第9話 黒薔薇と白薔薇
【黒薔薇と白薔薇】
目を覚ました真夜は、茨に囚われていた。薄暗い部屋で広さは詳しくはわからない。壁に茨で縫い付けられている。肌に棘が食い込んで血が流れる。所々に咲く白薔薇は血を吸ってまだらに染まっている。立たされている格好だが体に力は入らない。腕は頭上に縫い付けられ余計に血が下がり薔薇に栄養を与えている。
独特の匂いが部屋に充満している。空間を薄い煙が漂っていて正体に気づいた。自白の香としてしられる媚薬香だ。かなり濃く焚きしめられていて、真夜はすでに香が全身に回っていることを自覚した。
頭の芯がぼんやりしている。
ようやく思考が状況を理解しはじめて気づく。正面からずれた位置に白い服を着た男が立っていた。右半顔銀仮面に手袋。武装は解いて首元も緩められている。見間違えようもなく殺し合いをした相手、白薔薇公爵だった。片手にはガラス瓶が握られている。ガラス瓶を満たす液体は薔薇の回復薬だろうと察せられる。あらわになった首筋に傷は見当たらない。万能の回復薬でもすぐに治るほどの傷ではなかったはずだ。
「おれは薔薇の亡霊でも斬ったのか?」
声が掠れている。喉が渇く。頭がクラクラする。
白薔薇公爵は反応せず、薔薇の回復薬を浴びせかけてきた。
「ふっ……んっ」
冷たさと液体が肌を滑る感覚に思わず身を捩る。棘が食い込んだ傷が治りまた棘が食い込み血がにじむ。
「それともアンタのほうが亡霊か?」
睨みつけているのか媚びているのか自分でもわからない。
自分の息さえ熱い。
「はっ……ぅ」
頬を撫でられる。
乱暴な手つきではないが感情が捉えられない接触だった。
「ん、んん」
剣を交えた時は饒舌だった気がするが、目の前に立った男は声も表情もない。剣から伝わってきた熱も指先には宿っていない。
「その気がないのに誘ってるのか? 貴族様の崇高な作法もたいしたことないな」
ようやく目が合った
仮面の奥で光る灰色の瞳は女を犯しているのに熱がない。どちらかというと罪悪感すら覚えさせる冷めた目をしていた。拷問されることはもはや割り切ってしまったし情報を漏らすことのほうが怖いが急に怒りが湧いてきた。
痛みに弛緩する体を怒鳴りつけ棘が食い込むのも構わず足を振り上げた。冷めた横っ面を蹴る。
まともに食らった白薔薇公爵の顔から仮面が外れた。白い髪に隠れて素顔は見えないが薔薇が見えた気がした。
「ぐっあっ」
途端に首が絞まる。なんだかわからないが殺気だけは判別できた。
(許さぬ! 許さぬ!)
どこかから声が聞こえ己を非難しているのは理解出来た。
(誰かに許されようなんておもってない!)
幻聴に脳内で言い返す。
「まだだ、まだ連れて行かないでくれ」
塞がれた気管に空気が急に入ってきた
「ごほっ……が、あ……」
首の締めつけは解けたが白薔薇公爵に抱きしめられていた。頬に髪が擦りつけられる。撫でたら気持ちいいだろう感触と深く吸い込みたくなる匂いが近い。
「な……にが……?」
「まだここにいるかい?」
「アンタ、媚薬香吸い過ぎてラリってんのか?」
ふ、と、白薔薇公爵が笑った。媚薬香のせいか、真夜はその笑顔になんとなくほっとしてしまった。
「ああ、黒薔薇に酔っているのかもしれない」
なにかが吹っ切れたらしい白薔薇公爵は顔に掛かる髪を掻き上げた。真夜を見下ろす顔は精悍で理知的。真夜が願ったような醜さは欠片も見当たらない。右半顔を覆った仮面の下には白薔薇の刻印があった。
真夜は奇妙な感覚を覚える。そこだけ別の生き物のような気配した。
白薔薇公爵は、一度は晒した素顔を仮面で隠した。
「素顔を見られると勃たないのか?」
「そうだね。秘密は秘密にしておきたい性格なんだ」
「はっ」
笑ったら茨が体を締め上げ棘が皮膚を貫いた。首絞めからの解放でだいぶ媚薬香を吸い込んでいた。締めつけられた苦痛も快感に置き換わっている。背筋から脳天に痺れが奔った。
「よく似合っているよ」
真夜の血を吸って染まった白薔薇を撫でて、唇が触れそうな位置で囁く。
「一輪だけもらえればよかったのにな」
強がって見せるが、無様な顔をしているとおもうと声が震えた。
「謙虚なことだ。誰に贈る薔薇をほしがったのかな?」
