第67話 2月27日(甘えに来た訳じゃないけど……)

 ふと、茉莉へのプレゼントが本で良いのか迷い、悶々と過ごした末に、


 『つまらない、暇だ――って時は、いつでも来い。珈琲くらいなら出してやる』


 私は彼の言葉を思い出した。


 結果、何か相談する訳でもなく、彼の家で本を読んでいる。

 しかし、当然問題は解決せず、必然溜息がこぼれた。


「はぁ……」


 読んでいた本を閉じ、指先で表紙に触れる。

 その後、珈琲カップに手を伸ばしたのだが――、


(……冷めてる)


 ――珈琲へ口をつけた途端、冷たい感触が唇に触れて気持ちまで冷めてしまいそうだった。


(……あったかいの、飲みたいな)


 寒い冬に冷たくて苦い珈琲を飲むと、心まで寂しくなる気がする。

 私は一度きゅっと唇を結び、向かいで熱心に読書する彼へ話し掛けた。


「……ねぇ」

「ん?」

「……珈琲、冷めた」


 彼が読んでいた本から顔をあげる。

 直前まで名探偵の推理を楽しんでいた彼は、


「……つまり、俺に淹れ直してほしい?」


 本が影響したのか知らないけれど……端的に私のしてほしいことを言い当てた。


 私は頷かず、冷めた珈琲がまだ底に残っているカップを差し出す。


「……」

「……了解」


 受け取った彼は、溜息を吐きながら名残惜しそうに探偵と別れた。

 けれど、


「……最近、何かあったか?」


 彼はすぐ珈琲を淹れ直しに行かない。


「何で?」


 首を傾げて返すと、彼は一呼吸置いてから、


「なんだか、中学の頃みたいだ」


 と、懐かしみながら口にした。


「私が?」

「そう。俺に対して遠慮がないっていうか……」


 一瞬、彼の反応が棘のように心へ刺さる。


「……嫌だった?」


 この小さな痛みを取り除きたくて、気付けばそう訊ねていた。

 すると――、


「まさか。ただ懐かしい感じだなって」


 ――いつ頃を懐かしんでいるのかは知らないけど、彼が感傷に浸り始める。

 だから、


「……おっさんくさ」


 冷めた珈琲のように、冷たい言葉を返した。


「お前だって、俺の歳まではあっという間だぞ」


 捨て台詞のような言葉を告げるなり、彼はキッチンへ向かう。


「……そうですか」


 彼の背中を見送ると、さっき聞いた言葉が何故か脳内で繰り返し再生された。


(俺の歳まではあっという間……か)


「……それでも、追いつけはしないんでしょ」


 一人残された部屋でつぶやくと、口元に笑みが滲む。



 そう、どれだけ急ごうと……あなたと同い年になることはできない。



「もう、急がないって決めたから……あっという間じゃないよ」


 そして、本の続きを読みながら、珈琲には『早く来い』と考えていた。

 

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