友達の友達

 あなたは、友達の友達に、会ったことがありますか?


 いえあなたと話していると、ふとそんな言葉が浮かんでしまって。あなたのその眼差しのせいかもしれません。


 よく知り合いが、友達の友達がね、って前置きをするんです。友達の友達がね、あなたのこと話してたよ、って。その友達が、友達の友達を介して、私の知らない過去の私について、私に語るんです。


 分かりにくい説明ですみません……。


 ヤンキーだった時期がある、とか、……えぇ昔ならレディースとか言うんでしょうが、私の世代では、もうそんな言葉、誰も使わないので。後はそうですね……人の彼氏を奪ったとか不倫してるとか、その友達の、友達の友達は、私についてそんなことを語っていたそうなんです。


 もちろん私にはそんな記憶がひとつもありませんでした。そんなの根も葉もない噂だよ、って、その友達に言ったりするんですけど、なんか私がそう答えると、とても不満そうな表情を浮かべて、だけど不満なのはこっちのほうなのに……、


 とても不安になるんです。


 あの……私の目をじっと見てもらってもいいですか? あぁいえ、そんなに顔を赤くしないでください。私まで恥ずかしくなってしまいますから。別にそんなつもりはないんです。いやそういうことになれたらいいなぁ、とか、そんなあまい期待もないわけじゃないんですけど……、あぁあぁ、忘れて、ごめんなさい。今の言葉は忘れてください。


 あなたがとても素敵だったので、つい。


 私の目って、どうですか?


 よく冷たい目をしてるね、って言われるんです。多分、私の目が怖いから、そんな私の悪い噂が広まるんだ、と思います。


 でもそれは逆なんです。


 周囲が私を怖がっている以上に、私のほうが、周囲を、この世界を怖がっていて、この目は私の防衛反応みたいなものなんですよ。視野を広くして慎重にこの世界を見ようとすれば、嫌でも険しい眼差しになります。


 慎重にこの世界と対峙している私は、彼らよりもずっと優しいんです。私と似ている目のあなたも、優しいひとなんだと思います。だから私の心の内をこうやって小出しにしていけるのかもしれません。


 話がずれている? あぁごめんなさい。昔から口下手で、話をうまくまとめられないんです。


 記憶にない過去を伝えられて、不安になってしまう話でしたね。


 あぁその前に……、最初の質問の答えを聞いてもいいですか?

 友達の友達に、あなたは会ったことありますか?


 無いですか……。そうですか……。実は私も会ったことがないんです。不思議ですよね。友達の、友達の友達、って遠く離れているように見えますが、私の過去を知っているとなれば、それは明らかに近い相手になります。


 友達の友達、って誰のこと?


 って聞いてもはぐらかされるし、私はもともと人間関係が稀薄なので話を聞くだけで誰なのか見当が付きそうなものなのに、結局いつも誰か分からず終わってしまうんです。


 いえ気付いているんです。本当は。

 友達の友達なんて、どこにも存在しない、って。


 その友達が自分の口から言うと角が立つから、ってことで、いない存在をでっち上げているんです。あなたも、友達の友達なんてものを言葉通りに信じる必要はないですよ。言葉も世界も嘘だらけなんです。その不確かさこそが、言葉であり世界なんです。


 じゃあなんでその友達は、嘘の人物を創ってまで、私の知らない私の過去について語るんでしょうか。


 それがとても不安なんです。


 誰も過去に戻ることはできません。確かめるすべのない過去に、確かな事実なんて存在するんでしょうか。


 たまに不思議に思ったりしませんか? なんで昨日の晩御飯のおかずも思い出せないのに、何年も前に食べたご馳走の想い出はしっかりと残っているのだろうか、と。


 特別な記憶だから? それは本当にあった記憶なんでしょうか? もともと無かったものを特別な記憶として無意識に自分の中で作っているだけとは思わないのでしょうか?


 私の知っている過去がすべて嘘で、私の知らない過去がすべて本物なのかもしれない、と。


 そう考えると、いつも不安で、とても怖くなるんです。


 私の手、握ってもらってもいいですか。ほら、震えてますよね? ごめんなさい。ちょっと汗ばんでいて、嫌ですよね。こういうことを考えはじめると、手のひらにすごい汗が浮かんできて、震えが止まらなくなるんです。


 信じていたものが崩れていく感覚というのでしょうか?

