第39話 1月30日(……美味しいなぁ)

「いらっしゃいませ――あっ!」


 店内栗原堂へ入るなり、従業員の服に身を包んだ秋と目が合う。


「ちーちゃん先輩! 来てくれたんですね!」


 ぱたぱたとこちらへ駆け寄って来る秋を見て、周りの従業員さん達は微笑ましそうだった。


「ん。友達も連れて来たよ。えっと、飲食スペースもあるって聞いたんだけど……」


 目線を後ろの楠と茉莉へ移す。

 茉莉は秋へ愛想よく手を振ったりしていたけど、楠は軽く会釈をするだけだった。

 そんな楠の態度が気に入らなかったのか茉莉は「もうちょっと愛想よくしたら?」と口を開く。


 秋は茉莉たちに深くお辞儀をするなり「あっ!」と、一声こぼしてから店員の役割へと戻っていった。


「それでは、こちらへどうぞ!」


◇ ◇ ◇


 舌の上をつるんと滑っていくしっとり甘い感覚――、


「……おいしい」


 ――秋からおすすめされた水羊羹を口にしながら抹茶もいただくと、思わず「ほぅ……」と恍惚の溜息が出た。

 けれど、


「……」


 抹茶を飲んだ楠の眉間には深いしわが刻まれる。


「……楠?」

「な、何……?」

「……その、大丈夫?」


 楠は声を発さず、ただただ頷いた。

 すると、お盆を胸に抱きながら秋が遠慮がちに申し出る。


「あ、あの! よろしければ苦くないお茶もお出しできますが」

「……お願いします」


 楠がふたまわりは小さい秋にぺこりとお辞儀をする姿は、どこか可愛らしく見えた。

 そして、


「……ぐっ」


 次に、私と秋の眼差しは茉莉へと注がれる。


「茉莉も大丈夫?」

「な、何がっ」


 まだなみなみと残っている抹茶と、ずいぶん小さくなった羊羹……。

 口直しに、彼女がぱくぱくと甘味を口へ運んだいるのは言うまでもなかった。


「……茉莉?」

「……お、お願いします」


 直後「かしこまりました」と言って秋がくるりと背を向ける。

 その小さな背中を見送りながら――あまり、距離を置こうとし過ぎる必要もないか……なんて考えてしまった。


「……ちな?」

「……何?」

「そんなにおもしろい?」


 茉莉からの一言で、笑っていたんだと気付かされる。

 だから、


「別に……――」


 甘い水羊羹を口へ。


「――ただ、おいしいなって」


 次に、茶器へ唇をあてがうと、楠と目が合った。


「どうかした?」

「あ、いや――」

「ちょっと、男子ぃ? 見過ぎなんですけどぉー」


 茉莉が楠をからかう様子に、また口元が緩む。


「お待たせしました……ちーちゃん先輩? どうかしました?」

「ん。何でもないよ」


 不思議そうな後輩を前にして、私は……今日、ここに来てよかったと思った。


 

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