第125話 4月26日(……そう言う気分になったらね)

 放課後の教室に居残り、プリントをホッチキスで留める。

 地味で時間の掛かる作業……正直、面倒だ。

 けど、外から聞こえる野球部の声が手を止めさせない。


「……はぁ」


 応援したい気持ちと部活をリタイアした後ろめたさがない交ぜになる。

 だが、それも楠が頑張っているという前提あってこそだ。


 だから、


「あれ、向坂?」


 ドアから楠が顔を覗かせた瞬間、つい手元が狂った。


「……あれ? じゃない。部活は?」

「睨むなよ。忘れのも取りに来ただけだって」

「……そう」


 楠に答えつつ歪んだ針を抜き、再び留め直す。

 すると、


「それ、委員会の仕事?」


 と楠が遠慮がちに訊いてきた。


「そうだけど」

「だよな……その、ありがとな。あの時、庇ってくれて」


 大きな体が頭を下げる。

 楠のこういう素直な性格は嫌いじゃない。

 でも、お礼なら前にもらった一回で十分だ。


「いいから。早く部活に戻ったら?」


 別に追いやりたい訳じゃなく、善意でそう言ったのだけど、


「あ、ああ……そうだな」


 楠は、何か言いたげなまま出ていかない。


「……まだ、何か用?」


 そこで、小さな助け舟を出した所、


「あのさっ――」


 楠は力強い声で返した。


「――マネージャー、やってみないか!」


 しかし、どうにも私は言葉のキャッチボールが苦手だ。


「は? 何で? 無理でしょ。委員会の仕事もあるし」

「そ、っか……いや、そうだよな悪い」


 楠は下手な返球を受けて、どこか落ち込んだ様子だった。 


「だいたい、何で私? マネージャーがほしいなら茉莉でも誘ってみれば?」


 自分より適性のありそうな親友を挙げる。

 だけど、楠は首を横に振った。


「それじゃ意味ないんだ。だって……俺が、向坂に近くで見ててほしいから!」


 思わず、首を傾げてしまう。


「……何で?」

「それはっ――」


 一瞬、楠の力んだ声を迫ってくるように感じて、体が強張ってしまう。

 けど、


「――いや、今のは忘れてくれ」


 楠の重たい声がほつれていくと、肩に入った力も抜けた。

 そして、好青年らしい普段の笑顔を見せる楠に私は安心する。


「ん……そうする。それがいいよ。私、向いてないと思うし」


 だが、まだ終わらない。


「……そうじゃなくてさ」


 楠は緊張の抜けた穏やかな声で紡いだ。


「なんていうか……向坂の方から応援したくなるぐらい、自分で頑張ってみたくなったんだ」


 強引さを感じない声と前向きな姿勢は嫌いじゃない。

 だから、


「なら、私が応援したくなった時は……やってあげてもいいけど?」


 つい、そんな約束をしてしまった。

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