第314話 11月1日(……今日は、もう帰ろう)

 彼と一緒にいる時間が好きだ。

 ただ珈琲を飲むだけでも、彼と二人なら特別な時間に思える。

 そして、それは仕事をしている彼の傍で、勉強する時も変わらない。

 きっと、楽しいことをしている時だけ傍にいたい訳ではなかった。


 でも『ただ一緒にいたいから』という理由で傍にいられるのは……私がまだ子どもだからなんだろう。




 ノートへ影を落としながら、数式と睨み合っていた時――、


「勉強、うちに来てる時だけじゃなく家に帰ってからもしてるんだよな?」


 ――仕事の手を止めた彼から、ふいにそんな質問が飛んできた。

 顔をあげた瞬間、彼と目が合う。

 だが、すぐに目線を外し、再びノートと向き合った。


「……当たり前じゃないですか。受験生なんですよ、私」


 ……まだ、彼に手元を見られている。

 『いっそ、数式なんて書くのをやめて彼と見つめ合ってしまえばいい』と、胸の奥から情けない声が聞こえてきた。


(……できる訳がない)


 だって、私は勉強をしに来ているのだ。

 家では集中できないなんて理由をつけて――何時間もここで勉強をしてから帰る。


 そして、勉強をしながらずっと考えていた。


「進路はどうするか、もう決めてるのか?」


 高校を卒業したら……子どもじゃなくなったら――どんな理由をつけて、彼の傍にいればいいのかと。


「一応、県内の大学を受験するつもりです」


 嘘は吐いていなかった。


 でも、隠し事はしている。

 両親が引っ越すこと……そして、引っ越し先から通える大学も視野に入れて進路を考えてほしいと言われていることだ。

 こんなこと、本当なら隠すどころか真っ先に彼へ相談したい話だった。


 だけど、何故そうできなかったのか今ならわかる。


 引っ越しに賛成され、彼の傍から離れて遠い大学へ通うことを勧められるのが嫌だった。

 何より、私が彼の傍にいたいからなんて理由でここへ留まろうとしていることを――そんな子どもっぽい理由で進路を狭めているなんて彼が知ったら、すごく怒るだろうとわかっているから……話せなかった。


 だって、私は――彼にとって小さい時から傍をうろついている子どもでしかない。

 どれだけ大切に想われていても、妹みたいな存在から脱せれない。

 例え、彼がどんな女性より私のことを大切にしてくれても……今の自分が、必ず昔の『私』に邪魔をされる。


 なんてことを考えた途端――、


(……あ、なんだ)


 ――ぴたりと、数式を綴る手が止まってしまった。

 

(だからこれまで……私は彼への想いにふたをしてきたのか)

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