第179話 6月19日(……ぼうっとしてたなぁ)

 気に入っているマグカップのフチを指でなぞりながら、視線が思わず彼へと流れていく。

 ページをめくる私の手はさっきから止まったままで、本に集中できていない。


「……ちな?」

「……はい?」


 仕舞には彼と目が合い、間の抜けた返事をする始末だった。


「いや、どうかしたのかと思って」

「……別に、どうもしませんけど」


 素っ気ない声を出して、また目線が逸れる。

 けれど、なんだかバツが悪くなり……私は本を閉じるなり立ちあがった。


「……珈琲、淹れてきます」


 ちらりと彼のマグカップへ視線を向ける。

 『いりますか?』と首を傾げた途端、彼は珍しいものでも見たかのように、


「あ、ああ……ありがとう」


 なんて言って目を瞬かせていた。




「幼馴染みのお兄さんって……どんな人? か」


 淹れたばかりの珈琲から昇る湯気を眺めつつ、私は『なるほど』と頷く。

 確かに、恋人が毎晩異性と会っていると聞けば……気になるかもしれない。

 けれど、どんな人かと訊かれても困ってしまう。

 現に、昨日だって『幼馴染みのお兄さんって……どんな人?』と訊かれて『……幼馴染みの、お兄さん』と答えてしまったくらいだ。


「……はぁ」


 止めようもなく出る溜息を、今は聞く人もいない。

 私は珍しく珈琲にミルクを注ぎながら、


「……どんな人かなんて、私が訊きたいくらい」


 とついこぼしていた。




 珈琲を持って行くなり、彼は私に向かって「……珍しいな」なんて言ってみせる。


「何がですか?」

「珈琲にミルク入れてるから」

「…………良いでしょ、別に」


 目線を逸らして熱い珈琲に口をつける。

 直後、私は顔をしかめた。


(…………なんで、ミルクなんていれたんだろう?)


 数分前の自分が信じられない。

 私は、過去の自分へ『余計なことを……』と呪いを送り、


「…………」


 ふと、彼の珈琲に目をやった。

 そして、彼がまだ口をつけていないと確認した後で、了承も得ずに取り換える。

 すると、


「……はぁ」


 彼は目の前で起きた犯行に目をつぶりながら「なんでわざわざミルクを入れたんだよ……」と呟いた。


「わかりません。完全に不可抗力でしたので」


 その後、乳成分が舌へまとわりついてこない珈琲を飲み「ほぅ……」と一息つく。


(……彼が、どんな人か、か)


 私が気分で入れたミルク入りの珈琲を、いらなくなったからと勝手に交換しても怒らない人。


 現状、これ以上適確に彼を指し示す言葉はありえないと思うのだけど……この答えで楠が『なるほど』と頷く未来は一切見えてこなかった。

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