【大皿いっぱいに心をこめて】

第356話 12月13日

 一文字に結ばれた唇がつんと尖っていく……でも、不機嫌な訳じゃない。

 それは彼女が納得のいかない時に出るサインだった。


「……ちな? 引っかかる部分でもあったか?」


 家庭教師の真似事をしていた際の鋭い眼差し……教え方に不服でもあったのかと首を傾げる。

 しかし、


「……あなたって、人に教えるの上手ですよね」


 不満げな口から飛び出たのは褒め言葉だった。

 「ありがとう」とお礼を言った途端、彼女の視線は再びノートへ落ちていく。

 だが、再び勉強に集中しても、つんとした態度は変わらなかった。


「いっそ、学校の先生にでもなれば良かったんじゃないですか?」


 問題集を睨む瞳が、今も自分に向けられている感覚。

 前髪の影が額へ落ちる横顔を見つめながら、なんと返すべきか考えた。


(先生にでもなれば……か)


 高校時代、部活の後輩から似たようなことを言われたことがある。

 ……もし、俺がもっと公平な人間だったなら、その言葉を人生のターニングポイントにすることもあっただろう。

 けれど、そうはならなかった。


「……実は、そう言われたこと結構あるんだよ」

「だったら、どうしてならなかったんですか?」


 彼女が綴る筆跡を目で追いつつ、「そうだな」とこぼす。

 そして、


「……ちなに教えてる時が一番楽しかったから、それで満足しちゃったのかもしれないな」


 そんな答えに辿り着いた俺の表情は……綻んでしまっていた。



 ちなが部屋に戻った後、


「家庭教師、お疲れ様」


 リビングで、缶ビール片手に笑う先輩彩弓さんから労われてしまった。


「……確か、明日も早いって言ってませんでしたっけ?」


 なんて言いつつ、冷蔵庫へ酒を取りに行く。

 フタを開けてすぐ、種類ごとに整列する飲料缶と目が合った。


「どれなら飲んでもいいですか?」

「どれでも大丈夫」

「それじゃあ……」


 ご機嫌な声に従い、檸檬が描かれた缶を選ぶ。

 プルタブを起こして二人で乾杯した直後、彼女から質問が飛んできた。


「ちーちゃん、どんな感じ?」

「がんばってますよ。すごく」

「それは見てればわかるって」


 「ですね」と短く返事をする。

 すると、綻んでいた先輩の表情が……どこか、硬くなったように見えた。


「ちーちゃんの進路、気付いてるでしょ」

「……ええ」


 間の空いた肯定に間髪をいれず溜息が重なる。


「きっと、君に引き留めてほしいと思ってるよ?」

「……そうですね。でも、同じくらい背中を押してほしいとも思ってる筈ですから」


 だって、彼女はそういう面倒くさい女の子なんだ。

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