える。華美なしつらえの家具と内装は明らかに客室以上の部屋だ。間違っても捕虜を監禁するような部屋ではない。ベッドの傍には薔薇まで飾られている。不釣り合いにもほどがあった。

 逆に予想外すぎて冷静になる。過去に監禁拷問された時よりは良心的拘束だな、と楽天的にまでなった。全身を戒めていた茨は、今は手首をまとめてベッドに縛りつけ、細い数本が腕に巻きついている程度だ。棘による傷も命を脅かすほどではない。

 真夜は体を捻り手首を捩って体を起こす。ベッドヘッドに固定されているためかなり不自然な体勢だが、それでも血流を指先に流したくてどうにかなる体勢を模索した。最低限の治療と洗浄はされているらしい。傷跡も血痕も見当たらなかった。ただ、それを確認できる。要するに全裸だ。逃亡を阻止するには効果があるかもしれない。

 なにも喋らなかった自信はあるが確証はなく、どうしたものかと全裸で悩んでいると、寝室の扉が開いて女性使用人らしき人物が入ってきた。シーツを抱えているからメイドなのだろう、と、真夜があたりをつけていると、メイドはベッドにいる真夜を見て固まった。目を見開きすぎて落ちるんじゃないかと心配になったころ、脳に情報が届いたのだろう、目に見えて飛び上がった。


「し、しししししし失礼いたしました!」


 メイドは顔色を真っ青にして飛び出していった。開けっぱなしの扉からがったんごっとん音が聞こえてくる。他人の家だが気になった。

 捕虜としての大抵の状況には対応できるとおもっていた真夜だが、この反応は予想していなかった。

 複数の足音と緊迫した空気が近寄ってくる。

 捕まえた人間が拘束した場所にいただけなのになにを焦っているんだ、と、心底不思議になる。明らかに場違いではあるので、そこを理由に驚かれていたら納得するしかないが真夜に罪はなかった。立てた膝に頭を預けてお出迎え体勢を整える。


