第44話 2月4日(なんだか……何にも変わらないな)

 まるで、久々に顔を見せた野良猫へ向けるような眼差しだった。


「最近、来なくなったと思ってたのに」

「……ついこの間、彩弓さんに呼ばれて来たばかりだと思いますけど?」


 片方ずつローファーの踵へするりと人差し指を差し込み、脱ぎながら彼に答える。


「そういう意味じゃなかったんだけど……まあ、いいか」

「……何それ」


 首を傾げてみせるが、彼はそれ以上話したがらず――代わり台所へ足を向けると、


「珈琲でいいだろ?」


 と、私の顔も見ずに告げたのだった。


◇ ◇ ◇


 温かい部屋で開いた本に視線を落としながら、時折ページをめくっていく。

 口が寂しくなれば、すぐに珈琲の入ったカップを傾けられるこの時間は好きだ。


 でも、ここ最近は彼の家でこうして気ままに過ごすことが少なかった。

 やることも多かったし、学校で過ごす時間が増えたせいもあるだろう。

 彩弓さんに気を遣って、来ないようにしていたというのも理由のひとつだ。

 ……いつの間にか気を遣うつもりがなくなってしまったのだけど。


「…………」


 ふと、秒針の刻む音が気になって視線をあげる。

 時計を見れば、結構な時間が経っていた。

 きっと、外へ出れば街灯の白い灯りが星と見紛うほどに輝いているだろう。


 パタンと本を閉じ、鞄へとしまう。

 すっかり冷めてしまった珈琲を飲みきり、空のカップは洗い場へ。

 私が使った食器だけを洗い終えると、彼の仕事部屋へ向かった。


「……そろそろ帰ります」


 後姿に話しかけると、すぐに彼が振り向く。


「おう、気をつけてな」


 その声色も、話し方も……少しも変わらない。

 こうして遊びに来たのは久しぶりなのに、まるで昨日も私が来ていたかのような態度だった。


 別に……何かを期待したり、変わってほしいという訳じゃない。

 ただ――きっと、私と彩弓さんの関係が変わったから、


「ねぇ……私、あんまり来ない方が良い?」


 だから、その変化が私達にも影響を及ぼすんじゃないかと思って……そんなことを訊ねた。

 彼は私の顔を見つめ、ぱとぱちと瞬きする。

 そして、


「……どうだろう?」


 なんて前置いてから、


「ちながここより落ち着ける場所を見つけたなら、それは良いことだと思うけどな」


 なんて、さも年長者ぶった言い回しを披露した。


「……何それ」

「つまらない、暇だ――って時は、いつでも来い。珈琲くらいなら出してやる」

「……そう」


 私は、野良猫のしっぽみたいにするんと影を滑らせ――、


「じゃあ、また来るかも」


 ――それだけ言って、彼の家を出た。

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