出版社に支配されたくない→投稿サイトに支配される
ネット上に作品を公開する利点。「出版社に縛られたくない、支配されたくない。自由に自分の作品を作りたい。それを可能にする」…という事がかつて言われて、まあ今でも言っている人はいますが、段々と、幻想を超えて妄想のレベルになっていると思います。
結局ですね、人が増えると「競争」になって、しかも自分はそういう競争をするつもりはなくても、きっちり「数字」で評価される事で煽られる仕組みになっているわけですね。
それで、結局、自分の作りたいものを作りたいように…なんて、ウソもいいところです。どうやったら人気が出るかという事を血眼になって模索している人は、多分多いと思います。それを裏付けるのが、煽りに煽ったタイトルや宣伝の嵐、その類です。
もちろん、意志を曲げず自分の作りたいものを作っている人もいて私もその一人ですが(自サイト)、これは必ずしも面白いものではないです。ただ、私はずっと以前から必ずしも売れるものではなくても同人作品などを作り続けているので、今でもやっているという、それだけです。
賞に応募する為に作品を作ったほうがよっぽど自由にものを書けると、大変皮肉な事ながら本当に実感しています。
確かに、本気で入選を目指すというか、入選しないなら何の価値もないと捉えるなら、狭き門ですから精神的にもきつくなっていくでしょうね。
でも、「狭い門」なのは投稿サイトで人気を出すのも結局同じ事でしょう。
同人で売り上げを伸ばすという事もそうですが、同人の場合は少ない部数でも完売すれば嬉しいとかそういうのがありますので。
少し調べて感じたのは、ネット上には、「無料で」作品を置く場所はあっても、売る事ができる場所はすごく限られているという事です。
意外な事に、即売会のような場を広げるという事はネット上では全然機能していないと。そう感じます。尚、「売ろうとしても売れない場所」は、無いのと同じです。
代わりに増えてるのは「無料で〇〇〇」。
創作意欲を減退させます。縛られずに自分の創作を思う存分に楽しんでいる人は少ないのではないかと思います。負けずに続けてる人は、結構きつい中でやってる人もいるかと。
同人活動については、従来の領域を広げる事は難しそうです。
同人でもそうですが、一番活き活きとするのが1つの作品を作り上げようと制作に取り組んでいる時。
投稿サイトというのはそれを妨げるものだと、私はいよいよ実感しています。
結局、何を書こうにも、縛られるわけですね。もちろん強固な意志で自由にも書けますが、色々と制裁を受けます。まあふざけてるとは、思います。
確かに同人でも、そういうところはあります。ただ、結果が出るのは1つの作品を作り上げた後であるという特徴があります。これは、賞への応募でもそうですが。
ところが、投稿サイトでは、途中で「制裁」を受けます。
作っている途中で、「つまらん作品やなあ」と、来るわけですねえ。
何気に、結構ひどいと思いますよ。
確かに賞での審査も当然厳正で厳しく判定されるでしょうが、一応、完成した作品に対する評価のはずです。(全部読まないとかそういうのもあるかもしれませんが。)
作ってる途中で「もう応募やめたほうがいいよ」とは、当然ですが向こうからは言ってこないですね。
対応は、できます。例えば、長編を作るのはやめて、短編だけを投稿するとか。
でもそれが、何にも縛られずに支配されずに自由に行う創作でしょうか。幻想か、妄想に近いかもしれないのです。
賞に応募する作品を作る時は、本当に自由にやっています。自由に書いています。
縛られずに書くってこういう事かなと、本当に久しぶりにそう感じています。
制約があるとすればそれは日記の文章等と違って「良い作品」に仕上げるべきだという事です。
もちろん、「どうやったら入選するのか」「入選するには何をどう書くべきか」などといった事をぎらぎらした目で見るようになったら、その感覚は失われるでしょう。良い作品も結局作れなくなる事も目に見えています。もしそうなったら、応募のための制作というのは多分止めるべきか、少なくとも中断すべきなのでしょう。
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