第305話 10月23日(……まあ、家にいた時も楽しかったけど)

 彼の家でソファに寝転がり、小説を読んでいると――、


「なあ、いつになったら出掛けるんだ?」


 ――呆れて腕組みを始めた彼が視界に入って来た。


「……もう少し後でです」


 ページを捲り、活字と見つめ合いながら答えるなり「『今日行こう』って言い出したのはちなの方だったよな?」と返される。

 確かに『土曜日にクレープ屋へ行こう』と言い出したのは私だ。


 しかし。


「……何時に行くかまでは決めてませんでしたから」


 しれっと言い返した直後、細い溜息が聞こえてくる。

 そして――、


「なあ、ちな。珈琲のおかわりはどうする?」


 ――間髪入れずに投げかけられた質問が、彼の気遣いから出た言葉ではないということは即、理解できた。

 つまり、彼はこの問い掛けの如何いかんによって私の行く気を判断しようというのだ。


 おかわりを断れば、近いうちに出掛ける気がある。

 逆に、おかわりをお願いすれば、まだしばらくは行く気がありませんの意思表示だと判断するつもりなんだろう。


「お願いします」


 空のマグカップを差し出すや否や、呆れた声で「了解」と告げられた。


「インスタントでいいよな?」

「……サイフォンで淹れてと言ったら淹れてくれますか?」

「もちろん」


 本から顔をあげた途端、彼と目が合う。


「……隠れて、こっそりインスタント珈琲にしても、今は違いがわかりますからね?」


 唇を尖らせる私に、彼は微笑んでから「わかってるって」と頷いた。



「……寒い」


 午後になって日が陰ったのか、朝よりも空気を冷たく感じた。


「もう一枚、上から何か羽織って行くか?」


 厚意からの言葉だろうけど「大丈夫」と呟いて首を振る。

 続けて「平気ですから」と言う私に、彼は「無理してないか?」なんて訊ね、この場から動こうとしなかった。

 このままでは、いつまで経ってもクレープ屋へ行けそうにない。

 そこで、心配する彼をおいて先先と歩き出す。


「ちな?」


 呼び止められてすぐ振り返り、私は「行きますよ」と彼を急かした。






「…………」

「…………」


 並んで歩く商店街までの道のりは、寒いだけではない。


「もう、どんなのを頼むか決めてるのか?」

「チョコバナナカスタード生クリームとチーズケーキ生クリーム……」

「おお……てっきり、もっと曖昧な返事が来ると思ってたんだけどな」

「まあ、毎日登下校の度にメニューとは顔を合わせていましたからね」


 寄り添う二人の影に視線を落とし――こんなことなら、もっと早く家を出ておけば良かったなと些細な後悔を抱いた。

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