第270話 9月18日◇彼方を見つめる蒲公英◇ / (これが、今の私の精一杯……)

 毎週土曜、剣道部では団体戦形式で練習試合が行われる。

 この日、秋は中堅に据えられていた。


「どおぉーっ!」


 気合の乗った声と共に竹刀が胴目掛けて振り下ろされる。

 そして――、


「お! 決まった!」

「うん、綺麗だった」


 ――先鋒戦、次鋒戦と既に試合が終わった二人一年生たちは、反応こそ違えど真剣な眼差しで秋の対戦を見守っていた。

 だが、今の試合においては『見守っていた』という言葉は適切ではないかもしれない。

 何故なら、今日の秋は全く危なげがない剣道をしていたからだ。


「最近ずっとだけど……今日は特に気合入ってるね、秋先輩」

「わかる。大会前だってこんなに集中してなかったよ」


 ここ最近、大会を終え三年生が抜けた直後の部はどこか緊張感に欠けていた。

 しかし、秋は他の部員達と違って大事な試合を控えている。

 故に生まれた圧倒的な集中力の差。

 それが実力は拮抗きっこうしている筈の相手に圧勝できた要因だった。


 中堅戦が終わり、秋は礼を済ませてから自陣へと戻る。

 彼女が面を外した途端、宮は弾けた栗みたいに「お疲れ様です!」と言って続けた。


「今日の秋先輩、すごいですね!」

「そう?」

「はい! 集中力が普段の百倍って感じでした!」


 宮の隣で栗栖がうんうんと頷く中、秋は照れた笑いを浮かべる。


「あはは、言いすぎだよ」


 けれど、栗栖が「でも、一つ気になったんだけど――」と首を傾げた途端、


「――なんか今日の秋ねぇ、やたら引き胴にこだわってなかった?」


 秋の口元から笑みは消えた。


「そうだね……そうだったかもしれない」

「……秋姉?」

「…………」


 次の試合三将戦が始まり、秋に倣って一年生たちも口を閉じる。

 秋はじっと対戦する部員達を見つめながら……遠く離れた智奈美を見ているようだった。







 市民体育館を出て車の後部座席へ乗り込む。

 夜の車窓に映り込む自分の顔が、なんとも情けなく見えた。


「……一年って、本当に長いんですね」


 独り言に使うような小声で彼へ声を掛ける。


「ん?」


 ハンドルに手を添える彼へ「まだ全然、去年とは程遠いです」と続けた。


「そりゃな。ちなが十数年かけて積み上げてきたものだ……たった数日で取り戻せる訳がないよ」


 辛辣な言葉が何故か耳に心地良い。


「……そうですね」


 今、どうしても埋められない差があることを悔しく感じる一方で……私はどこか、それを嬉しくも思っていた。


「私……剣道、大好きでしたもんね」


 彼が静かに頷く。

 秋の憧れには遠く及ばないが……明日は、精一杯の試合をしようと心に決めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る