第244話 8月23日(いいわけ……ないじゃないですか)

「それじゃあ、また後で」


 夕飯時が近くなり、作業をする彼の背中へ一言告げて玄関へ向かう。

 だが、靴紐が緩んでいたので結び直そうと腰を降ろした時……何かが下駄箱の下敷きになっているのを見つけた。

 しかし、座ったままの姿勢ではそれが何かはわからない。

 屈みながら下駄箱の影へ目を凝らしてみると……薄っすら『花火』と書いてある気がした。

 まさかと思いつつ、手を伸ばす。

 指先にビニールの感触――息苦しい姿勢をキープしたまま、無理やり指の腹で引きずり出すと……一昨日処分した筈の線香花火が姿を現した。



 履きかけていた靴を脱ぎ、線香花火片手に彼の部屋へ戻る。

 すると、


「まさか、下駄箱の下に隠れていたとはな」


 彼は腕を組み、どこか感心したような口ぶりになった。


「勝手に逃げたみたいに言わないで。あなたが玄関で落としたんでしょ?」


 花火の包装紙で軽くおでこを叩くと、彼は苦笑いになる。


「それで? どうしますか、コレ」


 コンビニくじのハズレ――安っぽい線香花火が十本。

 とてもじゃないが、人にあげられるものではない。

 捨てるのか、それとも置いておくか……、と訊いたつもりだったので――、


「今から俺達で使ってしまおうか?」


 ――それは、少しばかり私の盲点を突いた返答だった。



 一度火をつければ、線香花火は一分程で燃え尽きてしまう。

 それがたったの十本。

 しかも、二人で分けるとなれば遊べる時間はとても短い。


 けれど、こういうのは長ければ良いというものでもない。

 それに、私達は長い時間を共に過ごして来た。

 だから、たぶん……必要なのはいつだって時間ではなくきっかけだ。


 三つ目の火花が咲き始めた頃、私は彼に声を掛けた。


「もう……インターハイが終わりました」


 彼は『何の?』なんて訊き返したりしない。

 ただ、静かに「そうだな」と答える。


「三年生は引退ですよ。なのに、まだ防具を取っておくんですか?」


 もしも『大学生や社会人になったらいつか、またやりたくなるかもしれないだろ?』なんて言ったら殴ってやろうと決めていた。

 でも――、


「だって、ちなは……人生最後の試合が、あれでいいのか?」


 ――彼の返答に、私はぎゅっと握っていた拳を解く。


「……よくは、ないです」


 もう剣道はしない。

 その決意に嘘はないつもりだった。


 だけど、だからこそやりきれない。


 あんな試合が最後で、私は自分の想いにけじめがつけられているのか?


 それは抱え続けてきた後悔であり……たった一つの葛藤だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る