第249話 8月28日(……あの頃の彼は――かっこ、よかったのかな?)
毎日の中で変化していくものは、存外見逃しやすい。
だから、ふとした瞬間に変化へ気付いた時、思わず「あっ」と声が漏れてしまうのだろう。
「どうかしたか?」
ランニングが終わり、ふいに声が漏れた私へ彼は首を傾げる。
タオルで汗を拭う姿を眺めつつ、一瞬はぐらかそうかとも考えたのだが――上手い言い訳が思い付かなかった。
「いえ、その……」
彼から目を逸らし、近くの電信柱と見つめ合う。
別に、恥ずかしいことを言おうとした訳ではない。
けれど、いざ言うとなったら急に妙な恥ずかしさが込み上げてきた。
止めようもなく、視線が下へ下へと降下していく。
すると、電柱の根元に小さな花が咲いているのを見つけた。
(……別に、誰かが聞いている訳でもない。どんなことを話したとしても彼と私の間だけのことだ)
花に耳と口がついている訳でもない。
そう思って顔をあげ、ちらりと彼が立つ方へ向き直った。
「……大したことではないんですが、少し痩せたんじゃないですか?」
「えっ?」
驚いたような短い声が彼の口から漏れる。
そして、彼は緩んでしまった口元を手で隠すと、
「ま、まあ、毎日走ってれば多少はスッキリするよな」
なんて返してくる。
しかし、言葉とは裏腹に彼が浮かれているのだと私にはわかった。
普段なら『何を浮かれているんですか』と棘のある言葉をひとつ浴びせる所だ。
だけど……今日は、不思議とそんな気が起こらない。
理由はなんとなくわかっていた。
「……そう、ですね。毎日走っている訳ですから、多少は」
昔の――学生時代の彼を思い出して、胸がこそばゆくなったからだ。
「もう三ヶ月くらい続けてる訳ですし……多少、体力も戻って来たんじゃないですか?」
今よりずっと身長差があった頃を思い出す。
当時、私は彼を見上げるしかない子どもだった。
まあ、今も見上げなければいけないのは変わらないけれど……。
「……それに――」
まだ、奇妙な気恥ずかしさが抜けきらない。
次の言葉を探しながら、暗い夜道と向かい合うと……足元に転がる小石と目が合った。
靴の先で小突いてみれば、コツンと軽やかな音がする。
その後、軽く足を振り上げて蹴ってみたところ小石はいい声で鳴いたのだが――コツンコツンとアスファルトを跳ねる音は、なんだか私達のことを冷やかしているみたいに聞こえたのだ。
「――…………」
「……ちな?」
「……いえ、やっぱり何でもないです」
それから特に語り合うこともなく、二人で静かな帰路についた。
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