第86話 3月18日(……二人っていつから知り合ったんだろう?)
放課後――静かなアパートの一室を前にして、私は呆然と立ち尽くしていた。
手の中には真新しい鍵がひとつ。
鍵穴に刺してみる直前まで疑っていたのだが――、
(……本当に開いた)
――コレは、彩弓さんがくれた新居の合い鍵だ。
「……お邪魔します」
返事がこないとわかっていながら挨拶をする。
聞き手を想定していない細い声は、住人のいない部屋へと吸い込まれていった。
……人がいないのだから当たり前なのだが、あまりにも静かだ。
馴染みのない部屋に一人でいるせいか、ふと――、
(本当は彩弓さんが家の中にいて私を驚かせようと隠れているんじゃ?)
――なんて考えてしまう。
「…………」
ひとまず、玄関戸に鍵を掛けた。
そして、カチャリという小さな金属音をしっかりと聞いた後、
「……よし」
一応、家中の隠れられそうな場所を探して回った。
◆◆◆
(……流石にいないか。今日は仕事だって言ってたし)
どこにも彩弓さんがいないことを確かめてから、未開封のダンボール箱へもたれて座る。
しかし、いくらなんでも出会って間もない人に、
『じゃあ、荷物の整理だけでもお願い!』
と言って家の合い鍵を渡すだろうか?
(『また手伝いましょうか?』なんて言ったのは私だけど……)
「はぁ……」
軽い後悔に苛まれながら、もたれていたダンボール箱へ向き直った。
ぼんやりしていてもしょうがないし、手近にあったものから整理していこうと思ったのだ。
しかし、
「…………あれ?」
フタを開けようとした矢先、ダンボールの側面が真っ新なことに気付いた。
「これ……何も書かれてない」
普通、引っ越しの時って後から何を入れたかわかるように外へ書いておくと思うのだけど。
「これじゃ片付かない筈だよ……」
彩弓さんのてきとうっぷりに呆れながら、やることは決まった。
学生鞄の中にしまっていた筆入れから黒いマジックを取り出す。
(荷物の整理なんて一人じゃできるはずないと思ってたけど……封を開けて、中に何が入ってるか箱の外に書いていくだけでも違うでしょ)
あとは、生活に必要そうなモノだけ選んで出していけばいい。
そう思って作業を始めた矢先、
「……」
写真立てに入った一枚の写真と目が合った。
どこかの夜景をバックに彼と彩弓さんが隣り合って笑っている。
今より少しだけ若い……大学にいた頃の写真だろうか?
「……彩弓さんも、こういうのちゃんと飾るんだ」
何故か、胸が締め付けられるのを感じながら……隙間の多い本棚へと写真を飾った。
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