声が直接脳に響いてくる。常に気を張っていないと頭が真っ白になって零れる言葉を選別できなくなりそうだった。体を支配されている今、思考を手放したら全てを明け渡すことになる。真夜の矜持がそれを許さない。
「気になっている男に届けようと思ってな」
自分が喋っていることも自分の意志なのかわからなくなってきた。問いかけに素直に答えれば気持ちよくなれるはずなのに、意地を張っている自分が馬鹿らしい。
「ここの白薔薇を欲しがるとは趣味がいいね。どんな恋人かな?」
前に寝た男の名前も顔も思い出せない。目の前にいる男に全て塗り替えられる。ここまで揺らされるのは媚薬香の力だけではないだろう。男の声が瞳が空気が精神を犯していく。
「金払いが非常によろしい」
意地総動員で笑ってみせた。内側も外側もぐっちゃぐちゃの大混乱だが、まだ自分にそんな意地が残っていたことに真夜は感心した。
「素敵な御仁のようだ」
挑戦的に笑った顔は好みだった。
頬を撫でていた手が顎の線をなぞり親指が唇を撫でる。
「はっ……はっ」
「どうやら、私たちは相性がいいらしいね」
「最悪の間違いじゃないか?」
二の腕の内側を撫でられて久しぶりに自分の腕を認識できた。
唇が指に導かれて開く。喉から言葉が漏れそうになる。それを煽るかのように細い茨が首に回る。
棘が皮膚を破り血を啜る。肌を飾るように蕾がほころび白薔薇を咲かせた。真夜の血で赤く染まっていく。
「君はじつに美しい花を咲かせてくれる。愛してしまいそうだ」
睦言を囁くような熱っぽい声に絆されてしまいたい。
体を拘束する薔薇は血を啜るだけではなく体内になにかを注いでいるようだった。ずいぶんと血を流しているはずなのに冷めるどころか熱が上がっていく。
「溺れてくれてかまわないぞ? ただ、女は優しく抱きしめるものだ」
美形を睨み付ける。視界が霞んできた。美しいモノを鑑賞できないのは残念だ。
「とても素敵な誘い文句だね」
白薔薇公爵の顔が首筋に埋められる。近くで感じれば息が乱れていた。こいつも人間だったんだな、と、意識が遠退いていく隙でおもった。同じ部屋にいるのだ、媚薬香を同じ分だけ吸っているはずで、これは滑稽な茶番だ。
意識を手放したとして体は勝手にしゃべり出すかも知れない。意志を持って動いているような茨は正体不明で常識は通用しない。
白薔薇公爵が手枷となっている茨を撫でる。
茨越しに感じる体温がもどかしい。
熱い体に抱きしめられた。
「生きている……私の腕の中で、君は生きている……」
うっとりと呟く白薔薇公爵の声に、真夜は妙に冷静になった。
「美しい。黒薔薇だ」
拷問をしたいのか縋り付きたいのか、この男がなにをしたいのかわからなくなった。
「アン……タ……ないて、ん、のか?」
限界は触れ合う白薔薇公爵より近かった。
「離したくない。離れていかないでくれ」
ああ、泣かせてしまった。真夜は本能的な部分でそう感じた。
白薔薇公爵の体が離れていく。熱を追いかける腕を今は持っていない。
「さぁ、君の話を聞かせておくれ」
さっきまでの感情をむき出しにした声を完ぺきに押し隠し、遊戯を楽しむ貴族然とする。
あまりの役者ぶりに真夜は笑った。
「一方的に喋らせる男は嫌われるぞ?」
「君のことをもっと知りたいんだよ。お互いなにも知らないからね」
「そうか? おれはもう知っているぞ?」
霞む視界に泣きそうな顔が映った。それが真夜の意識に残った最後の光景だった。
「君を手放せなくなりそうだよ」
薔薇の香りに満たされた部屋に寂しげな声がぽつりと零された。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
戦闘とは違う疲労感と心地よいまどろみに包まれている。起きなきゃいけない理由もないし寝具は上等。いきさつを考えなければなかなか悪くないと、思えた。
(我が愛しき者と交わる者よ。我の元に来い)
なにかが近くで喋っている。
面倒なので拒否することにした。
「うるさい。まだ眠い」
(我が愛しき者の愛を我が元に)
「あとでな」
沈んで行く意識に逆らわず、寝た。
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