 私の記憶のはっきりとしない部分。そこで私は何をしていたんでしょうか?


 あなたは知っていますか?


 すみません。こんなことを初対面のひとに。でも本当にあなたは初対面なんでしょうか? あなたと会っていない過去こそが嘘なのではない、と、まぁつまりはこんな風に考えてしまうわけです。面倒くさい、ですよね。分かっています。こんな面倒くさい女だから、恋人に冷たく振られるんですよね。浮気していたんです。俺、好きな子できたから、って。格好いいひとでしたから、相手なんてすぐ見つかりますよ。何度か見たことあるんです。彼の次の相手。可愛い子だったなぁ。確かリリちゃんって言ってたかな。あれ、これは源氏名だったかな。まぁいいか……、地味な会社員の私と違って、キャバ嬢をしている、ってことで、すごく派手な感じがして、初めて見た時、気後れしたのを覚えています。


 人の彼氏を奪った、って友達からは言われてしまいましたけど、どう考えても私が奪われている側の人間ですよね。


 あの……あなたに恋人はいますか。


 いえ、その自覚はあるんです。自分が惚れっぽい人間だって。地味な人間ですけど……いえ自分が地味な人間だと知っているからなのかもしれません。シンデレラを夢見る少女のような気持ちが、まだあるのかもしれません。


 あっ、笑わないでくださいね。


 謎めいたあなたのことをもっと知りたいんです。

 あなたは何者ですか?


 ケイジさん、という名前なんですね。


 違う……? どういうことですか? あぁイントネーションが違うということでしょうか? 漢字はどんな字を書くのでしょうか? 前田慶次の慶次でしょうか。それともケイの部分は天啓の啓のほうでしょうか。どちらにしても、とても良い名前ですね。


 どうしたんですか、溜め息なんて吐いて。


 これは知り合いの受け売りなんですけどね、溜め息を吐くと、運が下がって不幸になるそうですよ。


 シタイについて聞きたい?

 シタイ、ってなんですか? うーん、肢体のことでしょうか。あぁなるほど私の軀を求めてくれている、っていうことですね。私としては求めてもらえるのは、とても嬉しいのですが、さすがに段階を踏む必要があると思うんですよ。さっきも言いましたけど、私、年齢は大人ですけど、シンデレラに憧れる心も持っているんですから。


 まずデートをしませんか?

 あなたは、まずどこへデートに行きたいですか?


 こういうところにも趣味って出るので大事だと思うんです。喫茶店ですか? そう言えばコーヒーはブラックを飲めるひとですか? 私は苦いのはちょっと、っていう感じなので、甘いカフェ・ラテが好きなんです。映画館ですか? ちなみに映画はどんな映画が好きですか? 恋愛映画が私は好きなんです。好きなのは『タイタニック』とか『きみに読む物語』とか、何度も繰り返し見たなぁ、昔はよく会社帰りに恋愛映画を借りて、必ず夜に一本観ていたんですけど、彼氏ができてからは、そんなことも無くなりました。もしかしたら現実の欲求を、フィクションによって満たしていたのかもしれません。


 あなたにも、ありませんか?

 嘘の物語を享受するうちに、どっちが現実でどっちが虚構なのか分からなくなるような感覚が。


 さっき私は、私の知っている過去がすべて嘘で、私の知らない過去がすべて本物なのかもしれない、と言いましたよね。私みたいな物語の楽しみ方は、私の知らない過去をすべて本物にしていく行為に近いのかもしれません。


 そしてどっちが本物で偽物なのか自分でも分からなくなってくる……んっ、私は、何を言ってるんでしょうね。さっきまでそれを怖いと言っていたくせに、魅力に感じている自分もいたりします。本当に人間、って矛盾した生き物なんでしょうね。


 またあなたと会いたいのですが、次はいつ会えるでしょうか?


 こんな狭い室内で対面し合うよりも、今度はもっと広々とした屋外にふたりで横並びに過ごしたいなぁ。その時は邪魔者がいない環境がいいな。


 あの……なんで今、


 今回は許しますけど、次は絶対に許しませんからね。女性を、別の女性の名前で呼ぶなんて、最低のことですからね。特にあなたに好意を持っている女性に、そんなこと、特に言ってはいけません。


 めっ。

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