第132話 5月3日(……おばあちゃんが生きてたら、なんて言ったかな)

 昼食を済ませ、お茶を飲む祖父に訊ねた。


「今日は、もう稽古しないの?」


 祖父は私を一瞥して、またすぐ湯呑みと見つめ合う。

 その後、短い溜息を吐き、


「……久しぶりに、振りたくなったか?」


 と、見透かしたような言葉で返した。

 だが、私の全部を見透かされた訳じゃない。


「……半分、当たり」

「……やはり、女の子は難しいな」


 祖父は何故か微笑むと、再びお茶をすすった。


「どんな理由にせよ……お前は一年近くも竹刀を握っていない。それは自分で決めたからだろう? それが、急にどうした? これは良い兆候か?」


 首を傾げた祖父の眼差しは……驚くほど優しい。

 昔から厳しい人だと思っていたけれど……そう言えば、おじいちゃんが厳しくなったのは、私が剣道を始めてからだったな。


(……そうか。この人おじいちゃんは元々、私に甘かったのか)


 そんなことに気付いたら、ピンと張っていた最後の糸が切れた。


「良い兆候かは知らない。ただ……前は、モヤモヤしても竹刀を振ってる内にスッキリしていったから――だから、久しぶりに振りたくなったの。ううん、傍で誰かが振ってるのを見るだけでも良かった。それだけで、この気持ちが……少しはマシになるんじゃないかって」


 しかし、久しぶりに祖父へ甘えた直後――こつんと額を小突かれる。


「痛っ――」

「未熟者め……心身共に鍛えてこその武道だ。それに依存してどうする」


 ……返す言葉もなかった。

 叱られたことが恥ずかしく、つい目線を逸らす。

 けれど、


「それで? もう、半分は?」

「え?」


 訊ねられた瞬間、つい祖父を見つめ返していた。


「むしゃくしゃしたから竹刀を振りたくなった……それじゃ半分なんだろう?」


 私が竹刀を振りたくなった理由の、もう半分。


「…………」


 口にする直前――あいつの、真剣な顔が浮かんだ。


「学校で……真剣に野球をしてる子がいて――その子の熱にあてられたんだと思う」

「……本気でやっている人間は、周りに影響を与えるものだからな」


「…………」

「その子に、後ろめたいのか……今の自分が」


 そうだ。

 でも、それだけじゃない。


「そう……それに」

「……それに?」

「その子、私を好きかもしれなくて……それが一番困る」


 私がもう半分の理由を口にしてすぐ……祖父は困ったように頭を掻き出した。


「……それは、おじいちゃんにもわからんな」

「…………」


 なんだか……急に祖父が情けない。


「……ひとまず、墓前で嫁さんおばあちゃんに訊いてみるか」

「……そうだね」


 私達は二人で線香を焚きに行った。

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