第5話 兄弟

【兄弟】


 王宮に帰ってきたセドリックは国王の居室に向かって廊下を歩いていた。


「お帰りなさいませセドリック殿下」


 出くわした宰相が頭を下げる。伏せられた顔にいい表情が浮かんでいないことは容易に察せられた。暴動鎮圧の名目で騎士団を率いていったのにその日のうちに帰ってきたのだから不審にもおもうだろう。わかりきった結末に対する演技だとしても、セドリックはまだ平静に流せない。この王子はまだ、人を信用しているのだ。


「全部あっちの管理官に任せてきた。管理官が任せろといったんだ。 それに、ベルアィーダ公爵が仲介を担当してくれる。問題ないだろう?」


 無能らしいことを言えば宰相はわざとらしく困り顔をしてみせる。


「ええ、おそらくは」


「父上はどこにいる? 部屋?」


「先ほど自室に戻られました。本日はもうお休みになると。御用があれば私から伝えておきますが、いかがなさいますか?」


「……いや、たいした用じゃないからあとでいい」


 帰りかけて、思い出したように振り返る。


「あ、そうだ。最近体調が悪いって噂を聞いて叔父上が心配していると、伝えておいてくれ」


 父親に対する用はそれだけしかなかった。


「かしこまりました。殿下はどちらに?」


「どこだっていいだろ? あとはみんなに任せるよ」


「ご随意に」


 見送られて立ち去るセドリックは角を曲がり宰相から姿が見えなくなったところで深く息をついた。賢王と呼ばれる父親を長く支えてきた宰相を出し抜ける力が自分にはないことをセドリックはよく知っている。情けない気分で歩いていると前から本を抱えた弟王子のオスカーが向かってくる。オスカーは周りをきょろきょろ見回し、誰もいないことを確認すると、


「兄上っ」


 ぴょんぴょん跳ねて駆け寄ってきた。

 あまりにもあからさまな態度にセドリックは苦笑する。


「鉱山の暴動鎮圧に向かったって聞きましたがもう戻ったんですね」


 にっこにこの笑顔が本心からであると知っているので、セドリックは思わず自分と同じ金髪を撫でた。三つ年下のオスカーはもう成人しているがこんな子供扱いにも嬉しげに夜明け色の瞳を細めてうれしがる。


「俺が出張る必要なんて最初からなかったんだよ」


 兄としての威厳も王太子としての矜持も溶けてしまう。

 オスカーは「そんなことありません」と、必死にセドリックの必要性を訴えたあと、急にションボリと俯いた。


「ボクが兄上を貶めるために誘導したって噂が出てるんです」


 最近よく出回る噂の一部に過ぎない。


「オスカーは暴動の扇動よりやることがたくさんあるだろ? ただの噂なんて気にするな。それより、医療研究施設の予算、無事に降りたんだって?」


 気にするな、と肩を叩いて励ましてやる。話題を変えればすぐに喜色を浮かべた顔を上げた。


「はい、そうなんです! 薔薇の回復薬があれば医療研究は必要ないっていう反対勢を諭すのは大変でしたけど、兄上が教えてくれた論文が役に立ちました」


「あれは叔父上からだよ」


「なんで兄上はそうやって無能を気取るんですか?」


「気取ってるわけじゃないさ。本当にそうなんだよ」


「兄上……」


 オスカーが続けようとしたとき、人の話し声が近づいてきた。セドリックはむりやり話を遮る。


「ほら、忙しいんだろ? 俺に絡んでいるとおまえまで無能扱いされるぞ」


「でも」


「叔父上のところでお土産をもらったんだ。あとで届けさせる。アリィの分もあるんだ。またな」


 さっさと歩いて行ってしまうセドリックの背中にオスカーはションボリと眉を下げた。

 廊下の角を曲がってこちらに近づいてくるのは有力派閥を従える公爵と取り巻きの貴族だった。


「今のはセドリック殿下ですか? お早いお帰りですね」


 筆頭であるひょろりと痩身で背の高い男が、ぎょろりとした目で去って行くセドリックの背中を見た。


「ベルアィーダ公爵、兄上に用がありましたか?」


 心地いいとは言えない視線から兄を守りたいオスカーは冷めた声で話しかけた。ベルアィーダ公爵は頼りない肩を揺らす。


「ええ、ええ……鉱山暴動の件でお話が」


「どうか早く沈めてください。兄上に関わる真偽定かでない噂も」


「オスカー様の心中お察し申し上げます。このベルアィーダ、セドリック殿下の名誉のためにも全力を尽くす所存でございます」


「よろしくお願いします」


 オスカーを見送ったベルアィーダ公爵は、廊下の先で宰相とシュシュ公爵を発見した。ベルアィーダ公爵に気づいたシュシュ公爵はそっと宰相の傍から離れてベルアィーダ公爵とすれ違う。鼻で笑われたような気がして、ベルアィーダ公爵は薄い唇を噛みしめた。



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