「アルモリーク公、私が」


 そう声がして、部屋に入ってきたのは騎士平装で帯剣している、真夜と同じ年頃の男だった。全裸の真夜に目を見開く。対する真夜はじっとその視線を捉えて動かない。

 騎士は視線を逸らさず半歩下がった。


「アルモリーク公、黒髪の女性です。昨夜捕らえた者でしょうか?」


 ようやく知った顔、というか、仮面が出てきた。

 きっちり紳士服を着こなした銀仮面、そのほか真っ白の白薔薇公爵。胸には白薔薇が飾られている。


「よう、おはよう。逃げる前提だったのなら緩めておけって」


 陽気にきこえるように言って腕を揺らす。棘が食い込むが知らぬ顔をした。声が掠れている。


「なぜ、いるんだ……」


 今までで一番びっくりしている様子に呆れて真夜がびっくりした。


「拘束までしておいてなんでいることを想定していないんだ?」


 白薔薇公爵の動揺はあからさまだった。あまりにも動揺してるからおかしくなってくる。


「もしかして、その仮面の下と関係あるのか?」


 不可思議な気配。体に巻きついた茨の気配。ずっと誰かに呼ばれている感覚。かたくなに隠そうとする白薔薇の刻印。結びつけるな、と、いうほうが無理な話だった。

 白薔薇公爵だけではなく周りの人間も真夜のセリフに驚いていた。


「旦那様、お客様であればソフィを侍女につけますが?」


 壮年のテールコート男が白薔薇公爵の隣に立つ。あえて真夜を見ないようにしていた。立ち直りが早いというか、さっそく割り切ったらしい。


「そうだね。整ったら書斎に連れてきてくれ。また会おう、私の黒薔薇」


 変な名前で呼ぶんじゃねぇよ。と、ツッコミをいれたかったがうまく声が出せる自信がなかった。


「かしこまりました。旦那様」


 テールコート男が頭を下げると白薔薇公爵は寝室を出て行った。


「ソフィ、お客様の準備の手伝いを」


「はい」


「キース、お客様につけ」


「かしこまりました」


 飛び上がって逃げ出したさっきのメイド、ソフィと、キースと呼ばれた年若いテールコート男が入ってくる。

 キースは絵に描いたように動揺している。若い。


「し、失礼いたします」


「よろしくどーぞ」


 どうやらここから拷問が始まるわけではなさそうなので真夜は堂々とあくびをした。

 ソフィが近づいてきてオロオロしはじめた。


「女性のお召し物……」


 独身だという話だし、家族の話も聞こえてこなかったから女主人がいないのだろう。


「なければなんでもいい。シーツでもいいし」


「いえ!! あります! 公爵様にご納得頂ける淑女のお召し物を早急にご用意致しますのでまずは湯浴みへとご案内いたします!」


 なぜか顔を真っ赤にして鼻息荒くなるソフィにキースがびくっと肩を揺らしていた。


「あ、はい」


 気迫に押されて思わず返事をしてしまった。不覚。

 キースによって茨が切られる。自ら動いていた茨は、今はおとなしい。

 客室用ではあるが豪華な浴室で体を洗い出るとドレスが用意されていた。そしてやっぱり控えていたソフィの鼻息は荒い。


「ドレスを着られたことはありますか?」


「貴族様が着るようなドレスはない」


 じゃあ、どんなドレスなら着たことあるのかと問われると娼婦が着るやつ、としか答えられないし、ドレスに差異があるのかどうかもあやしい程度の認識だった。「全ておまかせください」と、言われて、真夜は素直に全てを任せた。一般人がいきなりこの状況なら自分でやりたくもなるのだろうが、真夜は他人に裸を見られる羞恥が薄い。しかもできるだけ楽をしたい性格なので双方の利害は一致している。

 しかし、地味な色合いだが品のいいドレスのサイズがピッタリあってる時点で少し怖くなった。


「お嬢様素晴らしいです。コルセットで締め上げなくても括れから胸の曲線が美しいなんて。こんな日を夢見てドレスを準備してきた甲斐がありました」


「え、それって、ここの女主人のため? おれが着て大丈夫?」


「公爵様は女性の影も見えない方です。女主人のいないお屋敷のメイドのなんとむなしいことか……ですので、精一杯お仕えさせていただきます! お嬢様!」


「真夜だ。そう呼んでくれてかまわない」


 真夜は背筋がぞわぞわして身を捩った。お嬢様と呼ばれる歳でもなければ育ちでもない。

 昨夜は意地を張って言わなかったが、悠久庭園領に入る時にも真夜・ルゥの名前で入っている。調べればいずれわかることだから隠してもあまり意味のない名前を告げた。

 今ここにいたって、昨夜、なんであそこまで意地を張ったのか、真夜自身が不思議に思いはじめている。


「ソフィ、旦那様がお待ちだ」


 キースが部屋の外から声を掛けてきた。彼は終始居心地が悪そうだった。


「はいただいま!」


 手首まで隠れる袖には控えめながらフリルが揺れる。首回りが詰め襟なのは首筋の痕を隠してくれたのだろう。手袋をしてヒールが高めの靴を履かされる。スカートの丈は床ギリギリ。髪は結い上げられリボンを結ばれ軽く化粧までされた。


「ここまでやる必要あるのか?」


 鏡で自分の姿を一瞥し、ソフィに確認する。


「真夜様はお美しいのでついつい飾りたくなってしまいます」


 ラリったジャンキーよりやばい目をしていたのでおとなしくしていた。


「好きにしてくれ」


 ソフィの気が済んだあと、身柄をキースに渡され案内されたのは一階だった。どうやら二階にいたらしい。無様な姿を見せないように階段を降りることに苦労した。

 書斎に入ると大量の本に囲まれた中央の机に公爵が座っていた。両脇に壮年男性と騎士を従えている。

 庭での初対面でもおもったことだが、真夜は改めておもった。なるほど絵になる。

 書斎にも薔薇が飾られている。四方八方から視線を向けられている気分で居心地は悪かった。

 横顔を向けていた白薔薇公爵が真夜に向き合う。


「美しいね。キース、ソフィには礼を言っておいてくれ」


「かしこまりました」


 ひたりと視線が合う。昼の光の中で見ると白薔薇公爵の姿はますます真っ白だった。


「さて、あらためようか。私はメモアー公爵、アルザス・アルモリークだ。側に仕えるのは家令のクレイオ。こちらは騎士のケント。君の傍にいるのはクレイオの孫で執事のキースだ。君の世話をしているのはソフィ。君の名前を教えてもらえるかな?」


 そんなにべらべらと使用人の名前まで紹介して大丈夫なのだろうか。真夜は余計な心配をするが、白薔薇公爵両脇の二人は表情を動かさない。しかし斜め後ろの年若い執事は動揺しているらしかった。余計な心配ではなかったらしい。


