第87話 3月19日(……なんか、どっかで見たことある)

「あたし達も、もう三年生か」


 終業式が終わってすぐ、茉莉は物憂げな表情で呟いた。


「……気が早くない?」

「そう? だって春休みって2週間ちょっとだし。ほら、見てみなよ。この桜が咲く頃には新入生が入って来て、あたし達は三年生……『早いなぁ』って思わない?」


 長い黒髪へするりと指を通して語る茉莉は、風景画の題材にでもなりそうだ。

 しかし、憂いを帯びた眼差しを彼女に注がれる樹は、そもそも桜ではない。


「……まあ、それ桜じゃないけどね」


 事実を突きつけた途端、茉莉の口から「えっ?」と声が漏れる。


「じゃあ、何コレ?」

「知らない。でも、入学式の時に写真撮ったから覚えてる。その樹の隣が桜」

「うわぁ……」


 直後、茉莉の視線から『物憂げ』なんて感情が一切なくなってしまった。

 まるで小憎らしい相手を見るような様子に、珍しく悪戯心が刺激される。


「……ひょっとして、『』だったりして?」


 軽口を叩いてすぐ、振り返った茉莉に軽い鞄で叩かれた。

 安い枕をぶつけられたような感触が腰を襲う。


「もうっ!」

「楠のこと、そんなに苦手?」

「……苦手――では、ないけどさ?」


 茉莉は拗ねた様子でそっぽを向きながら、溜息交じりに呟く。


「なんだろう……あいつって見てるとかゆくなるんだよね」

「……何それ?」

「さあ? あたしにもよくわかんないや」


 言葉を濁そうとしたのか、茉莉から曖昧な答えが返って来た。

 だが、開きかけた蕾をくしゃりと揉みつぶしたような口元に……もう何か訊く気は起きない。


「……ふぅん」


 だから、私は彼女の言葉へ頷いて返し――ふと、視線が仮称クスノキにひかれていた。


「ちな?」

「……ん?」

「そんなにその樹が気になる?」

「……別に? ただ――何の樹なんだろうって」


 常緑樹なのは間違いなさそうだ。

 それに、どこかで見たことがある気がする。

 たぶん、名前がわからないだけでそれなりに有名な品種なんだろう。


(用務員さんとかに訊けばわかるかもしれないけど……そこまでする必要もないか)


 そして、仮称クスノキから視線を逸らす。

 すると、何か思いついたらしい茉莉と目が合った。


「……何?」

「んー? 大したことじゃないよ? ただ、あたし達の卒業式、この木の前で写真撮らない? あ、もちろんこの木がクスノキじゃなかったら、だけどね」


 (……『あたし達の卒業式』か)


 私はもう一度、仮称クスノキへと視線を向け――、


「まあ、ふたりとも覚えてたらね」


 ――なんて、素っ気ない答えを返した。

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