第102話 4月3日(懐かしいって……何?)

 彼を連れ出すのではなく、一人で先に駅へ歩いていた。

 そして、スマホから電話を掛ける。


「……」


 呼び出し音が波のように寄せては返しを繰り返す中、


『ちな?』


 彼の応答が耳へ届いた。


『急にどうした? 電話なんて……』


 私からわざわざ電話をすることなんてめったにない。

 彼の不思議そうな――いや、珍しいこともあるものだと、面食らったような声を聞いて、つい口元に笑みが生まれた。


「……今から駅まで来れる? すぐに」


 駅を視界に入れつつ訊ねる。

 すると、短く切られた『え?』という声がして……しばらくは無音が続いた。


『駅って、最寄りの?』

「そう」

『……今から?』

「ん……すぐに」


 だんだん声に心配しているような色が混ざり始める。


『何かあったのか?』


 真剣な声音で訊ねる彼をこのまま心配させれば、何もかも上手く行きそうな流れだった。

 しかし――、


(――それは、嘘を吐くよりひどいし……そういう訳にもいかないか)


 ふと、去年のクリスマスを思い出す。

 彼に自分を心配させて、誘い出すのは簡単だ。


 でも、きっと……。

 写真を撮った時、彩弓さんに呼び出された彼は――心配でそうした訳じゃない。


 ならば、と私は声を弾ませる。


「……心配しなくても、何にもありませんよ」

『そう、なのか?』

「はい。ただ――」


 夜が落ちてきた影の中、スポットライトに照らされた桜が散りゆく姿を想う。

 そこには私達、三人が並んでいて……悪くない思い出になると確信していた。


「――来たら、きっと驚くと思うので。だから……迎えに来て」


 いつか、クリスマスの夜に私を探し当てた時みたいに。

 あの時よりも、少し緩んだざわざわと――何があるんだろうという、疑いの滲む期待感を抱えながら。


『…………』


 返事はまだない。

 だけど、断られない予感があった。


『なんか、思い出しちゃったよ』


 はぐらかす訳ではない。

 でも、本題から逸れた返事が耳に届く。


 私は口元を緩め、


「彩弓さんみたいだった?」


 なんて、深く考えずに訊ねた。

 でも――、


『えっ?』


 ――彼の口から漏れたのは驚きの短音。


『……そう、か。今の、彩弓さんっぽかった――のか』

「……ん?」

『なんだか懐かしいやり取りだったような気がして……そうか、今のちな――彩弓さんに似てたんだよな?』


 首を傾げる彼の姿が目に浮かぶ。


「いいから、迎えに来てくれるんですか?」


 要領を得ない彼に焦れみせると、


『……わかった。すぐに行くよ――じゃあ』


 一拍置いて、彼は通話を切ったのだった。

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