第246話 8月25日(…………いやなゆめ)

 空が曇っているせいか、今日はやけに涼しく過ごしやすかった。

 ただ、どんよりと暗い空模様が視界に入るたび気分は沈んでいく。

 こんな時、一人で部屋に籠っていると……嫌なことを思い出しそうだ。


 昨日、茉莉達と賑やかに過ごした時間を遠く感じる。

 倦怠感と眠気がない交ぜになっていく中……ベッドへ寝転がりながら瞼を閉じた。


 ……じきに夏が終わる。

 私が部活をやめたのも、八月の終盤だった。







 インターハイの県予選が終わった頃だ。

 団体戦は県予選の準々決勝で敗退したが、個人戦で私のインターハイ出場が決まった。


 試合の興奮が冷めぬまま家族へ報告し――彼にも、その日の内に教えてあげようと思い付く。

 平静を装いつつ彼の家へ向かい……玄関先で彼の姿を見つけた。

 誰かと……電話をしている最中だった。

 相手は女性で、話し声を聞いていれば親密な関係だとすぐにわかった。


 正直、すごく動揺した。

 試合で感じていた高揚なんてすっかり冷めていた。

 体の末端から熱が引いて、気付けば『付き合っているんですか?』とわかりきった質問をしていた。


 きっと、嫉妬ではなかったと思う。

 『ああ、なんだ。そうだったんだ』という喪失感。

 照れくさそうな笑顔を返された瞬間、私は自分のことを……近くに住むただの子どもだったんだと自覚した。


 その日から、竹刀を握っていても心がざわざわするようになった。

 目前のことに集中できない。

 どうしても気持ちが落ち着かない。

 苛立ちを抑え込みたくて練習に打ち込むほど――自分の好きだった剣道にならなくて苛立ちが増していく。


 そうして、苛立ちが限界に達しようとしていた時だった。


 引退した三年生の一人が部活に顔を出したのだ。

 嫌味な先輩で、特に後輩へのあたりがきついから好きではなかった。

 『二年生あんた達の代わりに初心者の指導を手伝ってあげる』と言っていたが、後輩にあたってストレスを発散しているだけだ。

 見兼ねて止めようとした瞬間――彼女は秋の腰を竹刀で強く打った。

 心無い言葉を浴びせ、何故か私の方へ振り向く。

 そう言えば……県予選の個人戦で、彼女は私に負けていた。

 今思えば……彼女のあたりがきつかったのは、私と仲が良い後輩ばかりだった。




 気付いた時には、彼女の肩へ竹刀を振り降ろしていて――防具もつけていない相手の脇腹を打っていた。


 あんなのは、剣道じゃない。ただの暴力だ。


 なのに、周りの部員が止める中……スッキリしたと感じる自分を見つけて、それがなによりも許せなかった。

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