第269話 9月17日(……これは、いいってことだよね)
「めぇぇえんっ!」
打突部位へ竹刀を打ち込んだ直後、彼の後ろへと抜けていく。
十分な間合いが空いてから素早く向き直り、再び竹刀を構えると――、
「今日は、ここまでにするか」
――疲労の滲む声色を聞かされた。
「……あと少し、ダメですか?」
ここを出ればまた窮屈な練習しかできなくなる。
本音を言えば、まだ思い切り体を動かしていたかった。
だが、
「俺も、そうさせてやりたいんだが……」
彼は頷くことなく、体育館の壁掛け時計を指し示す。
(……ああ、もう時間切れか)
なら当然、利用時間には限りがある。
「また明日だな」
「…………はい」
冷め切らない熱を帯びたまま、静かに彼へ頷いた。
◇
市民体育館の外へ出てみると、辺り一面が真っ暗になっていた。
肌を撫でる風は寒いくらいで、吐く息に色が差すのではと考えてしまう。
けれど、初秋の肌寒さについて感じ入られた時間は……そう長くなかった。
「……ちな?」
スマホを見つめて固まっていると彼に心配そうな声で訊ねられる。
「もしかして、忘れ物でもした?」
「まあ……忘れ物と言えなくもないですね」
スマホの画面を見せると、彼は早々に忘れ物が何か理解してくれたようだった。
「確かに忘れものだ」
小さな液晶に表示されているのは数字の羅列――簡潔に言うと、祖父の電話番号だ。
「まだ、じいちゃんに話してなかったんだな」
こくりと頷くなり、彼は歯を見せて笑った。
「今から掛けるんだろう? 離れてようか?」
「……いえ、そこで突っ立っといてください」
緊張したり、怖がっている訳ではない。
ただ、一人で祖父に電話ができるかと問われれば……それは否だった。
「…………っ」
指先で通話ボタンに触れると、コール音が鳴り始める。
耳元でメロディが溶けていく間、気付かぬうちに息を止めていた。
そして――、
『はい。向坂ですが』
――祖父の声が聞こえた途端、すぅっと呼吸を再開する。
「おじいちゃん、私」
『智奈美か。どうした、突然』
「うん……お願いがあって」
『お願い? なんだ、言ってみなさい』
言葉を促された瞬間、用意していた筈の台詞が引っ込んでしまった。
でも、彼の心配そうな眼差しが――そうそう子ども扱いされてたまるかと、私に発破をかける。
「今週の日曜……おじいちゃんの所に行ってもいい?」
『構わないが……来てどうする?』
「……剣道の試合を、させてほしいの」
『…………』
短い沈黙が流れた後、祖父は『気を付けて来なさい』とだけ告げた。
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