第248話 8月27日(変に慰められるよりは……まあ、いいかな)
彼が何も訊かずに紅茶を淹れることは珍しい。
ただ、勝手に紅茶を差し出される時がどういうタイミングかは知っていた。
(……今日、ケーキがあるんだ)
普段から珈琲ばかり飲んでいる私だが、ケーキを食べる時のお供は決まって紅茶だ。
極たまに違うものを飲んでみようという気にもなるが……大抵、一口飲んだら後悔する。
この面倒なこだわりは幼い頃からで……当然、彼も重々承知していた。
だから、無言で紅茶を差し出された時は『今日はおやつにケーキがあるよ』というサインな訳だ。
頻繁にある訳ではない、私達の当たり前。
しかし、本日の当たり前はいつもと違っていた。
「で、ちなはどれから食べたい?」
ケーキ箱に詰められたケーキの群れが、じっと私を見上げている。
真っ赤な冠をいただく苺ショート。
真白いシュガーパウダーが降り積もるガトーショコラ。
一足早い秋を頭に乗せるモンブラン。
ふんわりと弾み出しそうなチーズケーキ。
生地から果物がこぼれ落ちそうになっているフルーツタルト。
そして、トドメは陶器の器に入った高級そうなプリン。
完全に、異常事態だった。
いつもなら同じ種類のケーキが決まって二つ。
『どれから食べたい?』なんて質問されずに差し出される。
……というか、あれ?
今さっき、彼は『どれから食べる?』と、訊かなかったか?
どれ『を』ではなく、どれ『から』食べると……。
ケーキに向けていた視線が、彼へと移る。
「どれからって……その言い方だと、まるで二つ以上食べてもいいみたいに聞こえるんですが?」
平静を装いながら訊ねた途端、彼は「夕飯が入らないような食べ方をしないなら構わないけど?」と微笑んで返した。
なるほど……つまり、全部食べても良いということだ。
一瞬、自分の瞳からきらりと星がこぼれたような気がした。
けれど――、
「……とりあえず、苺ショートから頂きます」
――流石に、全部食べるような真似はしない。
淑やかにケーキを選び取り、皿の上へ移す。
その後、真っ先に苺を皿の端へとよけてから一口頬張った。
生地はふわりと軽く、滑らかなクリームが舌の上で踊る。
口の中に広がる甘さ……それは次第に幸福感へと姿を変えていった。
どうしようもなく、表情が緩んでしまう。
だから、この情けない顔を彼には晒すまいと思ったのだが――、
「……少しは、元気でそうか?」
――そんな言葉が添えられて、つい顔をあげてしまった。
「……さあ? けれど、まあ――口の中は幸せいっぱいですけどね」
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