第247話 8月26日【夕焼け色バッターボックス】

 夕焼け色に染まり始めたグラウンドを眺める茉莉の口から溜息がこぼれる。

 原因は引退した筈の楠が野球部の誰よりも大きな声を出していたからだ。


「……あいつ、受験生だよね?」


 茉莉はこれまで全く部活動をしてこなかった。

 だから、引退した三年生が新体制となった後輩達の指導や支援をする重要性など知る由もない。

 だが――、


「まあ、落ち込んで膝抱えてるよりは百倍いいか」


 ――部活動や野球について知らなくても、楠という同級生のことは知っている。

 だからこそ、失恋したばかりの彼がしゃんと背筋を伸ばす姿に思わず安堵したのだが――口元へ笑みを浮かべる茉莉とは対照的に……険しい表情で彼女のことを見る女生徒がこの場にはいた。


「智奈美、楠と別れたんだって?」


 訊ねてきた相手が誰か、茉莉には振り返る前からわかる。


「……夕陽」

「少し、付き合ってくれる?」


 もうずっと挨拶もしていなかった友人の頼みを、茉莉は断らなかった。



「部活もしてないあんたが、なんで夏休みに学校に来てた訳?」


 校舎の自販機でオレンジジュースを買いながら、夕陽は茉莉へ訊ねる。


「あのねぇ、部活ばっかりしてるあんた達は知らないかもしれないけど、夏休みにも進路指導室は開いてるの」

「ああ、なんだそういうこと」


 夕陽の返答が、茉莉には『進路なんて、あたしには関係ない』と言っているように聞こえた。


「……知ってる? あたし達、受験生なんだよ?」

「言われなくても知ってるってば」


 呆れる茉莉へ、夕陽は買ったばかりのオレンジジュースを投げ渡す。

 茉莉は落としそうになりながらもソレを受け止めると――、


「……ありがと」


 ――と、言葉とは裏腹な渋い表情になった。


「別にいいよ、お礼なんて……それより智奈美と楠のこと教えてほしい」


 夕陽の口調はきつく、どこか棘がある。

 身長差もあるせいか、茉莉は一瞬彼女に気圧され、言葉が上手く出てこなかった。

 けれど――、


「隠すようなことでもないでしょ……楠の顔見てればわかる。ただ、あいつには訊けないから、茉莉に確認したいだけ」


 ――茉莉にとって夕陽はまだ……面と向かって話すのが気まずいだけで、友達なのだ。


「……ちなと楠、別れたよ。もう、恋人でも何でもない」


 片想いしている相手が失恋したと聴き、夕陽は寂しげに唇を噛んだ。


「……わかった。時間取らせて、ごめん」


 夕陽の背中を、茉莉は静かに見送る。

 普段よりも小さく見える後姿に、彼女はなんと声を掛ければいいかわからなかった。

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