第313話 10月31日(きっと、そうなんだ……)

 試験を終えても、私達が受験生であることは変わらない。

 勉強会の名目で遊びに来た茉莉は「んぅーっ」と伸びをした後、


「それで、どうだったの?」


 と、頬杖を付きながら訊ねてきた。


「どうって?」

「珈琲よ。淹れてあげたんでしょ? おにいさんにサイフォンで」


 思わず、英文を綴っていた手が止まる。

 まだ、昨日のは茉莉に話していなかった。

 なのに、何故?


 一瞬、はぐらかそうかとも思ったが……上手く取り繕える自信などない。


「……淹れに行ったけど、上手くできなかったの」


 正直に答えるや否や、私の失敗が意外だったのか茉莉はぱちくりと目を瞬かせた。


「ちなって、わりと何でも器用にこなすのに。やっぱり、難しかった?」

「ん。初見で勝手がわからなかったのもあるんだけど、抽出の時に――」


 話し出すなり苦い思い出が脳内に蘇り始める。


『珈琲を淹れたいので……サイフォンを貸してもらえませんか?』


 涼しい顔で言った直後の醜態。

 たった十数分の出来事だが、愚痴にすれば何時間でも話せると思った。


 けれど――、


「……ちな?」


 ――たぶん今、親友に聴いてほしいのは愚痴じゃない。


「その、色々失敗はしたんだけど……でも悪くなかった」


 昨日、私は結局、一人で珈琲を淹れられなかった。

 最後は彼に手伝わせて、ほとんどと言っていい。


 最初は『かっこよくサイフォンで珈琲を淹れてあげる筈だったのに』とも思った。

 けれど、悪いことばかりじゃなかったのだ。


 彼の傍で丁寧に手順を教えてもらう穏やかな時間。

 彼を手伝い、二人で淹れた珈琲は……ただ淹れられた珈琲を一人で飲むのとは違う魅力があった。


『……次は、一人で淹れられますから』


『わかってる。楽しみにしてるからな』


 気付いた時には胸の奥からくすぐったい想いが溢れていて……抑えるのも難しくなっていたのだ。


「私、茉莉の言う通り……最初は彼にサイフォンで珈琲を淹れてあげたかっただけなの。一人でかっこよく、上手に美味しい珈琲を淹れて、驚かせてみたかった。でも、それも強がりだったのかもしれない」


「強がり?」


 繰り返された言葉に、こくりと頷く。


 きっと、本屋で本を見つけた時からそうだった。

 私は彼にサイフォンで珈琲を淹れてあげたかった訳じゃない。


 そうできたら素敵だとは思うけど、でもそれすら建前で――私はただ、


「茉莉、どうしよう。私、彼と一緒にいるのが……好きみたい」


 彼と一緒にいるための理由を探していただけだったみたいだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る