第129話 4月30日『ゆっくりと、時間をかけて……ね?』

 色気のない居酒屋に呼び出した彼から、


「どういうつもりですか? 


 久しぶりに『先輩』と呼ばれた時、この子を好きで良かったな……なんて思う。


「懐かしいね、先輩呼び」

「俺なりの区別ですから」

「区別? じゃなくて?」

「……けじめだと悪いことみたいじゃないですか、俺達が別れたの」


 彼は水を一口飲むと、滑りの良くなった口で告げた。


「大切の形が少し変わっただけ。彩ゆ――……先輩が選んだのはそういう、ですよね?」


 ふいに外れた目線を追いかけて、つい笑みがこぼれる。


「言い直し……かっこ悪いね」


 特別な後輩をからかうこんな時間は久しぶりで……でも、色褪せることなくとても今だった。



「で? どういうつもりですか?」


 小皿が運ばれ始めた頃、彼は再び訊ねてくる。


「元カレを飲みに誘ったこと?」

「そんな奇行わがまま、今更気にしませんよ。ちなに、何か言いましたよね?」


 この瞬間、散々手懐けてきた後輩の眉間に、不機嫌そうな皺が刻まれた。


「さ? なんのこと?」

「とぼけないでください。近々、友達に告白されるかもしれないなんて……相談しに来ましたよ」

「んー? 変な話でもないでしょ? 君、意外と聞き上手だしさ?」


 久々の後輩いじりを楽しみつつ答えははぐらかしていると、


「はぁ……」


 疲労感の滲んだ溜息が聞こえた。


「……変ですよ」

「……なんで?」


「だって、今なら……そう言う相談は先輩にするでしょ。ちなは」

「……え?」


 不覚にも、嬉しさが込み上げてくる。

 彼女ちーちゃんの中で自分がそんなに大きくなっているんだって思うと同時に……小さな罪悪感が芽生えてしまった。


「……このままずっとはぐらかしてやろうと思ってたのにな」

「……先輩」


 まだ酔ってもいないのに気分が良くて……つい、口を滑らせてもいいかなと考えていた。


「……私ね、二人に恋人になってほしいの」


 直後、彼の表情は予想していた通りだ。

 白い紙に白い絵の具を塗り重ねたような……何かを隠したようなすまし顔。


「……俺は、ちなに似た人を好きになったかもしれません。でも、あの子に恋愛感情はありませんよ」


 この言葉も、きっと嘘じゃない。


「だろうね。わかってる」 


 でも、だからこそ私は小さな種を蒔くように……静かな声で紡いだ。


「だけど、あの子は違うの。ちーちゃんは今もゆっくり、自分の気持ちを育ててる。だから……君もゆっくりでいいんだよ」


「……


「ゆっくり、今までとは少し違った角度で……ちーちゃんを見てあげてね」

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