「真夜・ルゥだ」


「おや、今度は素直に教えてくれるんだね」


 ニッコリ笑う。外面感満載でその顔はあまり好きじゃない。いい面の皮の厚さだとはおもう。


「素直に訊かれれば素直に答えるんだよ。はじめましてってのはそういうもんだろ? それとも、貴族様はああいうのが初対面の作法なのか?」


 家令のクレイオが咳払いをした。


「アルモリーク公、どんな作法で訊いたんですか?」


 ケントが人なつっこい笑顔でアルの顔を覗き込んだ。主に対する騎士の態度ではないが険悪な空気にはならない。


「騎士殿」


 クレイオに睨まれてケントは笑って誤魔化す。

 アルは寛容に笑うだけだ。


「では今度からは素直に訊ねることにしよう」


「そうしてくれ」


 キースの気配が分かりやすく怒気を含む。


「君が薔薇を摘みに来た昨晩、この屋敷の薔薇が燃やされたのは知っているかい?」


 白薔薇公爵は突っ込んでくるのがお好きらしい。


「それは知らなかった。この庭園にしか咲かない薔薇があるんだろう? 気の毒なことだ」


 実際、真夜の仕事は実働部隊を侵入させ脱出させること。目くらましに正面の庭で小細工を発動させることだった。火の手は上がったようだが薔薇を燃やす作戦が成功したかどうかは知らない。あの酒場に何人帰ってきたのかも。


「後ろの執事に、暗器を出すのはまだ早いっていってやれ」


 視線をアルに向けたまま顎でキースを差す。こわばる気配に若いとおもうも、きっと鍛えればおもしろいともおもう。


「クレイオ」


「失礼しました。鍛え直します」


 家令に目配せをされたキースが一歩さがる。


「あれは君や君の仲間たちの仕業ではない、と?」


「どうだったかな。アンタと出会ってからの記憶が強烈すぎて覚えてない」


 正気を保ってられただけでも奇跡じゃなかろうか。


「そうだね。とても刺激的な夜だった」


 ほのかな熱が宿る視線。でもそれはおそらく情欲ではない。

 真夜は首筋に痛みを覚えたが表情は変えなかった。


「では質問を変えよう。真夜・ルゥ、君の職業は?」


「傭兵だ」


 傭兵は認可された職業であり、罪を犯せば法で裁かれるが、それが仕事であった場合、雇い主が全ての責を負う。今回のことでいえば、真夜は法を犯してはいない。たまたま空いていた結界から貴族の庭園に迷い込んでしまっただけだ。

 しばらく沈黙が落ちる。

 アルは足を組むと椅子に深く背を預けた。一度瞑った目を開けると表情が緩んだ。


「君の口を割らせることは難しいようだ」


「信用第一の仕事なもんで」


 秘密をばらす人間だと知られれば仕事が回ってこなくなる。政治家よりも信用が大事な職業だ。


「ではこうしよう。私の騎士と戦って勝てたら君の願いを一つ叶えよう」


 ケントが「えぇ~」と、声を上げてクレイオに咳払いされる。


「負けたら口を割れってか?」


「いいや。こちらは条件をつけない。君は勝負に勝ちさえすれば願いを一つ叶えられる。この庭園から出たい、とかね。こちらとしては君一人から得られる情報はそこまで多くないと推測するが、だからといって無条件で解放するとますますなにも得られなくなる」


 アルは長い足を優雅に組み替えた。その足が絨毯を踏むだけでなく、やすやすとこっちの間合いを暴くものだと真夜は身をもって知っている。

 どうにも白いのは外見だけらしいと真夜は結論づけた。


「だから真剣で戦い、こちらが負ければ私の騎士の力及ばず傭兵は逃げた。となり、君が逃げ帰る先を追わせてもらう。負ければ、侵入者を処分したとして公式に発表するだけだ」


 口を割らない下っ端を突っつくより、より上を引っ張り出そうという算段だ。

 真夜としても現状を動かしたいので勝負に乗るしかない。


「なるほど。わかった。その勝負にのるよ。ただ獲物がない」


 頷けば完ぺきに計算された笑顔が返された。


「キース、彼女に望みの武器を」


「……かしこまりました」


 キースの声には不満が詰まっている。どちらかと言えば真夜の心情に一番近い声だった。年の功でそれを表に出さないだけで、うっかり出てしまうキースはやはり若い。


「舞台は中庭にしよう。ケント、いいね?」


「もう決めちゃってるじゃないですか。仰せのままに、アルモリーク公」


 恭しく騎士の礼をとるケントも納得しているわけではないだろう。そうは見せないだけだ。


「こちらです。真夜様」


 書斎を出て地下に案内された。厳重に鍵が掛けられた扉を入れば武器庫だった。壁一面に刀剣類が飾られている。どれもきちんと手入れされて切れ味は良さそうだ。大量の武器を素直にみせているこの状況から罠である気がしてならない。ここでキースを殺し逃げることもできる。

 真夜は適当に歩き回って、剣先がきつく曲がったシャムシールを獲物に選んだ。戦うにはドレスが邪魔だ。ヒールも手袋も。どうするかと思案すると、踊り子だった母のことを思い出した。

 勝っても負けてもろくな目に遭わなさそうなので真夜は開き直ることにした。



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