第137話 5月8日《思い通じず片片想い》

「今日も自主練?」


 走り込みを終え休憩に入ると、楠が話しかけて来た。

 アタシは水筒から口を離し、彼に向き直る。


「そう、自主練」

「今日も一人で? いつも何キロ走ってるんだ?」

「10キロ。やりたくてやってるだけだよ」


 直後、楠の唇が緩んだ。


「カッコイイな、逢沢」

「……自主練なら、楠もやってるでしょ」


 再び水筒に口をつけ、後ろめたい羞恥心ごと口元を拭う。

 すると、楠が何か言いたそうに口を噤んでいた。

 まあ、何を言いたいか……予想はつくけど。


「何? どうかした?」

「いや、その……」

「何もないならまた走りに行くけど?」


 強がりだった。

 10キロ走った直後にまた走りたくなんてない。

 でも、そんな心配は無用だったようで


「向坂と、喧嘩でもしたのか?」


 楠は、ちゃんと訊いてきた。


(本当、智奈美のことはよく見てるなぁ)


「……誰のせいだと思ってるのよ」


 ぽつりと棘のある声で呟くと、楠が口を閉ざす。

 その後、沈黙が続くとつい焦れてしまい、


「ねぇ、なんで智奈美なの?」


 何故か自分から話を振っていた。


「……それ、どういう意味で訊いた?」


 彼の声からは、はぐらかそうという意思が感じられない。


「何で智奈美を好きになったのって意味で訊いたの」


 二人の間に重苦しい空気が流れ、呼吸することさえ忘れた。

 けれど、


「一人だけ……すごく綺麗だったんだ」


 胸に裂けるような痛みを感じた途端、肺へ空気が入り込む。


「それって、智奈美が?」

「いや、向坂の構えが」

「……構え?」


 思わず、首を傾げた。


「竹刀を構えてる姿が他の奴と違ったんだ。剣道のことはよく知らないけど、あんなにも残酷に打ち込んだ時間が立ち姿に表れるんだと思って、震えた」


「それが、好きになった理由?」


「意識しはじめたきっかけではあるよ」


 そう告げる横顔は優しくて、胸が苦しくなる。

 まるで埋められない差を見せつけられたようで、顔が上げられなくなり、


「でも、もう……智奈美は部活やめたじゃん」


 結果、キツイ言葉が口を衝いた。

 対して、


「わかってる」


 楠の声は穏やかだ。


「でも、忘れられないんだ」


 つらい。


 自分と同じ想いを、楠が智奈美に向けているとわかるから……つらい。


「最後に、言ってもいい?」


「……ああ」


「楠の気持ち。智奈美も気付いてるよ」


 今、楠にどんな顔をさせたかったんだろ?

 自分の気持ちさえわからなくなる中、


「それも、わかってるよ」


 耳に届いた声色が……アタシへ向けられたことのない感情だということだけは、理解できた。

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