第9話 12月31日(…………ぬるい)

 カーテン越しに透けて見える窓明かりが、()と私を油断させた。


「智奈?」


 郵便受けの口へ年賀状を放り込もうとした瞬間、背後から声がしてゆっくりと振り返る。


「……ん」


 愛想のない短音を挨拶代わりに、飲み込まれかけていたはがきを引き抜き彼へと差し出した。


「コレ」

「うん?」

「渡しに来た」


 彼が受け取る瞬間、バツが悪くなって思わず目を逸らしてしまう。


恋文ラブレターを渡す訳でもないのに……)


 指の腹を固い紙が滑り抜けると何故か、ほっと口から細い溜息が漏れ出た。


「本当は郵便受けに入れて帰るつもりだったんですけど……あなた、間が悪いから」

「悪い。ちょうど買い出しに行ってたんだ」


 彼が持ち上げて見せたレジ袋からは、お菓子や出来合いの惣菜が覗いている。

 その中に、一本の赤い歯ブラシを見つけて……心がざわついた。


「……電気、つけっぱなしで?」

「……まあ、な」


 ほんの少しの間の空いた返答に、きゅっと唇を強く噛む。

 でも、受け取った真っ白な背面を裏返し、彼の口元に笑みが浮かんだ瞬間、


「……何?」


 それはほどけていた。


「いや。まだ年明けてないなって思ってさ」

「しょうがないでしょ。あなたと鉢合わせるなんて思ってなかったし――」


 本当なら、年賀状には郵便受けの底で一晩寝ていてもらうつもりだったんだ。

 だけど、予定通りに行かなかっただけで目的は果たせた。


「――……もういいです。それじゃ」


 くるりと彼に背中を見せると、コツコツと靴のかかとが歌い出す。

 しかし、


「あっ、智奈!」


 私を呼ぶ彼の声に、ぴたりと歌声は止まった。


「コレ、持っていってくれ」


 そんな台詞を聞かされた後、苦い缶珈琲と目が合う。


「……」

「ほら」


 手渡される瞬間に指が触れ合い、残された缶だけが手のひらをじんわりと温め始めた。


「まだ温かいし、家に着くまはカイロになるだろ?」

「……そうですね」


 この瞬間、


 『ありがとう』


 と、言葉にして伝えようとした。


 なのに、また――袋の中身が視界に入る。


 普段、私達が飲まないの缶がそこにいた。


「智奈?」

「……なんでもない」


 ぎゅっと缶を握りしめ、再び家路へと向き直る。


「それじゃ。良いお年を」

「ああ、良いお年を」


 別れの挨拶も簡単に……安物の鍵が潰れるような音を立てて、珈琲の飲み口が開いた。


 黒く冷たい夜の闇に白い湯気があがる中、


(訊けない。 今、家に誰かいるの? なんて)


 熱い苦味は、喉へ引っかかった魚の骨みたいな言葉を――お腹の底まで押し戻した。

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